今まで意識しなかった世界が開かれた。細かいところに気をつければ、兄という人物は椿が受け取っていたよりかは遥かに人間らしい人であった。
食事を食べて眉を動かす。酒を没収されれば唇を噛む。舞白にはきつい言葉を吐きつつも、その手はなにか大切なものを撫でる手。今まで椿の中で兄の印象はお父様の代わりになりきれない代わり。嫌がらせばかりをしてくるいやな兄。ヤマトとの仲を邪魔して、ヤマトに何かとちょっかいを出す兄。だけど、それは例えるならサイコロの1面で転がせばまた別の面が見えてくる。
「…はあ」
「椿嬢、大丈夫です?」
「ええ、…ただ、ちょっと悩ましいわ」
あれからきっちり2週間でヤマトは復帰した。最初はお互いにぎこちなくなる部分もあったけれど、それとなくリツや舞白が間に入って、今ではこうして2人で出かけられるようになった。今いるのはヤマトの大学の図書館。静かで考え事をするにはうってつけの場所だ。そうして今の現状を分析を椿なりにノートに纏めてみている。兄の些細なところ、所作、変化。そして、予測の域を出ないが思考のトレースを。
「悩ましい、ですか?」
無言でこくりと頷く。その問題点はすぐに浮上した。いや、矛盾ともいえる。兄はどうしようもなく矛盾していた。
“お前は俺の華だ、この鉢植えから一生出ることは叶わんよ”
そういいながら酷く心配そうな顔を上から平常というペンキで塗りつぶしたような顔をするのだ。
“ほれ、椿。お前が今日も愛くるしいから、兄がぬいぐるみとやらを買ってきたぞ”
そういいながら傷ついた顔を平常というペンキで塗りつぶしたような顔をするのだ。だが、まだ、それだけならどうしようもなく矛盾、なんて言葉を使うほどでもない。此の中で共通して言えることがある、それは兄は椿に触れない。どんな酷いことを言うときも、椿を愛でるときですらだ。兄は椿に触れてこなかった。そして、思い返せば兄から椿に触れてきたことなんて数少ない。
「はあ…」
しゃーぷぺんをかりかりと動かしながら髪の毛に指を埋める。すると、ヤマトが目の前の席でノートを覗き込んできた。助けを求めるようにそんなヤマトを見つめても、ヤマトもお手上げといわんばかりに肩を竦めるのだ。そう唸っていると。
「あー!」
図書館に突如響き渡る大きな声。その声にびくりとしてしゃーぷぺんを取りこぼせばその声はだーっと走ってきて一言。
「ヤッくん浮気ー?」
「げ、しおちゃん…」
「げっ、とはなにさげっ、とは」
髪の毛をくりくりにした女…?男…?がヤマトに不躾な言葉をぶつけている。その様子は中々に不愉快ではあるのだが、それを椿に言う権利はあるのか、と寸でのところで黙っていると、その子は次にこちらをターゲットにいれた。じーっと、下から上まで値踏みされるような感覚。身構えながらその相手の反応を待つ。
「へえ、君、パーツが綺麗だね」
「は、はあ…」
パーツ、とは体のことをさすのだろうかとても不思議な物言いをする人物である。その視線に警戒しながらも、居住まいを正すと。
「椿嬢、あまり気にしないでください。うちの大学変わりモン多すぎるんで」
「え、ええ。そうするわ…」
「変わりモンってなにさー!もう!」
頬をぷくっと膨らませる人物がくるりくるりとして椿のノートをいきなり覗き込んできた。
「ふうん、ふむふむ…」
「な、なによ…」
「いんやー、なあんか難しいことやってるなあって」
にこっと微笑まれる。拍子抜けするほど毒のない笑み、それが第一印象。でも、それは彼の瞳を見てひっくり返される。常に情報収集を怠ることのない瞳はどこか兄を想像させるものがあった。だが、兄ほど執着的ではなく、頭の片隅にとどめる程度のソレだ。そんなことをぼーっと観察していると、ヤマトは突如声を上げた。
「そういえば、しおちゃん心理学科じゃなかったっけ?」
「え、そうだけど…?なあにー?悩み事?」
ふっふっふっと逞しく笑う彼に、ヤマトは理由をかなりぼかして輪郭だけ伝えた。すると、彼は椿をちらりと、今度は上から下まで睨め上げて薄い笑みを浮かべた。
「そっかあ、じゃあ、君がちゃんと材料を提出してくれるならお手伝いしちゃおっかなあ」
そんな彼の言葉を聞いた後ヤマトは彼の所属する心理学科がなんたるか、彼の軽いパーソナルデータを教えてくれた。聞かされた事実は少し意外、だけど、少しでも助言をもらえるのであればありがたいほか以外なく。
「え、ええ…お願いしたいわ」
戸惑いつつも椿がそういうと、目の前の彼の手が差し出された。
「朱織っていいます、君は?」
自己紹介を求められているのであろう、目の前の手をそっと握り返して言う。
「椿、というわ…」
「椿、椿ちゃんかあ…よろしくね」
朱織はそう狐が笑うように微笑んだ。

伝える情報は正確に。始まりから現在まで。朱織はメモを取りながら1時間に及ぶ長い話にいくつかの質問を返す。
「その夢は本当に夢だったの?」
朱織曰く、実はその予兆を知らぬ間に分析して椿の脳が打ち出したのではないか。つまり夢ではなく、かなり大規模な脳内演算の結果なのではないか、と。でも、椿にそんな能力はないし、聴いたこともない。それにようやく最近兄と向き合い始めたことを伝える。まあ、そんなことはいっか、と次の話題に移る。そんなことを繰り返して朱織は眉尻を下げるのだ。
「僕もやっぱり、どう止めたらいいとかはわからないや。ごめんね」
その言葉に、首を振る。いや、そもそもこんな面倒ごとに朱織はよく首を突っ込んでくれた、と。
「多分、その場その場で止めていくしかないんだと思う、でもね」
朱織はしゃーぷぺんを回しながら宙を見て言う。
「お兄さん?とは君が覚えていない些細なエピソード、トラウマと言い換えてもいいことがあるんじゃないかなあって」
エピソード、といわれても、どれが該当するかは分からなかった。そもそも、椿が思い出しているものに一つでも該当するものがあるのかすら少し危うい。
「まあ、分からないけどね。そこを握れれば、少しは進展するかも」
しゃーぷぺんを二度三度回して、朱織はばっと顔を上げた。
「やっば、みおくんとの約束だっ!ごめんね、椿ちゃん、ヤッくん。まともな力になれなくて!」
じゃあ、またね、ときたときのように風のように去っていったのだ。だけど、力になれないなんてそんなことはなかった。
「…ダメでしたね、椿嬢」
「いいえ」
首を振る、そんなことはない。椿はまたもや取り違えていた、此の問題は椿の知識、力を持って治められると。でもそれは大分分が悪い、だけど、知識外のことを取り入れられれば別だ。ことのつまりは椿一人で解決する問題ではないのだ、これは。
「朱織、だったわね…彼の言も視野に入れましょう」
点でダメなら面で、単発銃でダメなら散弾銃で、1人でダメなら力を借りて。そして、いま椿に必要な知識とは。
「舞白兄様に話を聞くわ、それと使用人にもね」
ノートの端に雑に書き崩して、ぱたりと閉じる。これは悲劇を止める物語。
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