*いつかどこかで
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 屋敷の中庭はとても広い。草木が生い茂る向こう側には離宮があって、他にも池や律のためにと作られた茶室がある。その広さに初めて訪れた人は時々迷うほどだ。
 舞白にとっては勝手知ったるというか、文字通りの意味で、自分の庭であるので迷うなんてことはないが、そういえば隠れん坊に向いた庭だったなぁなんて昔のことを思い出して小さく笑う。
 今日の舞白の目的地は律の茶室の裏側だった。そこには紫陽花が綺麗に咲いている場所があって、そこで静かに本でも読もうと思ったのだ。今日は律が休みの日なので中へ入るのはなんとなく憚られるが、せめていつもの休憩スペースである茶室の近くにいたい気分だったのだ。
 茶室の軒先に腰を下ろして、膝の上に広げるのはこの間手に入れたハードカバー。落ちてきた髪を耳にかけて、さて、と気合いを入れたところで、耳に届いたのはガサッと言う物音。
 何だろうと顔を上げれば、色とりどりの紫陽花の中にひょこっと黒い頭が見えた。
「え?」
予想外の事態に舞白は思わず声を上げた。今日は庭師が来る日ではないし、千羽陽や椿の髪色ではない。色彩として一番似ているのは律だが、今日は休みのはずで、しかもその頭は成人男性のそれとしてはやや小さい。
 ガサガサと音を立てて紫陽花が揺れて、その人物がゆっくりと立ち上がる。傷だらけで目つきの鋭い黒髪のその少年は幼くはあるが、律にとてもよく似ていた。

 「律、さん?」
思わず浮かんだ名を呼べば、少年が鋭さを増した目つきでこちらを睨む。
「なんで知ってるんだよ。というか、誰だよ、アンタ」
舞白の知る律とは違い口調が荒いが、どうやら彼も『リツ』というらしい。普通なら、不審者として屋敷の外へお引き取りを願うところなのだが、律によく似ているせいか、そうする気にはなれず、舞白は少し考えた後で小さく微笑んで返す。
「僕は舞白。君とよく似た知り合いの人が『律』という名前だから思わず呼んでしまったんだけれども、・・・君も『リツ』って名前なのかな?」
「そうだけど。・・・マシロはここの人?」
「そうだよ。ここに住んでる。あのさ、もしよかったらだけど、その、手当をしてもいいかな?その傷、見てるだけでも痛そうだからさ」
リツの頬の傷を指さして言うと、少し警戒した様子で舞白を見た後でリツがぼそっと言う。
「・・・別に良いけど。変な奴だな、マシロって」
「よく言われるよ」
良かったらここに座ってと、さっきまで座っていた場所を示して、舞白は一度茶室の中へ入る。勝手に入ってしまうのは申し訳ないと思いつつ、戸棚の中にある救急箱を手に外へ戻ると、リツが舞白の示した場所に座って庭を眺めていた。正直、この間にもいなくなってしまうのではないかと思っていたので、ほっとして声をかける。
「お待たせ」
ぴくりと肩が反応を示して、リツが振り返る。その表情は先ほどまでに比べて少しだけ警戒が薄くなったように思えた。
「少し染みちゃうと思うけれど我慢してね。それから、嫌だと思ったら言ってくれて良いから。無理に押し付けるつもりはないし」
そう断ってなるべく痛くならないように気を使いながら手当をしていく。普段、自分の怪我を軽く手当するようなことはあるが、最低限な上に、多少痛くても仕方がないのだと痛みを気にしないせいもあって、他人の手当をするとなるとどこか緊張する。しかし、リツは時々顔をしかめながらも、文句一つ言わずに舞白の手当を受け入れている。

 「はい。終わり。・・・ごめんね、あんまりうまくできなくて」
そう言って舞白は救急箱の蓋を閉める。
「・・・ありがとう」
「どういたしまして」
小さな声のお礼はそれでもしっかりと舞白の耳に届いた。

 風が2人の間を吹き抜けていって、先に口を開いたのはリツだった。
「マシロは何も言わないし、聞かないんだな」
「え?」
「普通ならこういう風に怪我をしてたら、喧嘩したのかとか、どうしたのとか、そういうことはやめなさいとか言うもんだろ?」
足をぶらぶらと前後に揺らして、視線をそちらの方へ落としながらリツが言う。その姿はまるで捨てられた猫のようで、舞白はなんとも言えない気分になった。こういうことを聞くと言うことはつまり、普段からそう言うことを言われているということなのだろう。
「うーん。リツくんは言われたい?」
「そういうわけじゃないけど」
「それなら言わない。言う必要もないと思うしね」
「なんでだよ」
「分からないから・・・かな」
舞白の言葉にリツがむしろそれが分からないというような顔をする。それを見て舞白は苦笑いをして付け足す。
「リツくんが何のために、どんな経緯で、どんな気持ちで、その傷を作ることになったのか僕は知らない。もしかしたら、大切な理由があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。それらを僕が完全に理解することはおそらくできないだろうし、決めつける気もない。だから、何かを言うつもりなんてもっとないよ」
「変な奴だな、ほんと」
「無責任なだけかもしれないよ?」
そう答えながら、舞白は心の中で思う。いつかこの少年を本当に理解しようとしてくれる人がいたらいいのに、と。
「・・・オレ、そろそろ行くよ」
「そっか。気をつけてね」
そう言いながら舞白は自然と、いつも椿にするようにリツの頭を撫でていた。
「ガキ扱いするんじゃねぇよ」
リツがむすっとしながら言う。しかし、その表情はどこか嬉しそうで。
「・・・Buona Fortuna」
最後にそう言って手を離す。名残惜しいがいつまでもこうしているわけにもいかない。
「なんて言ったんだ?今」
「内緒だよ。・・・本当に気をつけてね」
「心配しすぎだろ」
そんなガキじゃないって。そんなことを言いつつ、リツが立ち上がる。そして、そのまま紫陽花の方へ歩き始める。途中で振り返ったリツは最後に
「マシロって変な奴だけど、・・・いい奴だな」
と言って笑った。



「・・・くん。舞白くん」
はっとすると、目の前には見慣れた律の姿。
「・・・あれ?律さん?」
「こんなところで昼寝すると風邪引くよ」
「すみません。・・・今日はお休みじゃなかったんですか?」
さっきまでのは夢だったのだろうかと思いつつ、問いかける。
「うん。そうだったんだけど、少し用事があってね。・・・あれ?救急箱ってことはどこか怪我した?」
律と視線を合わせればそこには使ったまま置き去りにされた救急箱。
「いえ、その、怪我をした猫がいたんです」
舞白はそう答えて微笑んだ。





 リツが律だったとしたら、舞白の願いは届いたのだろうか。なんて都合のいいことを考えながら。
 

 

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