*人魚姫
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 兄の考えは時として難解だ。
 舞白は自分を囲む巨大な水槽の一面に触れてため息をつく。目が覚めたら此処にいたわけだが、何がどうなったのかは理解できていない。
 白い襦袢を着せられ、腰骨よりやや上で絞められた帯は赤の兵児帯。帯というよりも飾りに見えてしまうのはきっと、足のつま先から帯のすぐ下までを這う赤い縄のせいだろう。縄が擦れないようにという配慮なのか襦袢の上から巻かれた縄はとても綺麗な縄目でそのせいか、纏められた足は最初からそうであったかのように見える。そうまるで魚の尾のように。
 ご丁寧に足の指先は別の何かで固定された上に縄が巻かれているようでこれでは、足を持ち上げることすら難しい。
 そんなわけで水槽の床に寝転がって天井を見上げていたのだが、そのままでは周りがよく見えないので体を起こすことにする。
 気を抜くと水槽の床を半ば這うような体勢になってしまうので、肘をついて状態を持ち上げ、その場にどうにか座る。
 そうしてみると、案外と水槽の壁の高さは低めで、膝立ちになれば顔が出るくらいのものだということに気づく。
 ふう、とため息をついた所で部屋の扉が開いた。
「舞白。気分はどうだ?」
入ってきたのは普段と変わらない様子の千羽陽。
「特に変わりはないです。でも、その・・・」
この姿は何かと問いたい所なのだが、あまりにも満足げな千羽陽の顔を見て言いよどむ。
「あぁ。そういえば、まだだったな」
舞白の様子を見て何かに気づいたらしい千羽陽が何か納得した様子で頷く。説明をしてもらえるだろうか。そんな舞白の淡い期待はあっさりと打ち破られる事になる。
 水槽の方へと歩いてきた千羽陽は、水槽の前に設置された操作盤へ手を伸ばす。
「今、楽にしてやるからな」
「え?」
意味が分からず、思わず出てしまった声と同時に聞こえたのは水の音。慌てて視線をやれば、水槽の端に取り付けられた管から水が流れ込んできている。すごい勢いのそれに舞白は目を見開く。足を完全に拘束されてしまった今の状態では泳ぐことは不可能だ。不安定な体勢故に浮くことも危うい。
「兄さん!」
助けを求めるように千羽陽を呼べば、歪んだ笑みが見える。
「大丈夫だ。確か話せる代わりに鰓呼吸ができないんだろう?水浴びのために水は入れるが、満杯にするようなことはしない」
安心しろと千羽陽は言うが、この状態で安心出来るはずがない。
 結局、水槽への放水は舞白が座った状態で胸の辺りまでくる水位で止められた。しかし、そのせいで、水槽の床に手をついて上体を傾けるという姿勢がとれなくなってしまい、舞白は水槽の隅に寄りかかるようにして座ることでなんとか体勢を支えるしかなかった。
 足の拘束、水槽、放水、鰓呼吸。放水が止まったことで少しだけ余裕のできた頭で現状を整理する。そこから想像できるものは何か。導き出されたのは随分と前に読んでいた童話。
「・・・人魚姫?」
ぽつりと呟く。そのままの上半身に対して一つに纏められた足。つまりは人間の上半身に魚のような足。思いつくのはそれしかなかった。
「泡のように消えたら大変だからな。まぁ、ここにいればちゃんとその姿なわけだし、問題もないだろう」
泡のように消える・・・ということは童話のように人間になって泡になるような道を辿ることのないように水槽に入れたということになるのだろうか。まぁ、半分とはいえど魚だから水槽に入れたという考え方も完全に否定はできないが。
 とりあえず、水槽を満たす水は適度に温かく、室内も適温に保たれているようなので寒いということはない。しかし、いつまでもこうしているわけにもいかないだろう。
 「舞白」
千羽陽が舞白の傍までやってきて手を伸ばす。逆らうことなく、水槽の壁の方へと体を向ければ、脇の下に手を入れて持ち上げられる。胸が水槽に押し付けられ、水槽の縁を脇で挟むような形で上半身が水槽の外へでる。
「兄さん、・・・濡れちゃいますよ」
襦袢はすでにびちょびちょで、結ばれていない髪も濡れてしまっているから、そこから落ちた雫が千羽陽の手を濡らし、ついでとばかりに床にも染みを作る。
「気にするな」
言葉が終わるのとほぼ同時に呼吸を奪われる。合わさった唇から漏れた吐息さえも奪われて息が苦しい。
 しばらくして呼吸が戻った頃には息が切れてしまっていて、上気した顔には朱が差していた。
「やはり水から離れると苦しいか」
そう言って、千羽陽は舞白を再び水槽の床に座らせる。そして、手で水を掬うと舞白の肩や頭にかけていく。何度も何度も繰り返されて、やがて、舞白はびしょびしょになる。体を支えるために両手で近くの縁を掴むようにしている舞白はそれを拭うことも出来ずに千羽陽を見上げる。そんな舞白の前髪をそっと分け、目の辺りの水滴を拭ってやって千羽陽は笑みを浮かべる。
「あぁ、これでいい」
それに対して舞白は困ったような顔をするしかなかった。





 「良い訳あるか!」
バンッと部屋の扉が開かれる。驚いて舞白がそちらを見れば律の姿。
「あれ?律さん?」
舞白が律を呼んでみるもそこから律の姿は消えていて、同時に派手な水音が響く。慌てて横を見れば、水槽に落とされたらしい千羽陽の姿とすごく黒い笑みを浮かべた律の姿が見えた。
「え?あ、兄さん!大丈夫ですか!?」
「舞白くん。いいから。そんなバカ兄貴のこと心配しなくていいから!それよりも舞白くんは大丈夫?」
「だ、大丈夫です。でも兄さんが」
「しばらく沈めないと正気に戻らないから放置でいいよ」
あっさりと言い放って律は舞白の頭を撫でた。





(童話性症候群のツイートを参考に)

 

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