*明くる日
16/16

 1年前のこの日、貴方は何をしていましたか。

 そう尋ねられた時に正確に答えられる人がどれだけいるだろうか。ちなみに舞白はこの質問に答えられる気がしなかった。それはきっとこの質問が1年前でなく、半年前や1ヵ月前、あるいは昨日のことであったとしても同じなのだろうけれど。
 舞白にとって時間の流れというものは酷く曖昧だ。ふと気づけば、数日が経過しているなんてこともある。しかしながら、そのことに対して特に何も思ってはいない。他人からの指摘がないということは、大きな問題も起きてはいないのだろうし、そうであるならば、今すぐに何をしなければいけないというわけでもないのだろう。


 一つ瞬きをする。視界の中にあるのは見慣れた天井と家具。それらが自室のものであることを確認して、舞白はゆっくりと体を起こした。枕元に置かれていたスマートフォンを手に取り、電源をいれて日付を確認する。今日の予定は何だったか。そんなことを考えながら机の上にある卓上カレンダーへと目をやった。なんだか体が怠いような気がするが、そんなのはいつものことだ。
 結局のところ、カレンダーには何も書きこまれていなかった。それはつまり、今日が予定のない休日であるということを意味する。大きく伸びをして、舞白は寝間着にしている浴衣からいつもの袴姿へと着替えを済ます。とりあえず、朝食を済ませよう。
 静かな廊下を進み、台所の方までやってくると、そこには律の姿があった。
「あ、おはよう。舞白くん」
「おはようございます、律さん」
にこやかな挨拶に同じように返せば、律が満足そうに頷く。
「今からなら和食でも洋食でも作るけど、舞白くんの今の気分は?」
そんな質問に舞白は戸惑う。正直、食べられれば良いので、準備するのが簡単な方でお願いしますなんて返事をしたいところなのだが、そのような返事をすると律の表情が曇るということは学習済みだ。そこで舞白は考えた末にこう答えることにした。
「せっかくなので・・・、律さんのおすすめはどっちですか・・・?」

 一つため息をついて手にしていた書類を机に置く。そうして大きく背を伸ばせば、骨の軋む音がした。舞白は深く呼吸をしてからゆっくりと立ちあがる。少し外の空気でも吸おうと思い、部屋の襖を開けて外へ出る。向かう先はバルコニーだった。
 そっと扉を開けるとそこには先客がいた。
「舞、白・・・様?」
「あぁ、気にしなくて良いよ。少し外の空気が吸いたくなっただけだから」
先客・・・ヤマトは舞白を見て急いで手に持っていた煙草の火を消す。それを横目に見ながら本当に気にしなくていいのにと舞白はそっと笑う。
「椿はどうしてる?」
「部屋で過ごされてます。ドラマを観るそうで」
「あぁ、それで外で待っててって言われた感じかな?」
「はい」
ドラマ・・・少し前に興味があると言っていた恋愛ドラマだろうか。そういうものは作り物だからというかと思ったが、案外と気に入っているらしい。
「一回観始めるとしばらくはそのままだからね。ゆっくり過ごしていて問題ないと思うよ」
「ありがとうございます」
礼を言うヤマトに苦笑いで、どういたしましてと返しつつ、舞白はその辺に腰を下ろす。ヤマトが少し慌てたように椅子を持ってくるというが、舞白は少しの休憩だからと断った。
「いいよ。大丈夫。それよりも椿の話をもっと聞きたいんだけどいいかな」

