*束の間の休息
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 母屋の縁側の隅っこに座って空を見上げる。午前中は晴れていたのに、日が真上を通り越した辺りからぐずり始めた空はもう随分と暗くなってきている。これでは、降り始めるまでそう時間も必要ないのかもしれない。
 梅雨は紫陽花が綺麗で、たくさんの雨が降る。雨が続くのは少し苦手だ。今日もぼんやりと重い頭で庭を見つめる。紫陽花の葉の上にぽつりと雨粒が落ちて、そこからはあっという間に箍が外れたように空が泣き出してしまった。
「痛いなぁ」
ぽつりと呟いて、その場にぱたんと寝転がる。足を丸めて、手は無駄と知りつつも米神を揉む。ぐりぐりと押してみても、むしろ痛みを明確に拾ってしまうようで、重いままズキズキと痛み出した頭を床に預ける。少しばかり冷たい床にほっとする。
 雨が降ると気圧の変化による偏頭痛で頭が痛くなる。そして、もうずっと前の事なのに、体のそこかしこにある消えた古傷が痛みだす。ぱっと見ても何ともないというのにあの人からの仕置きでつけられた傷が痛むのだ。
「・・・もうずっと前なのになぁ」
そもそもどれも大した傷ではなかったし、皮膚の自己再生能力のおかげで、今となっては傷がどこにあったのかも分からない。それなのに、どうしてか呼び覚まされたそれのせいで頭だけでなく、体全体も痛いような気がしてくる。止むことのない痛みに耐えながら、その場から動くのが億劫になってきた舞白は、そのままそっと目を閉じた。

 千羽陽がそこを通りかかったのは本当にただの偶然だった。いつも通り離宮で過ごしていたのだが、酒が切れたのと暇だったのもあって母屋の方へやってきたのだ。律には見つからずに無事、調理場の傍にある保管庫から酒瓶を入手して、ふらっと向かった先は縁側。雨が降っていたから少し雨宿りがてら庭を眺めて飲むのもいいかと思ったのだ。
 目当ての場所について、真っ先に目についたのは横たわる弟の姿。
「舞白?」
呼びかけて少し早い歩調で歩み寄る。傍に膝をついて見たところ、眉間に皺は寄っているものの寝ているらしいことが分かる。普段なら、年相応というか、それより幼く見える無警戒の寝顔が見えるはずなのに、眉間の皺が邪魔で可愛くない寝顔になっている。
 そういえば、雨の日は気圧が変わるから頭が痛くなるのだと昔、舞白本人が困ったように言っていた気がする。眉間の皺の原因に思い至り、千羽陽はまず酒瓶が邪魔なので、舞白がいない方に置く。それからそっと、舞白の頭の下へ手を入れて持ち上げる。深く眠っているようで、反応のないその頭はなんだか重い。そのまま首の下へ手を入れて、もう片方の手は膝の下へ。庭の方を向くように横向きだった体を上へ向くように直しながら、そっと持ち上げる。
 自分の体に寄りかからせるようにして横抱きにして、忘れないように酒瓶を手に取る。身長の割にやや細い舞白の体を大事に抱いて、千羽陽はなるべく使用人に会わないよう、小雨になった中を離宮へ向かった。

 自室へ入り、入った時の襖は少し苦労しながらもきちんと閉める。部屋を出る時にそのままにしていたから、窓からはさっきとは逆の視点で中庭が見える。窓に近いところに胡座をかいて、その上に横向きに舞白の体を下ろす。上半身は千羽陽に寄りかからせたまま、頭は肩の辺りにくるようにしておく。
 寝る体勢の関係か、あるいは雨の降り方のおかげか、舞白の眉間の皺も今までよりも薄くなっているような気がする。
「お前はよく頑張っているよ。頑張りすぎなくらいだ」
面と向かっては言えない言葉をそっと落とす。誰かが拾う空間ではないから、このくらいなら大丈夫だろうか。
「十分にできているよ。店の事も家の事も」
ぐいっと酒を一口呷ってから、舞白の頭を撫でる。あんな場所で寝転んでいたのに、舞白の髪は変な跡などつかず、柔らかい。
「少しくらい休んでも大丈夫だ」
窓辺に置き去りにされていた櫛を手にとり、舞白の髪を解いて梳かす。三つ編みをしていたせいか、ゆるくウェーブのかかる髪の毛に櫛を通す。おそらくこれは、少し前にオミとマルが舞白に髪を梳かして欲しいといった時の名残だろう。
「体調が悪い時くらいしっかり自分を労ってやろうな」
 量のある髪を一房ずつ手にとって、ゆっくりとブラシをかける。艶やかな髪は櫛の通りも良く絡まることも少ない。櫛で梳いた後は髪を指に絡ませて遊ぶ。銀糸のような灰色の髪は手触りも良い。
 自分を責め立てることで、たくさんの仕事をこなす弟が少しでも休めるようにと、そっと抱きしめて、髪を梳く。

 雨はいつの間にか止んでいた。


 

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