「舞白兄様」
「おや、椿」
寝る直前、本当は今日はもう寝てしまいたいけれど、でも、疑問を解決せずに寝るなんてことはできなかった。胸に引っかかり続けるその感情。愛情の種類、入り組んだパズルのようで迷路のよう。でもどうやらそのパズルは自分一人で解けるようなものではないらしいことしかわからなかったために博識な兄の手を借りることを選んだ。
「その、相談があるの」
廊下を見渡して兄がいないことを確認して戸を閉める。兄にこの話は聞かれてはいけないと本能が告げるのだ。舞白は静かに微笑んで、椿の挙動から推測したのか窓を閉めて椿のためにお茶を入れてくれる。寝る前だから、お菓子はだめだよ、なんて母親のように呟いて座るのを促されれば舞白の前に座る。
「その、このことは誰にも言わないでほしいの」
「僕と椿だけの秘密、だね」
舞白の微笑みにどこか安心をしながら、ゆっくりと話し始める。心のどこかでは兄に聞かれているのではないか、という怯えもあるが、家の外で舞白と話すことなんてできない、だったら兄が離宮で寝ているこの時間しかないのだ。そうしてリツに話したことを含めて、リツに言われたことを含めて話し始める。ゆっくりと胸がドキドキして、世界が煌めくあの感覚がよみがえる。体が芯から熱くなって、目頭が熱くなって。でも、声は大きくならないように気を付けながら。話を終えれば舞白は静かにうなずいた、静かにうなずいて、目を閉じて考えて。その所作は昼間にリツがやった、教えるべきか教えないべきかの迷いにも似ていたがそれより暖かいものが感じられる。例えるなら、本の中で読んだ厳格な父親と優しい母親。どちらも暖かいけど、微妙に違う、微妙にその微妙なところを表現する方法を椿はまだ持ち合わせてはいない、いないけど、解る。
「愛情の種類…たしかに、それは」
「それは?」
首をかしげると難しいな、と苦笑しながら頬をかく舞白の挙動を見つめる。舞白はすぅ、と息を吸って覚悟を決めるようにうなずいて再度口を開いた。
「これはリツくんが言った通り、実感しないとわからないんだと思う、でも」
舞白は椿の胸を指差した。
「僕はきっと真なる答えは与えられない、けど、もう椿はいくつかその愛情の形を体験しているね」
指先から胸、直線的に何かが灯るような感覚。舞白の目に釘づけられる。自分はもう体験している?自分の胸を見つめて、手を当てる。
「ねえ、椿にとって僕とヤマトくんとリツくんは一緒かな?」
「違うわ」
それは断言できる。違う、存在の在り方が一緒ではない。舞白は知らぬ母親のようであり、リツはきっと世間的に正しい意味での父親的なものであり、ヤマトは。
(ヤマトは…)
舞白もリツも似ている、似ていて、近い。けど、ヤマトは確実に違った、舞白といても胸が高鳴らない、リツと手が触れても顔は火照らない。それを正直に告げれば、舞白はさらに柔らかく雪のように笑うのだ。
「それが愛情の種類だよ、椿」
言葉を区切って、その合間、一瞬さびしげに舞白が見えたのは間違いだろうか。だが、その疑問は舞白の言葉によって打ち消される。
「そして、ヤマトくんのような好きを抱ける人間は少ないんだ、その時に一人にしか抱けない」
だから、大事な気持ち。そう舞白は自分の胸の前で手を組んだ。ぽかぽか、ぽかぽか、椿も自分の胸に手を当てれば、そこには温度的な差なんてない筈なのに、来た時より幾分か暖かくなったような気がした、これが愛情の種類。舞白のこともリツのこともヤマトのことも好き、だけど、ヤマトの好きは特別。
(じゃあ)
兄様は?自分に問いかける。いつも不可解なものを余分なものを送りつけてくる兄のことはどうであろう、と。心から湧いてくる答えは皆無。強いて言うなら、そこまでされてるのにやはり不快という感情は抱けなかった、代わりに心の奥からじんわりと兄の在り方への疑問が思い浮かぶ。兄は何故母親を求めるのだろうか、兄は何故舞白を、椿を可愛がるのだろうか。兄は誰を愛そうとしているのか。疑問は尽きずに振っては湧く。
「椿?」
名を呼ばれて顔を上げれば舞白が心配そうに頬に触れてきた。
「あ、大丈夫よ。…だけど」
だけど。その先を紡ぐことはない否、紡げない。きっとこの答えは舞白も答えられないだろうから、舞白を困らせるようなことはしたくない、椿は不器用にこのとき初めて滑稽な作り笑いというものをしてみせたのだった。

舞白の部屋から戻って考えるは兄のことである。そういえば、この間買った本ではないが、以前何かの教養を学んだ時に推理小説の3つの要素、ということで小耳にはさんだことがある。幼い記憶ゆえにあっているかは分からないが。
フーダニット。犯人はだれなのか。
ハウダニット。どのように犯罪を成し遂げたか。
ホワイダニット。なぜ犯行に至ったか。
この三つが大事なのだと、そして教養の先生はこうも言っていた。
“小説はホワイダニットを大事にしない、だが、人と関係するうえで大事なのはホワイダニットである”
“それが理解できなければ、読者は犯人に共感できないであろう、だが、ホワイダニットを大事にしない小説ばかりだ”
その時は馬鹿らしいと流した、でもこれは大事なことなのではないだろうか。今回はフーダニットは兄である、ハウダニットは犯罪ではないからないとして、ホワイダニット何故そのような思考へ辿り着いたか。それが実は兄に近づく上で大事なのではないか。椿は思い立ったように布団から飛び出てペンを手に取り、ろうそくに灯をともす。
「兄様は…」
疑問を箇条書きにして、推理する。何故母親を求めるのか、母親に愛されなかったから、椿が生まれてその××が自殺してしまったから、どれも推論の域を出ずにぴんとこない。だけど、その中に正解がないとも言い切れない。後者なら椿を愛する必要はなく、きっと兄のその手で椿は命の火を消されていた、そして、兄は母親を嫌悪している。
(解らない…)
髪の毛が指に絡む。きっと兄の心を見つめなければ答えは出ないだろう。兄の、心を。
「…?」
そこでふ、と疑問に思う。ただの兄であるあの男のことを自分はどうして考えなければいけないのか、と。熱の灯った心がすーっと冷静になっていく。自分は何をしていたのだろうと、筆をおいて呆然とする。こんなことはする必要はない、兄は自分の理解できない遠いところにいるのだと、心を鎮める。すると、自然と疑問も霧散していった。筆をしまい、紙を倉庫の奥に押し込む。なにをやっていたのだろう、と。そうだ、明日もヤマトはくるのだ。明日も大学を見に行く約束を取り付けた、なら早く寝て準備をしなければ。
だけど、冷めた頭ではなく胸の中でその疑問は薄いぼんやりとした膜となって残り続けた。
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