1歩。運命は決された。
2歩。もうなにもかもが終わったのだ。
3歩。あとはこの一撃に全てを賭けるのみ。
4歩。願いの重さは剣の鋭さ。
5歩。ちはやの願いは確かに重い。
6歩。きっとその願いはこの世の何よりも純。
7歩。澄み渡っていて、きっとこの世の何よりも純粋だから。
8歩。耐えられなかったのだ。
9歩。残酷な真実に。
時間の感覚が薄まる。もう、半分だ。もう半分も歩いてしまった。椿はそのちはやの純粋たる悲痛な願いに、剣を穿たなければいけない。そして、この手に握られる剣は聖剣なんかではない。最も黒く、人の強欲な願いにまみれた剣であろう。だけど、椿はそれを捨てられない。大事だから、ヤマトが椿を目ざまさせてくれた、リツが道を舗装し、舞白と九十九が背中を押してくれた、その証なのだ。だったら、椿はその願いを成就させる義務がある。報わなければならない。
10歩。でも、そんなのは停滞している理由にならない。
11歩。それに気付いてしまった。
12歩。気付いたからには動かさなければ。
13歩。時間を。
14歩。失ってしまった空白の時間を紡ぎなおすのだ。
15歩。3人でじゃない、今度はいろんな人と。
16歩。そして、ちはやと。
あと2歩。そんなときにふ、と思い至る。嗚呼、それに今気付いてしまうなんて、なんて間の悪い。自分は存外にちはやのことが嫌いじゃないのだ、むしろ、色々なことに対して邪魔をしたり、手を出したりしてくるあの天邪鬼なちはやが可愛く見える。それは子供が好きな子に喧嘩を売ってしまうような、ほほえましく、暖かい。やり過ぎではあっても決して悪ではなく。さあ、この感情を簡単に、言い換えようではないか。
(私は、ちはや兄さんのことが好きよ)
ちはやがどう思おうが構わない。信じられないと叫ぶのなら時間をかけよう、時間をかけて椿がいなくならないことを証明しよう。今度は箱庭の椿でないけれど、自由に咲き誇る人間としての椿で傍にいよう。
17歩。運命は決される。
18歩。さあ、此処はもうカムランの丘だ。
バッとしゃがみながら振り向けば、ちはやもまた右側により横スレスレにたっている。
「お前は短気だと思ったんだがな」
ちはやが自分の顎に触れながら、いやな笑みを浮かべる。椿だって、ちはやが先に撃つと予想して伏せたのに、その予想はおおハズレだ。情報の足りなさを痛感しながらからからに干上がった喉を鳴らす。
「ちはや兄さんこそ、速さと力にモノを言わせると思いましたわ」
銃をお互いに向けながら、会話を紡ぐ。この均衡が崩れるとき、それはもうきっとどちらかが倒れるときだ。冷静に、相手の動きを、予備動作を、次の手を読みあわなければいけない。
「のう、椿。俺の作る箱庭の何が不満だ?今なら改善してやらないこともないぞ」
ちはやの悪魔の囁きのようなその言葉にくらっとしないでもない、だが、ちはやは恐らく甘言で丸め込んできっとまた椿を閉じ込めるだろう。そんなものにはもう引っかからない、もう何もかもを鵜呑みにする童子ではないのだ。
「なら、私の求めてるものを兄様が下さるのかしら」
カチ。フェイク、指に力を込めるフリをされても、動じない。
「ほお、兄が用意できるものならなんでも用意しようではないか」
お互いの指1本の動きが緊張を極限まで高ぶらせる。頭の中でなりっぱなしの警報なんてもう電池を切らしてしまっている。だが、このまま膠着を続けて不利になるのは間違いなく椿なのだ。力も速さも椿は全てにして劣っている。認めるのは悔しいが認めるしかない。だから、言葉を紡いで気を逸らすしかないのだ。
「ねえ、兄様。兄様の箱庭に抜けてしまっているものは分かるかしら?」
