今日は屋敷の中が静かで、耳鳴りが聞こえるぐらい、静か、で退屈だった。

今日はヤマトではなくリツに外へ連れ出してもらっていた。ヤマトが休みの日、椿はどうしても刺激が欲しかった。本も読んだ、室内で裾を舞わすのも飽きた、舞白も兄も兄の側近もいない屋敷は退屈で、ただ一人居たのはリツだったのだ。そんなリツにお願いをすれば快く引き受けてくれた、もし兄に詰られても自分が連れ出したことにしてしまえ、と。そして、見に行く場所といえばリツとヤマトが通う大学である。この間行ったてらすかふぇに新作のけえきが入ったのだと、リツは笑いながら教えてくれた。それは食べてみたい、食べてヤマトに感想を伝えたい。ヤマトはなんといってくれるだろうか、私はまだそれを予測できはしない、でも、笑ってくれるだろうという無意味な核心は胸の中にあった。
「ねえ、リツ」
「なんですか?」
手を引くリツにといかける。てらすかふぇまでの短い道のりに生えた木を指差してみる。
「あの木は、さくら、かしら」
突然の問いかけにもリツはそつなく答えてくれる。
「そうです、春になったら綺麗に色づくでしょう」
「そう…それは見てみたいわね」
きっと邸宅で見るさくらなどとは比べ物にならないぐらい綺麗であろう、舞白や兄と共に見ることは叶わないだろうが、ヤマトやリツとなら見れるだろう。そんな近い未来に思いをはせる。楽しい、今が凄く楽しかった。今まで椿は屋敷の中で死んでいくのだと思った、最後には綺麗なうちに首を落として死ぬのだろうと。でも、そんなことはない世界は広がっている、広いのだ。それにヤマトが助けてくれる、リツが守ってくれる。それなら大丈夫だ、なんて無意味ではあるが意味なんて関係ないほどにに心強いものがある。
「椿さんは、変わられましたね」
今度はリツの唐突な問いかけに椿が驚いた。目を少し見開いて、ちょっとその言葉に虚をつかれる。
「変わった、かしら?」
変われたのだろうか、自分は。胸の奥をじんわりとしたとても熱いものが焦がす、その言葉に嬉しいはずなのに目頭が熱くなる。でも、涙を見せるなんてはしたない、それにリツが試しに施してくれたあいめいくが落ちてしまうではないか、なんて涙を一生懸命せきとめながら口を開く。
「ねえ、リツ、私はどんな風に変わったかしら?」
精一杯笑う、父に見せたような歪な作り笑いではなく、精一杯のリツへのお礼。リツはその笑顔に、不器用な笑顔に頬を掻きながら立ち止まった。椿も釣られるように立ち止まる。
「本当に、本当の意味で笑うようになりました」
ええ、その言葉が嬉しくて頷く。
「人の心を知る力が備わってきました」
ええ、言葉が指先まで染み渡る。
「もしかしたら貴方は、もう落ちるだけの椿ではないのかもしれない」
ええ、大粒の涙が毀れる。嗚呼、あいめいくが落ちてしまうなんて思っても、涙が止まらない。
「かも、しれないなんて…不確定要素が、あるのね…」
ついつい毀れ出る悪態にリツは苦笑しながら隠すように、椿の肩を抱いてくれる。そうするとまた、ぼろぼろぼろぼととみっともなく涙が落ちる。嬉しくて、その言葉が嬉しくて、まるで幼い子供が父親に褒められたかのように誇らしくて、涙が落ちる。
「ええ、いつもイレギュラーはあるものですから、でも」
でも、と首を傾げる。
「貴方はそのイレギュラーすらも乗り越える力を備えるでしょう、使い方を誤らなければですが」
リツの声には揺らぎがあった。おびえというかもしれない、なにか最悪の災厄を予見するような声。だけど、乗り越えられる力を手に入れられるとも言った。なら、それを信じたい。リツが膝を突いて目線を合わせてくれる、だから、今度はお礼なんかじゃなくて心のそこから笑うのだ。
「私が誤ると思って?」
その言葉にリツは優しく微笑みながら、ハンカチーフで目元を拭ってくれた。

5分もすれば涙なんて落ち着くもので、だけど、貰った言葉は消えない。胸に刻まれて、それは椿の心の光となり大事な思い出となる。
「落ち着きましたか?」
「ええ、悪かったわね」
そう呟けば、リツが固まった。言葉の使い方を誤ったのだろうか、それは恥ずかしいと脳内で一人会議が始まる中、リツが硬直から戻ってきて破顔するのだ。
「椿さん、謝罪ができるようになったのも大きな一歩ですね」
「あ…」
言われて気付いた。言われて、初めてその言葉を自分が意識しないで使ったことに気付いた。自然と頬が緩んでしまう。
「ええ、そうね。ほら、早く行きましょう?」
リツの手を引っ張って、歩く。足早に。
「っ…」
刹那。
リツが椿の手を強く握って静止した。それは痛いぐらいの強引さ。
「り、リツ…?」
「椿さん、すみません、今日は帰りましょう」
「え?」
てらすかふぇはもうそこだというのに、何を言っているのだろうか。お金もあるし、なにも問題はないはずだ。
「リツ?」
「椿さん、今日は街の方へ行きませんか?」
リツの声に含まれるのは苛立ち?焦り?動揺?分からない、負の感情はまだ分からない。だけど、何故だ、理由がない。椿の心の中で自問自答が始まる。
「なんで?てらすかふぇはもうそこ」
「ダメだっ!」
よ、最後の音は奏でることすら叶わずに。指を指しててらすかふぇを見ようとした刹那、視界が遮られた。暗転、暗闇。
「え…?」
でも、ダメだった見てしまった。見えてしまった。暗転する一瞬、まるでそれはカメラのシャッターを押す様に椿の心のフィルムに残酷に刻まれる。
「や、まと…?」
ヤマトがあの、ヤマトの、ヤマトを待つ少年に。
心臓がいやに早くなる、頭の中では言葉が回転し、言葉が脳を穿ち、フィルムが心を蝕む。
(だって、それ…)
茫然自失、立ち尽くすだけの椿はリツによって強制的に退場させられる。でも、そんなのどうでもよかった。椿は見てしまった。見てしまったのだ、遅い、何もかもが遅い。
「あ、あぁ…ぁあっ」
(なんで…)
行われていた行為は他愛もない、口付け。少し前の自分だったらその程度で流せていた行為、でも、愛を知った椿にはその程度ではすまない。嗚呼、だからリツは止めたのか頭のどこかで冷静な自分が静観している。心なんて育まなければよかったのだ、と嘆く自分もいた。
(それ、は、)
本で読んだ、恋人同士でする神聖なものだと。それをなんでヤマトは椿のもののはずなのに。なんで、あの、少年に。
「や、いや…いや…」
ぼろぼろと落ちる涙はまるで幕。舞台の終わったプリマを引きずり落とす幕であった、見えない、遠くなって二人が、ヤマトが遠くなる。精一杯、精一杯の力でその光景を否定したくてもがくけどリツの力は強くて、離れられなくて。
「いやああああああっ」
喉が裂ける。今まで出したことないぐらいの懇親の叫び。いやだ、ヤマトは。ヤマトは。
「私の、なのっ…」
そんな心の叫びは、掠れた音となり、燃える華の灰のように消えていった。
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