 おやつ時になろうかという頃、千羽陽が呼んでいると聞いて離宮へ向かっていた舞白はその道中でやや小さめの人影を2つ見かけた。二度三度、瞬きをしてそれが見間違いでないことを確認すると、口元に小さく笑みを浮かべて、舞白はそちらへ歩を進める。
「2人ともこんなところでどうしたのかな?」
距離を詰めながら問いかければ、影がそれぞれに振り返る。
「ましろ!」
元気な声でマルが舞白を呼ぶ。その後ろからオミもこちらを見ていた。
「ましろ!これ!これみて!」
マルが指差す先には庭の池。
「黒いのいっぱいある」
オミもそう言って視線を池の中へ向ける。それに釣られて覗いてみれば、蛙の卵が産みつけられていた。
「あぁ、蛙の卵かな?」
「たまご?たべれる?」
「マル、たべちゃダメ」
「うん。オミの言うとおり、これは食べられないよ」
目を輝かせていたマルには少々可哀想かもしれないが、残念ながらこれは食べられるものではない。目に見えてしょんぼりと肩を落としたマルに、後でもらいもののお菓子を持ってこようかと言えば、あっという間に機嫌が直ったようだった。
「ましろ、これはいつ生まれる?」
視線は池の中に向けたままでオミが尋ねる。
「もっと暖かくなったらかな」
「あったかく?」
目をきらきらさせるマルにまぶしそうに目を細めて舞白は呟く。
「春が早く来るといいね」

 一つ欠伸を噛み殺して、目の前の書類に向かう。もう少しだけ進めておけば明日からの仕事もスムーズだろう。そんな事を考えていると控えめに舞白を呼ぶ声がする。
「舞白兄さま。少し入っても良いかしら」
それが椿の声だと気付いて、手にしていた書類はそっと机へと戻される。小さく呼吸を整えてあまり間をおかないうちに返事をする。聡い弟はきっと間があると忙しいと判断してしまうだろうから。
「どうぞ」
おおよそ弟にしか向けない柔らかな口調でそう返事をすれば、失礼しますという声と一緒に椿が部屋の中へ入ってくる。近くにあった座布団を勧めて、そこに椿が座るのを見届けてから声をかける。
「珍しいね、椿がこの時間にくるの」
椿が舞白の部屋を訪ねることは少なくないが、それは大抵が昼間のことで夕食を終えたこの時間に来るのは珍しい。
「そうかもしれないわね。でも、兄さまにお願いがあって」
「お願い?」
「えぇ。・・・ダメかしら」
「僕に叶えられることなら喜んで」
可愛い弟の頼みとあらば、叶えてやらないわけにはいかない。にこりと微笑んでそう返事をすれば、椿は嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、今日は一緒に寝てね」
「え?それだけでいいの?」
「えぇ。たまには良いでしょ?きちんと朝まで一緒にいてね、舞白兄さま」
ぽつりとあてつけなんて言葉が聞こえた気もするがそこは置いておいて了承する。
「珍しいね、本当に。でも久しぶりだし一緒に寝ようか」

 一つ、伸びをした。背筋が伸びる感覚が心地よい。昨夜は結局、椿と同じ布団に入り、2人でいくつかの話をして眠りについた。椿の部屋へ行く前に、椿が近くにいた古株の使用人に何か指示をしていたが、あれは一体なんだったのだろうか。まぁ、聞こえないように言っていたということは聞かれないようにしていたということだろうから、放っておくしかないのだけれども。
「おはようございます、舞白様」
そんなことを考えながら廊下を歩いていると件の使用人に出会った。
「おはようございます」
挨拶を返しつつ、舞白はせっかくだから聞いてみることにした。
「そういえば、昨夜会ったときに椿と何を話してたんですか?」
「昨夜・・・」
考えるような仕草をした彼に慌てて言う。
「あ、言いづらい内容なら大丈夫です」
「言いづらいなんてことはありません。少し、記憶を思い出すのが億劫な年になったというだけですよ。昨夜、椿様が仰っていたのは、舞白様と久々にゆっくりと過ごすので、千羽陽様がどちらかをお呼びになったとしても声をかけないように、と。そう申し付かっておりました」
「そう、ですか。・・・それで兄は?」
「一度、舞白様を呼ぶようにとの命令があったようですが、椿様からのご指示でとお伝えしています」
「分かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。それでは」
去っていくのを見送って舞白は小さく笑う。
「びっくりした。そんなに一緒にいたいと思ってくれたのかな?」

