*望見の可能性
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 窓から差し込む日の光に千羽陽は目を覚ました。眩しさを警戒しながら開かれた目に映るのは正面で眠る舞白の顔。その目は閉じられていて、当然ながら表情もない。
「・・・舞白」
小さく名前を呟けば、それに応えるように舞白の目が開く。
「おはようございます、兄さん」
にこりと笑って舞白は言う。
「あぁ」
その笑顔に手を伸ばして、頭を撫でてやれば、目を細めて嬉しそうな顔をする。そして、
「そろそろ起きる時間ですよ」
と言った。舞白の言葉に、そうかと返して名残惜しいが手を引っ込めてゆっくりと体を起こす。そうすれば、同じように舞白も起き上がって、布団の上にきちんと正座をする。それを横目に見ながら千羽陽は着替えを済ませる。床に脱ぎ捨てられた服は舞白が拾って畳んでいくので、そのままだ。
「多分、今日も遅くなるだろうから、先に寝ておけよ」
「いえ。大丈夫です。気をつけて行ってきてくださいね」
「舞白」
「はい」
返事をする舞白はどこまでも笑顔で、落ち着いたその表情が何故か焦燥感を煽る。
「夜更かしは体に悪いぞ」
「兄さん、僕は」
「もっと自分に関心を持て」
言いかけた言葉を遮って、畳みかけるように言えば、舞白が困ったように微笑む。その顔に何も言えなくなって、千羽陽は部屋を出る。
「行ってくる」
「いってらっしゃいませ。お気をつけて」

 自室を出て、廊下を歩く途中でふと、庭の向こうの建物が見えた。離宮と呼ばれるそこは昔、千羽陽が生活をしていたところだ。しかし、父が死に、当主を継ぐに当たって、母屋へ移動してきたので、現在では使用人によって手入れがされているものの、無人に近い。
 そういえば、最近は忙しくて、あまり顔を出していなかったかということに気づき、千羽陽は脳内で今日の予定の最後に離宮に行くことを付け足した。

 古くから続く呉服屋と言っても、昔からのやり方だけを踏襲していく方法では、現代の日本において経営を続けていくのは難しい。昔から続く由緒正しく格式も高い呉服屋と、比較的安価ではあるが伝統的な和服店、それに若者にも受け入れられやすい和物の小物やアクセサリーを扱った店。そういった風に多角的な経営をしていくことが重要となる。
 執務室の机に積み上げられた報告書やら企画書に目を通して、会議や食事や、常連客の応対やらを外面の顔でこなして、そういう風にしているとあっという間に一日が終わる。
 就業時間をかなり過ぎた所で、ようやく机の上の書類を処理し終わって、千羽陽は椅子の背もたれに寄りかかって大きなため息をつく。
コンコン。
そこへ響いたのはドアをノックする音。
「何だ」
ようやく終わったところに新しい仕事はご免だと低い声で答えれば、
「その様子だと終わりました?」
開かれたドアから1人の男が顔を覗かせる。父の頃から仕事面でもそれ以外でもサポートをしてくれている彼は、しかし、千羽陽とそれほど年齢が変わらない。
「律か」
「そういう反応をするなら、夕飯から肉抜きますよ」
「ストレスにまみれて仕事してる俺から楽しみを奪う気か」
仕事はここまでで済みそうだという多少の安堵もあってため息混じりに名を呼べば軽口で返される。他にないこういう関係性は気楽で良い。
「・・・まぁ、とりあえず仕事が終わったなら屋敷の方へ戻りましょうか。離宮に顔を出すんでしょう?」
「あぁ」
そもそも連絡して呼びつけたんでしょうがと呆れる律をそのままに千羽陽は机の上をざっと整理して、荷物をまとめ、執務室を出た。

