意識が。形成される。浮上する。
「…椿、さん…」
顔を俯かせるリツの暗い表情。それは自分がさせてしまっているものだ。尚更、椿は後悔をする。それは教えてもらった、知識として植えつけられたものだけれど、でも、間違いはない。椿はいくつかの真実を手に入れた、もう白昼夢だなんて思わない。それはれっきとした事実であり、真実である。あの椿が嘘をつくメリットなんて存在せず、自分はその最悪を打ち破らなければならない。もう舞台を舞うプリマではない、ゲームを進める騎手なのだ。椿から与えられた知識、一つ目。
“この世界は、愛というルールに縛られているわ、その場外にいるのは貴方と”
もう一人の騎手だけ。そして、もう一つ。
“リツは言い出す気はあったわよ、ただ、椿という個がそれを受け止めきれないから、言えなかっただけ”
それもまた愛であった。嘘をつくことで椿を護る愛。だから、自分はその愛に恩を返さなければならない。でなければ、いつかリツも消えてしまう。それは傲慢で狡猾な愛の形、でも、まだ椿はそんな形でしか報えない。だから、せめて精一杯を。
「り、リツ…」
声が震える。あの時はいえた謝罪が口をついででない、それは軽い意味ではなく本当の謝罪で、椿が今まで行うことのしてこなかった行為。この言葉はこんなにも屈辱的で痛いものなのだと改めて思い知る。
「はい…」
叱りを待つ従者のように俯くその姿がさらに椿の胸を締め付けた。ごめんなさい、ごめんなさい。心の中ではこんなにいえるのに。何回か口をパクつかせて、こういうのは形が重要なのだと、思い至り、急いで起き上がりリツの前に正座をする。
「椿さん?!お体に触りますっ…」
「大丈夫よ」
急いで椿を寝かせようとするリツを静止すれば、リツも強くは出てこない。そうして、椿はリツの瞳を見つめて、覚悟を決める。生唾を飲みくだして、爪が食い込むぐらい拳を握り締める。お互いの間に少しズレた緊張の糸が張りめぐる。そうして。
「椿さん」
「リツ」
言葉が重なればリツは身を引いて先を譲る。また、気を使わせてしまった。
「…リツ、その…」
言葉が喉の先まで出かけている言葉が紡げない。音がかき消されているように、でも、やっと、やっとの想いで。
「ごめ、ん、なさい…わたし、は…」
段々のどのすべりがよくなる、口から出る懺悔はまだ、自己満足の域をでないものでもあるけれど。まだ、リツはそんな頑張りを認めてくれると甘えているのかもしれないけれど。
「貴方に八つ当たりをしてしまったわ…よく考えれば、私を傷つけないためだと分かったのに…」
三つ指をついて頭を床につける、謝罪のときの作法だと聴いた。
「椿さん?!」
「本当に申し訳ないことをしたわ…」
屈辱的だが、それ以上に椿の中ではリツの顔が見えないことが恐怖だった。怒っているだろうか、許してくれるだろうか、いや、謝罪は許しを請う行為ではない、頭の中で螺旋していく言葉を断ち切ってくれる言葉を待つ。
「お顔をあげてください、椿さん。こんなところ千羽陽さんに見られたら俺の首が落ちてしまいます」
そういわれ、顔をあげたとき見えたリツの表情は。
「りつ…」
微笑み。椿を萎縮させまいと、優しい表情を浮かべているのが分かる。申し訳なくも、そんな微笑に縋ってしまう椿もいるわけで。でも、それを言っては詮無きことそれに甘んじるのもまた愛ではないか、と解釈をする。例え、椿にとって都合のいい解釈でも、そう愛を通してみるしかない。

リツといくつかの言葉を交わして、謝罪をして。リツの謝罪も受け取った、「貴方には言うべきことでした」と。そして、リツへの謝罪以外に椿にはまだやるべきことがある。いや、この行為が終わってやっと自分は一歩を踏み出せるのだ。そんな大事なこと。だけど、椿一人の力じゃそれは行えずまた、行う勇気もない。そんな身勝手な行動ではある、だけどそれをリツにちゃんと説明した上で再度頭を下げる。請う。
「リツ、貴方の力を借りたいの」
「私に差し出せるものは少ないわ、だけれど差し出せるものは差し出すから…」
そんな懇願ですらリツは笑って受け止めるのだ、リツができることなら、と。リツは本当にデキた人間だと思う、無論、それは椿というA視点でしかなくBやC、Dで見れば別の見え方が浮かび上がってくるだろう。だけど、無差別に真実を暴く行為に愛はない。今回のことがあったように、優しいうそというのも存在するのだ。
「でも、椿さんに求めるものとは言いましても…」
給金なんて兄から散々貰っているだろう、いや、あって困るものではないが、きっとそれはこの形が変わってしまう。リツは悩みに悩んだ末にまた優しいことを言うのだ。
「今度俺と一緒にお菓子でも作りませんか?」
「そ、そんなのお礼にならないじゃない…」
唐突な優しさに戸惑い、そんな悪態をつけばリツは諌めるように言うのだ。
「椿さん、人の価値観…椿さんのいう愛の形は人様々ですよ」
「あ…」
また椿が大事なことを忘れ去ろうとしていたことに気付く、そして、そういわれてしまえば椿は反論できずに口を噤むしかない。なにも言い返せなくなり、少し頬を膨らませればリツは穏やかに目を伏せるのだ。
「それで、頼みごととは?」
リツの中では報酬問題は片付いたらしく、納得はいかないけれど渋々と本題を口にする。それは椿の物語の終わりであり、椿の新たな物語の1ページ目。本の中で言うなら始業式の桜舞う日。全てが始まり、全てが終わる。新しい物語を始めるための、最後の整理なのだ。それを行わないと椿は前に進めない。
「ヤマトへ告白するわ」
その言葉にリツは少なからず動揺の色を見せる、椿も自分自身でまだ揺らいでいる。自分から傷つきに行くのか、それはただの自己満足だ、合理性に欠ける。だけど、そんなこと関係はない。始まったものは終わらせなければならない、でないと、巡り巡って帰ってくる。後悔という形で。
“私は後悔を二つ抱えているわ、一つはヤマト自身へ告白できなかったこと”
寂しそうに笑うあの椿の姿が瞼の裏に映りこむ。言っては悪いが、あぁはなりたくない。なりたくないから足掻くしかない。無様でみっともなくても、椿は折れない。もう、絶対に。
「だから、私を見張っていて」
逃げないように、椿はまだ自分というものが正確に把握できない。どこかの歯車が食い違えば、きっと椿は逃げ出してしまう。だから、絶対に逃げないように固定をしていく。自分で自分を拘束する。言葉という制約で。
無論、リツは迷った。数分?十数分?流れる時間の中でリツは強い目で椿を見つめる。それは品定めのようだ、椿がそれに耐えうる覚悟があるのか。そして、また椿も見返す。もう私は大丈夫だ、と。そして、リツが空気を振るわせる。音によって。
「分かりました、…俺が貴女が逃げ出さないように」
まだ、言葉を悩む。それは本当に行ってよいのか、迷いはまだ胸中にあるようだ。だが、リツもまたその迷いを振り切って意思を秘めた瞳で頷く。
「貴女を見張ります」
椿は音もなく頷く。
「ありがとう、リツ、貴方の意思に最大の感謝を」


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