*猫と静寂
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 月が高く昇った頃。舞白はそっと布団から体を起こした。そのまま、ふらふらと向かうのは普段使っている箪笥ではなく、押し入れの方。そっと開けて中から小さめの衣装ケースを出す。仕事や家のこともあって、和装をすることが多い舞白だが、洋服を持っていないというわけではない。もっとも、これらの洋服をいつもの舞白であれば着ようと思うことも少ないのだけれど。
 衣装ケースの中から、黒いズボンとシンプルなTシャツ。それからフードのついたパーカーを取り出して、寝間着に使っている浴衣からそれに着替える。髪はとくにまとめることもなくそのままで、衣装ケースの奥からおまけとばかりにスニーカーと靴下も取り出す。忘れてはいけないと、電源を切ったままのスマートホンと財布をポケットに入れて、そうして、こっそりと部屋を出た。
 玄関の方から出ると、夜間でも常駐している使用人部屋の傍を通ることになるので、なるべく裏へ裏へと少し遠回りしながら、屋敷を抜け出す。防犯カメラのある位置に関してはもとからだいたいは把握しているし、パーカーのフードを被って特徴的な髪の毛を中へしまって隠してしまえば、夜遅くに用があって屋敷を出る使用人にくらいしか見えないだろう。

 屋敷を出てしばらく歩いた所でフードをとれば、心地よい風が髪を梳く。電灯と月明かりに照らされた夜道はどこか明るいが、とても静かだ。そんな中を進んでいって、たどり着いたのは小さな公園。滑り台、ブランコ、鉄棒、ベンチ、そして小さな砂場があるだけの至って平凡な公園だ。
 中へ入れば、昼間は子どもたちで賑わう場所も、この時間では当然のように無人で静まりかえっていた。舞白は奥の方へ歩いて行き、ブランコに座り、そのまま小さくこぎ始める。体の揺れる感覚が心地よい。そっと目を閉じれば、視覚から入る情報が遮断されたことで一気に聴覚が鋭くなる。
 風が木々を揺らす音。ブランコが小さく軋む音。ふいにそれに混じってガサッという音がして、舞白は閉じていた目を開く。そして、音のした方へ目をやると、真っ白な猫が一匹。小さく微笑んで見つめていると、ゆったりとした足取りで猫が舞白へ寄ってくる。公園にいるということは、餌などの関係で人にも慣れているのかもしれない。
 足下にすり寄ってきた猫の頭を撫でてやる。嫌がる様子がないところからして、こういうことにも慣れているのだろうか。そっと手を伸ばして抱き上げてみても嫌がる様子がなかったので、そのまま膝に乗せてみれば、猫は少しして、舞白の膝の上で丸くなった。
 そっと優しい手つきで猫を撫でる。手のひらから伝わる暖かさに、あぁ生きているんだなと思った。

 どのくらいそうしていただろう。そっと顔を上げて公園の時計を見てみれば、結構な時間になっていた。名残惜しいがいつまでもここにいるわけにはいかないと、猫をそっと抱き上げて一度ぎゅっと抱きしめてから地面に下ろす。猫は舞白の足にすり寄り、そして来た時と同じ方へ消えていった。その姿を見送って、舞白もブランコから立ち上がる。
 ゆっくりと歩き出して向かった先は、こんな時でも独特の明るさを放っているコンビニ。店の中へ入れば、少々眠そうな店員の声が舞白を迎える。店内を進んでいって向かうのはペットボトルコーナー。中から手に取ったのは小さめサイズのお茶のペットボトル。それから、日用品のコーナーへ行って、しばらくぼんやりと眺めて、レジへ向かった。
 先ほどと同じく眠そうな声の店員がペットボトルをレジに通して値段を告げる。その料金をレジに置く時に視界に入るのは色とりどりのライター。そして、ふと顔を上げればその対であると言わんばかりに、レジの奥に置かれた煙草の棚が目に入った。しかしそこに視線が合わせられたのはほんの一瞬で、舞白の視線はすぐに店員が差し出すペットボトルへと移った。店名の入ったシールがついたそれはもう舞白のものだ。
 受け取ってコンビニの外へ出る。ぴったり支払ったのでおつりはなかった。レシートは元から渡されなかったが、必要ないので問題はない。歩きながらペットボトルの蓋を開けて、口に含む。喉を通る感覚が気持ち良くて、今更ながらに喉が渇いていたことに気づく。そのまま、ゆっくりと全てを飲み干して、ゴミ箱にペットボトルを捨ててまた歩き出す。

 ゆっくりと歩きながらようやく落ち着いてきた心で色々なことを思案する。
 あの企画は修正を加えて本採用にしよう。段々と暑くなってきたから暑さ対策をしないと。椿が買い物に誘ってくれたから日程の調整をしなきゃ。せっかくだし九十九にも何か贈ろうか。夏物の小物は若い人向けに普段使いできるものも取り入れよう。離宮の方の草木があのままではさすがにまずいから庭師に相談をして、兄さんを説得して。茶会の招待状も来ていたような。この間の件の抗議もそろそろ大きく出られる頃か。あの見合い写真の山も片付けないと。後は何があったっけ。あぁ、東雲とご飯を食べる時間も作ろうと思っていたんだっけ。
 繋がりもなく思いつく限りのそれらを並べては消していく。一度、並べておけばきっと、その時々にうまくやれるだろうから今はこれ以上、追求する必要もない。


 そんなことをしているうちに、舞白はいつの間にか屋敷に戻ってきていた。屋敷を出る時と同様に被っていたフードを取って、少し早足で自室へと向かう。その背中へ突然声がかかった。
「舞白様?」
舞白はその場で足を止めて、数度瞬きをしてから振り返る。そこには数年前から屋敷で働いている舞白と年の近い使用人の姿。
「あ、おはよう。見つかっちゃったか」
「・・・お出かけでしたか?」
「ちょっと変な時間に起きちゃって、近くを少し散歩してたんだ。そんなに遠くへは行ってないから大丈夫。でも、みんなに知られると心配かけちゃうから内緒にしておいて」
「分かりました。・・・でも、今度行く時は声をかけてくださいね。やっぱり心配ですから」
「そうだね。そうするよ」
小さく笑ってそう答えてから舞白は再び歩き出す。使用人に背を向けたところで表情はするりと消え落ちる。

 静かに襖を閉めてため息を1つ落とす。そして、部屋を出る前に来ていた浴衣に着替え直して、もう一度布団に入った。目を閉じれば暗闇に包まれる。
次に目を開けた時にはきっときちんと『今日』が始まるはずだ。


 

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