 一つ咳払いをする。別に喉が痛いわけではないけれど、今の状況には若干、頭が痛い。綺麗に整えられた応接室は、持ち主の趣味で華美に飾りつけられていたが、あまり上品といえるものではない。
「それで、今回の件はどうですか。引き受けていただけますか」
断られることなど想像していないのだろう。この部屋の主・・・今日の商談相手である、とある会社の社長は恰幅の良い体を椅子に沈める。
「誠に残念ですが、今回はご希望に副いかねます」
冷静にそう返せば、社長の顔がぴしりと固まる。そして数秒の後に真っ赤に染まった。
「なぜですか!?」
「こちらに利がないからです。残念ながら、店の利益にならないと分かっている仕事をお引き受けするわけにはいきません。こちらもお客様のご希望に尽力するため、店の基盤を重要視していますので」
「利がない?」
「えぇ。頂いたお話しをきちんと私たちなりに噛み砕いた結果としてそう判断いたしました」
「確かに途中の段階では少々無理を言っているかもしれないが、最終的に入る利益はもっとでかいんですよ!?」
「利益と比較した際のリスクが大きすぎると判断いたしました」
激昂する社長に対して舞白の対応はあくまでも冷静だ。
「こんな良い話を棒に振るなんて!!」
「失礼ながら良い話というのは其方の会社にとってではないかと」
「なんだと!?それはどういう意味だ」
「そのままの意味です、としかお返事のしようがありません。これ以上のお話しは無意味のようですので、これで失礼します」
「おい、ちょっと待ってくれ!まだ話は」
舞白が席を立つと社長が慌てたように舞白の腕を掴もうとする。しかし、それは傍に控えていたらしい律に阻まれた。
「裏のないお話ならいつでもお待ちしておりますので。それでは」

「舞白」
ふいに名前を呼ばれて舞白は目線を動かす。その先にいたのは千羽陽で、ここは彼の部屋であるということを思い出す。まぁそもそもの問題として意識して見るものはだいたいこの部屋と彼くらいのものなのだけれども。
「舞白」
何をするわけでもなく千羽陽を見上げていれば、再度名前を呼ばれた。返事をしろということなのだろうか。しかしながら、今の舞白にはその気力がなかった。気怠い身体を布団に投げ出している状態では、素早く動かせるのは目線くらいしかないというもので。
 焦れたように千羽陽の手が舞白の髪を掬った。普段は三つ編みにしているからそうでもないが、解くとその長さも量もそれなりにあるということを再確認させられる。まぁだからといってどうこうしようという気もないのだが。
 そうやってされるがままになっていれば、千羽陽の手が髪を伝って、舞白の顔へと近づく。耳を撫で、頬を撫で、輪郭をなぞっていく手がくすぐったい。目を細めてそれを受け入れれば、千羽陽はしばらく舞白の肌に触れた後で、その輪郭に手を添え、親指で舞白の唇をなぞった。まるで、つられて舞白の口が言葉を紡ぐことを期待するかのように。
「お前は俺をどう思っているんだろうな」
そんな呟きに対する返答は、確かに舞白の中にあったはずだが、言葉にはならずに沈んでいった。

「――です。いえ、―――いますよ、兄さん」





遅くなってしまいましたが、『青春メビウス』一周年おめでとうございます。このような素敵な方が集まる企画に参加させていただくことができて幸せです。この企画を通してたくさんの出会いがありました。たくさんの物語が生まれました。きっと、メビウスに出会ってなかったら、私は今頃、小説を書くこと自体やめていたのではないかと思います。
舞白くんを創ってくださったちはやさん、サイトを作ってくださった朱織さん、いつも私の創作に付き合ってくれて朔黒を創ってくれたhato.さん。そして、この企画に関わるすべての方に感謝を。本当にありがとうございます。そして、今後ともよろしくお願い致します。

2016.02.10 榊 舞白


   

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