 屋敷へ戻り、出迎えた使用人たちには適当に返事をしつつ荷物を預けて向かう先はもちろん離宮。中庭を通り、少し歩いた所でその入り口が見える。少し後ろをそのままついて来ている律にちらりと視線をやれば、
「ヤマトに用があるだけですよ?」
先読みしたかの様にそう返される。なんとなく、むっとして無言で離宮の中へ入る。
「お帰りなさいませ」
入り口には1人の男が立っていて千羽陽と律を出迎える。彼が先ほど、律が名前を出したヤマトであり、離宮の管理を任されている。まぁ、正確に言えば、離宮全体というよりも、その中に在るものの世話人ということになるのだが。
「変わりは?」
「ありません。決まった時間に食事と水分を提供しておりますが、今日も全量を摂取されています」
「呼ぶまで2人とも席を外せ」
いつもと変わらない報告を聞いてから、そう言い置いて奥へと進む。背後で律は軽く頭を下げ、ヤマトは大きく頷き深く頭を下げていた。
 離宮の奥の部屋。昔、千羽陽が使っていた部屋にそれは在る。襖を開ければ、正面には贅を尽くされそれでいて品のある椅子が見える。そこに咲くのは椿だ。椅子に行儀良く座る中心を起点に上下左右へ伸びる枝はしなやかで、そこかしこに深紅の花を咲かせる。
 普通に椅子を畳へ置いてしまうと、下の方の枝が上手く伸びないので、椅子は一際太い幹たちを利用して空中に浮いているようになっている。
「綺麗だな」
ぽつりと呟くと、それに応えるように枝が揺れ、中心にも赤みが差していく。その振動でいくつかの花が落ちたが、花がいくつか落ちたところで、他にもたくさんあるので、その美しさは増すばかりだ。
 襖を閉めて中へ入り、足下に落ちている花を1つ手に取って腰を下ろす。手のひらに乗せた花は、千羽陽の体温に触れた瞬間にさらさらと砂に形を変えてやがて消えていく。空っぽになった手から再び、正面に視線を戻して、千羽陽はしばし、その綺麗さに見惚れていた。

 千羽陽が離宮から母屋に戻った頃には、随分と夜も深まり、日付が変わろうとしていた。食事を取り、風呂を済ませて自室に戻る。襖を開けて中に入り、明かりをつけると、部屋の隅の方に舞白が座っていた。
「舞白」
「おかえりなさい、兄さん」
声をかければ、ゆったりとした動作で顔を上げた舞白が笑顔で応える。
「待っていたのか」
「はい」
にこにこと笑う舞白に何故か違和感がある。
「舞白」
「はい」
呼べば返事をする。
「舞白」
「はい」
「・・・舞白?」
「はい」
違う。返事しかしないのだ。そのことに思い当たった瞬間、たくさんの違和感があふれ出す。


なぜ舞白は返事しかしないのか。
なぜ自分が当主なのか。
なぜ自分は母屋に住んでいるのか。
律はあんな喋り方だったか。
なぜヤマトが離宮にいるのか。
なぜ椿は――ているのか。
なぜ舞白がここにいるのか。



「舞白。こんな時間まで起きていて大丈夫なのか?」
「兄さん。僕は睡眠を必要としませんよ。・・・そう、―――ていますから」





窓から差し込む日の光に千羽陽は目を覚ました。眩しさを警戒しながら開かれた目に映るのは正面で眠る舞白の顔。
「・・・舞白」
小さい声で呼んでみても舞白が起きる様子はない。
「舞白」
もう少し大きな声で呼んでみると、舞白が身じろいで、ゆっくりと目を開ける。
「ん。・・・どうか、したんですか?」
眠そうにそう問いかける舞白の表情は見慣れたそれで、千羽陽は何故かとても安心する。そして、目の前の舞白の体を強く抱きしめる。
「兄さん?何か怖い夢でも見たんですか?」
耳元で問いかける声が心地よい。無言で抱きしめ続けていると、舞白は苦しいですと言いつつも、千羽陽を軽く抱きしめかえして、その髪をゆっくりと撫でる。
 そんなことをしてゆっくりとした時間を過ごしていると、
「さっさと飯食いにこい馬鹿兄貴!舞白くんもそろそろ準備したい時間だって言うのに、暇なあんたが急がしい弟にいつまでも甘えてんな!」
襖が開かれ律が入ってきた。
「あ、えっと。おはようございます、律さん」
「おはよう。舞白くん。急に入ってきてごめんな。さっき、秘書さんから電話があって少し早めに来て欲しいらしいんだ。それどうにかしておくから、準備しておいで」
律の言葉に舞白は二、三度瞬きをして状況を飲み込むと、ぎゅっと一度強く千羽陽を抱きしめてから、
「分かりました。すぐに準備します。・・・すみませんが、兄さんのことお願いします」
と返事をして起き上がる。
「すみません。兄さん。先に行きますね」
そう言い置いて舞白が部屋を出て行く。
「そんなわけでさっさと起きてこいよ。片付けできなくなるだろ」
普段ならいらつくその物言いに安心したのは果たして何故だったか。千羽陽はどこかすっきりとした気分でしかし、ゆっくりと体を起こして、1つ大きく欠伸をした。


 

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