窓を見つめる。椿は瞳を失ったのだ。あの時、世界をみる瞳を失った。
「…」
ヤマトにはしばらく休むように舞白を通して伝えてもらった。
(馬鹿じゃないの)
アレだけのものを見てまだ突っぱねられない、馬鹿なんだ。自分は世界を見る瞳を手に入れる代償に合理性を失い、そして瞳すらも失った。
「馬鹿よ…本当に…」
二の腕を爪が食い込むほどに握る。心臓が、腸が、肺が口から毀れ出てしまいそうなのに、なにも出てこない。出てくるのは唾液ばかりで。辛くて、痛くて、気が触れてしまいそうなのに、頭は正常で。
“ご飯を食べなければ死んでしまう”
“眠らなければ死んでしまう”
“美しくいなきゃ枯れてしまう”
嫌と言うほど正常で、その正常さがまた心を蝕むのに。気が触れられない、狂いきれない。それはきっと習慣、それとも洗脳?今にしてみれば大差はない。だが、そのせいで1秒を過ごすごとに心に1以上の傷を負っていっている。狂いきれない正常な心で思考する。この感情はどうするべきものなのか。
本にも書いてなかった、この感情。だって、物語の主人公は皆はっぴーえんどであった。こんな醜い感情に苛まれたりしなかった。心が覆われる、恨めしさに、嫉妬に醜さに。あの場所は椿のものだ、椿のものであるべきなのだ、心の中の獣は咆哮する。頭が割れそうになる、その獣に体を明け渡したいのに、何かが何かがそれを塞き止める。
「う、うぅっ…」
なんでこうなってしまったのか。獣に体を明け渡せない心は、痛みの発露先を別に探し始める。フーダニット。誰が悪いのか。誰の責任か。あの日、屋敷にいなかった兄二人のせい?あの日、椿を連れ出したリツのせい?それともあの日、ヤマトに勤務を命じなかった×の。
「違うっ!違うわっ、違うの、違うぅうっ…」
うずくまる、畳に拳を叩きつけ、みっともなくはしたなく滑稽にうずくまる。発露先なんて見つからない、畳が拳に刺さり痛い、痛いのに頭はそんなのお構いなしに居もしない犯人を捜し始める。そして、一つの疑問にたどりつく。
「あれ…?」
リツは知っていた?ヤマトが×のものではないと。
「あれ…?」
頭がスゥーっと音を伴って冷めていく。なら、何故言わなかったのか。何故教えてくれなかったのか。ヤマトが×のものではないと。悲しみも痛みが静止した、心の中に沸き立つ感情は屈辱。この人生に置いてほとんど抱いたことのない感情のうちの一つ。頭の中に木霊する許せない、の言葉。あとはその言葉が行動の仕方を教えてくれた。

結論。
「…はい、知っていました」
見つけたのは森の中。邸宅の端の端。そこはリツに許された紅茶の葉の栽培場所。土に汚れるのがいやで、道が舗装された場所までリツを呼びつけて。問い詰める。
知っていたわね?/知らなかったのでしょう?
私に貴方を責めさせないで/貴方が悪い
二律背反する感情をそのままぶちまける。だけど、嗚呼世界は酷い。リツは目を伏せて肯定した、自分は知っていたと。そりゃそうだ、ヤマトと同じ学校なら知らぬ訳がない。唇を噛み締めて次の言葉を模索する。だけど、今の椿には正しい思考回路はない、黒い感情は怒りのままに言葉をぶつける。
「そう、貴方は嘲笑っていたのね」
「っ、違います!」
リツの目が訴える、それだけはない、と。椿も分かる、リツはそんなことできない、いや、できはするのだろうが絶対にしない、間違いは犯さない男だ。だけど、ならこの感情はいったいどこに、ぶつければいいというのだ。どこかにぶつけて押し付けて椿のものではないと椿のせいでないと叫べないなら。この苦しみは終わらない。
「嘲笑って、永遠に彷徨う私を肴にでもしていたのね」
「貴方は、味方だと信じていたのに」
「貴方も結局兄様と一緒だったのね!」
涙がぼたぼたと落ちる。俯いているために地面に着地する涙はこんなどす黒い感情から吐き出されているというのに、こんなにも澄んでいてその事実がまた椿の胸を串刺しにする。
「所詮、私は首を落とす椿でしかなかった」
「ヤマトと結ばれることなんてなかった」
「なんで、教えてくれなかったの?!ねえ!!」
リツに詰め寄ってもただ、リツは言葉を失って悲痛に顔を歪めるだけ。分かる、心の中ではリツも誰も悪くないなんて分かっている、分かっているのだ。
「教えてあげるわ!それが、貴方は楽しかったから」
「愉悦だったから」
堰を切った感情は止まらない、リツを罵る言葉は止まることを知らずに。口から吐き出される。でも、リツはなんの反論もしない。怒りでもしてくれたら、椿はまだ救われたのだろうか。余計な罪をなすりつけてくれるなと言ってくれたら止まれたのだろうか。ただリツは悲痛な面持ちで椿をまっすぐ見つめるだけだ。それが余計に辛くて、余計に惨めさを増幅させて、心の茨がさらに絡みついて。最後のほうは喘ぐ様な音しか口も発してくれない。
「っ、つばき、さ」
もうなにも分からない、ぐにゃぐにゃする頭、回る眼球、意味のない音を発する口。呼吸もままならない体で最後に椿の名前を呼ぶ音だけがレコードの最後であった。
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