*白に帰す
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 それは本当にただの偶然だった。今度、共同で商品の開発を予定している取引先の会社へ顔を出した帰り道。そこへ行くと決めた時点で定時に近い時間だったから、会社の前まで送ってくれた運転手にはそのまま上がるように伝えて。あまり人と一緒にいたいという気分でもなかったし、秘書をしてくれている部下は元より別件で同行していなかったので、終わり次第、自分で帰るからと伝えておいた。そんなわけで久しぶりに電車で帰途へついたのだった。
 屋敷に一番近い駅で電車を降りる。遅めの時間とはいえ、まだまだ駅には人が多い。仕事帰りのサラリーマンや、学校帰りの学生が舞白と同じように電車を降り、一斉に改札へと続く階段に吸い込まれていく。
 そんな中、不意に視界に入ったのは少し先を行く初老の女性。足が悪いのか、それとも体調が悪いのか、そのペースはやけにゆっくりで、周囲の人たちが面倒そうに避けていく。
 人波に飲まれないように、少し遅めに階段を下り始めたこともあって、波が過ぎれば、舞白の周囲は人がまばらになっていく。そのことに、ほっと息をついたその瞬間。女性がふらりと前方へ倒れていった。
 残っていた階段は3段。目に焼き付いた光景が確かならば、肩から地面へ落下していて、頭は打っていないはずだった。誰かの悲鳴が上がるが、女性はぴくりとも動かない。考えるよりも先に舞白は走り出していた。
「大丈夫ですか。聞こえますか」
女性の傍に膝をついて呼びかけながら、様子を確認する。
どうしたら良いんだっけ?気を抜くと緊張で動きを止めてしまいそうな頭をフル回転する。呼吸は、心音は、気道の確保は。思いつくものを思いついた順番にやっていって、今度は周囲を見回す。誰かに頼まなきゃいけないことがある。視線を巡らせば、ほとんどが逃げるように逸らされて。しかし、金髪にピアスをたくさんつけた青年が、視線の交わりに続いて口を開いた。
「あ、なんか無いッスか?できること」
「ありがとうございます。駅員さんを呼んでもらえると助かります。あと、可能であれば、救急車とAEDと・・・」
頭は凍り付いて真っ白になりそうだというのに口はよく動く。青年は頷くといつの間にかできていた人垣を押しのけて走っていく。やはり、人は見た目で判断してはいけないなぁなんてやけに暢気な考えが浮かんだのを最後にその後のことはよく覚えていない。

 気づいたら、救急隊が到着していて、何やらお礼を言われた。
「とても分かりやすい状況説明と適切な対処に感謝します」
これは、きちんと行動できていたということだろうか。
 ぐるぐると思考の繋がらない頭で、駅員にも状況を再度、最初から説明して、その場での『やるべきこと』を終えて、舞白は駅を後にした。
 改札を出て、歩き出した舞白の足は段々と速くなり、気づけば走り出していた。視界に入ったトイレに駆け込んで個室に入る。そして、そのまま胃の中身を吐き出した。

 気持ちが悪い。
 酸素が足りない。
   頭がぐるぐるする。
   脈がどくどく言う。
     どうなったんだっけ?
     何があったんだっけ?
   
 女性は無事であったのだろうか。
  自分はちゃんとできていたのか。
   間違いはちゃんとなかったのか。
    ちゃんと助けることはできたか。


ちゃんと、ちゃんと、ちゃんと、・・・ちゃんと?



 夕食をまだ食べていないこともあって出てくるものはほとんどない。それでも気持ちが悪くて、吐き出したくて仕方ない。息が苦しい。そんな中、頭に突然声が響いた。


『舞白!大丈夫。大丈夫だから。もう終わった。お前はちゃんとできていた。何も問題はないし、十分だ。だから、頼むから押しつぶすな』

押しつぶす?何を?だってちゃんと整理して自分をきちんと整理して、そして・・・

『それ以上、自分を殺すな!』

殺す?だって間違えたのはいらなくて、だから、ちゃんとした自分を、

『いいから、さっさと泣け!!』


 その言葉を聞いた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。ぼろぼろと頬を伝って落ちていく。どうして泣いているんだろう?もう色んなことがよく分からない。


 オーバーヒートした頭を涙が冷やしていく。それを感じながら、彼はため息をついた。まったく、どうしてこう自分を追い詰めるのか。きっと、周りから見れば、今日の舞白は冷静に行動をして女性を救った立派な青年だ。しかし、それはあくまでも周りから見た姿。
 実際の舞白自身は、色々なことに必死できっと何をしたかなんて覚えていない。そして、その緊張ともっと何かできたのではないかという考えすぎの自責感で自らの首を締めている。緊張のしすぎで混乱した頭で、女性を助けようと生まれた舞白を片っ端から殺して、もっとできたはずなのに、自分は結局何も出来ない無力な人間だったと自己否定をして、自分を落ち着けようとしている。
 そんな自分くらい認めてやればいいものをそれができないのがきっと舞白という人間なのだろう。
 いつまでもこんな汚い床に座っているのもあれかと、ゆっくりと立ち上がる。酸欠と水分不足でふらつく体をなんとか立て直して、さっと水道で顔を洗って、道中に水を買いながら屋敷を目指す。しばらくは奥に引きこもらせておいた方がいいだろうか。
 空になったペットボトルを近くのゴミ箱へ放って、深々とため息をつく。


 ・・・本当に難儀な思考回路だ。


 

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