問いかけてみる。それは、気を逸らすための質問でありながら、ちはやに対して究極的に問いかけなければいけないことであった。自覚があるにしてもないにしても、ちはやがそれに気付いているかどうかが問題だから。…あの箱庭に抜けてしまっているもの、椿は外のピースを集めることでそれを実感した。あの理想郷はどうしようもなく、満たされているのに、どうしようもなく足りてないのだ。
「それが椿の欲するものか?」
「ええ、そうよ」
踵に力を入れながらちはやの目を視線で射抜く。
「物はそろう、働かなくてもいい、人にも困らん、…これ以上何を欲するのだ、椿よ」
風も吹いてないのに、ちはやのスーツが揺れる。ああ、このちはやは気付いてなかった。いや、もしかしたら気付いているのかもしれないが見てみぬフリをしているのだろうか。悲しい、答え。椿は地面を蹴る。
「ハズレかっ!」
ちはやの銃が椿を捕らえようとするが、テーブルに乗り上げて、迷走する。走る刹那、兄の銃が揺れる。椿を撃とうにも1発しかない弾が故に迷うのだろう、テーブルを蹴ってステージに降り立つ。そこを貰ったといわんばかりに、ちはやの弾丸が貫く---筈であった。
「通常、着地点を狙えば銃というものは確かに着弾するわ」
だが。
「この小癪な真似っ、誰の入れ知恵だ?」
椿には着弾しない、目の前でぱしゃっと液体のかかる音に唇をゆがめる。小癪、確かに小癪だろう。だが、ルールブックには書いていなかった。
「テーブルクロスを使うことは、ルール違反ではなくってよ!」
そう、テーブルクロスを思い切りちはやとの間に引っ張り上げ簡易的なバリアを作ったのだ。肩で息をしながら、シーツが床に落ちるのを待てば。
「っ?!」
「なら、これもルール違反ではないであろう?!」
シーツを逆手にとって椿は目くらましをされる。それを避けられるはずもなく、シーツを頭からかぶってしまう。そして、塞がれた視界を振り払おうとする。
「くっ…」
銃が真上に引っ張られる。ちはやの狙いが今になって読めた。ただの悪足掻きではなく、ルールブックには相手の銃で相手を打ってはいけないという言はなかった。ただ、弾に当たったほうが負けなのだ。ようは椿の銃が狙いだ。
「ほらほら、はよう渡せ!無駄な悪足掻きなどするな!」
シーツ越しなせいで、ちはやは強気にもかなりの力で銃を奪おうとしてきた。だが、椿も渾身の力で銃を守り通す。だが、銃身に込められる力は強く視界が塞がれている心理的不利はかなりのものだった。
(仕切りなおすしかないのっ…)
仕切りなおし、それは奥の手である。1回の戦いにて双方2発がどちらの体にも着弾しなかった場合にのみ、行われるアンコールゲーム。だが、ここで仕切りなおせば、今度こそなんでもありの戦いになってしまうという、不利な点が生じる。歯を食いしばりながら、奪われそうになる銃に必死に力を込める。
「は、足りないものなどない!お前のさっきの問答ははったりだッッ!」
ちはやの煽りを聞き頭に血が上る、悔しさから惨めさから。まるで外に触れ、得たものをすらなかったというような侮辱に。そして、そんな血の巡りは椿に一つの提案を寄越した。可も不可もなく、椿はただ、その血に実を委ねる。
「っ、あるわッ!」
銃を思い切り横に凪ぐ。すると、ちはやも予期せぬ動きだったのか、受身になろうとしたのか一瞬力が抜けるのを感じた。その隙に銃を握っていた腕に左腕で触れる。
「っ?!」
「あんたの箱庭には愛がないのよッ!!!」
それはあの満たされた箱庭において唯一欠如しているもの、この世を形作る第一の元素にして、椿がこの箱庭の外で知った多くの感情。そして、大声にひるんだちはやに強引に触れて、隙を作り出す。
“パァンッ”
あとは引き金を引くだけ。こうして双方の弾がこのステージから去った。ぐっしょりと、全身を汗がぬらす。心臓がばくばくと高鳴り、審判のコールが響くのが酷く遅く感じる。当たっていてくれ、視界が奪われた状況とはいえ、あの至近距離だ。当たっている確立は大いにある。そんなことを願っていれば、感じていた重みは消えて、シーツが剥ぎ取られる。
