リツにはヤマトを呼び出してもらって。会うのはかふぇ。あのときヤマトに選んでもらった洋服を着て、薄い化粧をして、精一杯着飾る。これがこの恋の終着駅。かふぇに入るのがとても緊張する、緊張して胸が痛くなって。まだ、振られてもいないのに涙が出そうになる。でもこれは結果の決まったデキレース。でもこれは、椿が全てを断ち切るための儀式。リツとヤマトにはそれに付き合ってもらっているほかないのだ。特にヤマトは何も知らずに、それを言われる。優しいヤマトのことだ、罪悪感に胸を覆われるであろう。申し訳ない、と顔を伏せて、泣きそうな顔をするであろう。
(ごめんなさい、これから私は)
貴方を傷つけるわ、胸中で謝罪を述べてリツとともにお店に入る。そして、その個室に行けば、仕事姿とは異なる私服のヤマトがそこに座っていた。扉の音に気付いたのか、顔を上げていつもの屈託ない笑みを浮かべている。好きだ、まだ、好きなのだ。改めて痛感する、逃げ出したくなる。これは椿だけの宝物としてもっていてもいいじゃないか、この感情は椿のものではないか、と。でも、リツは優しい笑みで背中を押して逃げ場を絶ってくれる、それはありがたい。椅子を自分で引いて、腰掛ける。
「その、ヤマト、久しぶりね」
「久しぶりです、えーと…」
ヤマトは気まずそうに、頬をぽりぽりと掻く。
「俺、なんかしちゃいましたか…?」
鈴を鳴らして首を傾げる彼は、自分がお叱りをうけると思っているのだろう。目が横に泳いでいる。それは疚しいことがあるのだろうか、とつついて話を有耶無耶にしてしまいたい気持ちを増幅させる。でも、そんなことは許されない。椿はいまにも泣きたくなる、心の中の獣を理性という檻で封じて首を振る。
「違うわ、貴方はなにもしていない、それは保障するわよ」
「それはよかったです…」
安心して胸をなでおろす彼。でもここからが本題だ。
「ねえ、ヤマト。私、貴方に今からとても迷惑をかけてしまうわ…だから」
言葉に詰まる。頭の中に台詞はあるのに、音を奏でるのに戸惑う。
「私の従者としてではない、ヤマトとして対応して欲しいの」
「貴方は私に怒ってもいい、激昂してもいい、哀れんでもいい」
それを心して聞いてほしい、とヤマトを見つめれば静かに頷いてくれる。なんとなくまじめな話だということは伝わったみたいで、事前にリツが頼んでおいてくれた飲み物が来れば、それにすとろーをさして、炭酸を見つめる。消え行く泡は椿の恋心であった。ぽつ、ぽつ、と消えていく。これからの椿のヤマトへの恋心。もう消え行くのだ、と自分自身に言い聞かせて、口を開く。これ以上引き伸ばせば、きっと逃げてしまうから。
「私は、あなたのことが好きよ。大好き、貴方の命だけじゃない」
「心が欲しかったわ」
ヤマトは目を見開く。驚愕、どう返せばいいか悩んでいるのかもしれない。次第に、冷静になってきたのか表情は暗くなり、下唇を噛んでいる。その目は、自分じゃ報えないと語っていて、それでもなお、椿を傷つけない方法を模索しているのであろう。
「貴方は、此処では従者ではないわ…だから」
生唾を飲み込み、涙を塞き止める。今の自分にはそんな権利はないのだから、今追い詰めているのは椿で、追い詰められているのはヤマトなのだから。きっと、今の椿は酷い表情をしている、でも、それを隠す努力をしなくてはならない、もう、ヤマトの愛に甘えるだけではだめなのだ。
「貴方の答えを聞かせて」
凛として告げる、それはプライド。どんな表情をしてても、貴方の答えを受け止めるというちっぽけなプライド。ヤマトは悩む、悩んで、顔を歪めて。そして、顔を上げるのだ。その顔は今にも泣きそうで、あの日護ってあげたかったヤマトを今椿が傷つけている事実が椿の心を蝕む。
「俺、…ごめんなさい。椿嬢の思いにはこたえ、られません」
語尾が小さくなる。知っていた結末、哀れみでも激昂でもない椿のプライドを尊重した答え。こんなときでもヤマトは優しいと思い知る。そして、存外に本人に答えを言われると衝撃はないが、ぼとりと心のどこかが抜け落ちる音がした。その心は抜け落ちてしまえば、もう戻ってこない。苛まれるのは喪失感。分かっていた、分かっていたではないか。だから、椿は言わなくてはいけない。ちゃんと、言ってくれた愛に報わなければならない。ぎこちなく、笑って。
「ありがとう、ヤマト」
これでやっと、前に進める、と。

リツの車に乗り込めば、張り詰めていた緊張の糸が一気に解けた。もう、泣かない、泣けはしない。その恋心に付随していた泣く、という機能さえ、もう抜け落ちたのだ。結果として、あのあと仕事は続けるけれど、2週間の休暇…という名のお互いの心の整理期間が設けられることになった。溜息をついて、終わったことを実感する。ヤマトが好きだ、好きだった。でも、叶わない。どんなに努力しても、無理なのだ。そして、自分はもう今後の行動を考えなければならない。もしかしたら、そう急かされているからそこまで傷つくことなく終われたのかもしれない。だが、それはいいのだ。自分の心についてもまた、知らなくていいことはあるのだから。
「お疲れ様です、椿さん」
運転席に座りながら、リツは優しく告げてくれる。ありがとう、とリツにも伝えればリツはこれまた微妙な表情をするのだ。なんと言葉をかけたらいいのか、でも、そんなものはいらない。むしろ、そんな言葉を言われたら今度は本当に泣き出してしまうかもしれない。だから。
「ねえ、リツ」
今後の行動について自分の手で足で方針を固めていかなくてはならない。騎手に休んでる暇はない、行動を起こさなくてはならない。
「兄様は私の行動に気付いているかしら」
きっとリツから見れば、現実逃避にしか見えないだろう。実際その意味も半分含んでいるだろうけど、でも情報を集めなくてはならない。リツはアクセルを踏みながら答える。
「違和感程度には感知しているかもしれません、全容を把握している可能性もあるかもしれませんが…少ないと見ていいと思います」
嘘偽りない感想に、ふむ、と頷く。その事柄は椿が行動を起こさなければ、つまり、永遠に兄の華であるのならば起こらない。でも、それは椿の敗北を意味する。もうただの兄の華ではいられないのだ、心を育んで、感性を恋心を手に入れたのだから。このまま飼い殺されるなんて御免だ。
「ふむ…」
唇を尖らせる、飼い殺されないためにはそれなりの行動を起こさなければならない。でも、行動を起こせば。
(起こせば…)
あの椿の発した言葉を思い返す。それは椿にとって予想だにしない未来であった。いや、言葉を変えよう。椿はこう思った、“そんなことが起こるはずもない”。だが、それは兄のことを一ミリも理解していなかったのだとあの会話で思い知った。今こそ、ホワイダニットに向き合わなければならない。でなければ、全てが終わってしまうのだから。
(頭が痛いわね…)
その未来を想像したくもなかった、でも、兄はどうしてそれを起こしたのか。
“舞白兄様を失い”
椿は思考をまわす、情報が少なすぎることに辟易する。でも。
“椿を失った兄様は”
絶対にそうさせはしない。
“消息不明となるわ”
これは新たな物語の一ページ。全ての未来をはっぴーえんどに導く一ページ。
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