「椿嬢!」
ヤマトがシーツを剥ぎ取ってくれたらしく、一番最初に駆け寄ってくれたようだ。たかなる心臓をドレスの上から握り締めて、ヤマトを制して立ち上がり、ちはやを見る。すると。
「肩、有効範囲内。このデュエルの勝者にして覇者、主によって正しき願いと見初められたものは---」
1呼吸。たった、1呼吸おいて。
「イヴ!貴方である!」
審判の九十九が高らかに叫ぶ。その叫ばれた箇所を見れば、確かに、微かにちはやのスーツに茶色いものが付着していた。意識が、体と乖離して、ふよふよと脳内を漂う。初めて手に入れた勝利というものは、此処まで運にまみれていて、いいのだろうか。なんて勝者らしい思考も漂ってしまう、だが、勝ったのは事実なのだ。そうぼーっとしていると、不意にガンッという音で現実に戻される。
「は、たかがまぐれが何を言っている。こんなものは」
無効だ、そのちはやの言葉は九十九の部下によって向けられた銃によって遮られた。その先を言えば、その脳漿を散らすことになるとちはやも把握したのか、今にも臨戦態勢に移行しそうなおみまるを制して、ワインボトルを無言でラッパ飲みし始めた。
「では、イヴよ!貴方の願いをお聞かせください、貴方がこのゲームの覇者にして、この箱庭の新たな主!」
空気を読まない九十九の一言により、椿に視線が集まる。無論ちはやも。その目が語るのは、悲しみ。
“どうせ、お前は出て行くのだろう”
“おいていくのだろう”
“ついぞ、俺をにっくき兄を見放すのだろう”
普段は語られない本音、それは感じるものが愛を通してものを見る目をもっていなければ決して汲み取れぬもの。疲れているからか、普段の虚構が剥がれ落ちて見える。
「兄様、あの箱庭には絶対的に愛が足りないの」
ぽつぽつと語り始める、今、椿が思っていることを。
「確かに人が見れば羨むような、贅の限りをつくした生活だわ」
「でも、愛だけが綺麗に欠如している、いえ、壊れているのかもしれないわ」
頭の中に漫然と広がるものを文章化するのがとても、厳しくて頭に触れながらゆっくりと紡ぐ。
「…だから、椿とともに愛をまた、育てなおしましょう?」
それは命令ではない、いうなれば願い。ガタン、とワインボトルが床に着地する。ちはやの拍子抜けた顔は存外に可愛いもので、出て行くと思っていたことを裏付ける結果となった。
「春は桜を見ましょう、きっといつもと違うものが見えるはず」
「夏は海を見ましょう、澄んだ青さが目に痛いほど煌びやかなはず」
「秋はもみじを見ましょう、赤い紅葉はきっと兄様の姿に栄えるわ」
「冬は雪を見ましょう、手がかじかむまで遊んで、帰ってからは炬燵で暖を取るの」
そうささやかな願いを口にする、ちはやと共にいろんなものを見て、いろんなものを感じたい、そして愛を取り戻したい、育てなおしたいと。箱庭の中でじゃない、様々なものを、世界を拡張したい、と。きっと、ちはやにとってはそれすらも残酷なこと。でも、それでことを済ませてはいけないから。
静かにちはやの元まで歩み寄って、そっと手を差し伸べる。ちはやの呆然とした瞳の中に椿が写りこんで、何処か濡れているように感じてしまう。ああ、それとも濡れているのは椿の瞳だろうか。
「ちはや兄様、椿は…ちはやお兄様のことが好きよ」
真摯に告げる。ああ、椿のできる限りは此処まで。此処からはちはやがどうこの言葉を認めるか、きっと素直に認めはしまい。だけど。
「だから、この手をとってくださるかしら?」
この手をとってくれたら、きっと前に進めるであろう。


意識の端で、金属同士が触れ合う音がした。

/END
| ≫
- 17 -





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -