*木を隠すなら
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 目の前に置かれた白い画用紙に視線を落として、舞白はただじっとしていた。別にそこにいろと言われたわけでも、おとなしくしていろと言われたわけでもなく、むしろ言われた内容に応えることができなくて、ただ目の前の白を見つめていた。
 その向かい側に座っているのは、シンプルではあるが地味ではない、仕事に適した服を身に纏った女性。にこにことした笑みは、優しさを持っていて、舞白への敵意がないことを表現していた。
 しかし、そんなことは大した問題ではないのだ。別に女性が近くにいようがいまいが関係ない。問題は女性の出した指示だった。
「思うままでいいから、ここに木を描いてみてくれないかな」
いつものように父に呼ばれて兄の様子を見に来たらしい新しい医者と共に屋敷を訪れたその女性は、自分がどういう職種の人間であるかを説明して、それから、気楽にやってくれればいいからと、白い画用紙を差し出したのが、もう15分くらい前の話。
 学校から帰ってきて、今日は稽古事のない日だから、予習や復習をしておこうと考えていた舞白にとってはあまりにもいきなりな話で状況把握が追いつかない。中学も後半戦に入り、勉強の難易度も少しずつ上がっているというのに。
「そんなに難しく考えなくても大丈夫だから」
そのように付け足して、女性が示すのは画用紙から少し離れた場所に置かれた色鉛筆。たくさんの色が揃っているのに、そこに白はなくて、少しだけ寂しく思う。ちらりと伺えば、女性の視線はしっかりと舞白を捉えていて、居心地の悪さを感じた。そして、いつまでもこのままでいるくらいならと、舞白は色鉛筆に手を伸ばす。白はないから、せめてもと灰色のそれを取って、軽く握る。

 改めて見た画用紙はシミ1つない白で、それを前に舞白は考える。どんな木を描こうか。・・・否、どんな木を求められているのか、と。
 舞白は絵を描くことが苦手だ。絵は全体像を把握しやすいから。目敏い人ならば、すぐに問題点を指摘してしまうから。そうやって色んなことを気にしすぎてしまって、いつも描けずに終わる。
 学校の美術は、筆記試験で挽回できるから、どうにか真ん中の評価をもらっているが、どんなに満点に近い点数をとっても、それ以上の評価をもらえないくらいには絵が上手くはないということなのだろう。その事実も絵を描くことへの苦手意識を高めているのかもしれない。

 舞白はまず、画用紙の下から1/4位の所に線を引いた。緊張のせいか、上手く線が引けず、細い線になってしまった。しかし、一応は地面として見えないこともない。凸凹とした線も地面らしさということで説明がつくだろうか。
 地面を描けたから、次は木自体を描かなくてはいけない。しかし、大きい木を1本だけ描くとその雑さというか下手さが目立ってしまう気がしたので木を並べて描いていくことにする。小さめの木を並木のように左右対称になるように描いていって、気づけば、なんとなく画用紙の左側へ寄ってしまった気もするが、これでも良いだろうか。
 そういえな、今は秋だから、通学路にある銀杏並木のようにしよう。そんなことを思いついて、下に落ち葉を描く。せっかくだから他の色を使おうかとも思ったが、また色で悩んでしまったら面倒なのでやめておく。
 木についたままの葉も描いて、何となく葉脈も描いておく。大きめの葉に覆われた木の幹はそれぞれ膨らんでいたり、くびれていたりして、枝先が紛れて見つけるのが困難となり、互いの存在を隠し合っているようだ。

 一度、手を止めて描き終わった絵を見てみた。どうにかぱっと見で問題は発見できない程度の絵にはなったが、どうすべきか。ぼんやりと画用紙を眺めて、ふとその右側が空いている事に気づく。
 中心点が左に寄り、なおかつ左右対称になるように並木を描いていたせいで右側が少し空いてしまったのだろう。
 ここにも木を描くべきだろうかと、舞白は1つため息をつく。そして、ゆっくりと木を描いた。それは1本だけの木で根元を大きめの石で支えられている。幹の樹皮には流れる水のような模様を描き込み、細かい枝を描くのは難しいから、大きめの枝を描いていく。思いの外、上手く描けた枝に満足したので、葉は描かないでおく。よく見れば、なんとなく、枝が下へ垂れ下がっているようにも感じてきたが、一度は気に入った物であるしと自分を納得させる。

「お待たせしました」
そうやって描き終えた木の絵を舞白は女性に渡す。女性は、安心したように微笑むと
「ありがとう」
と言った。果たしてそれが、画用紙に舞白が絵を描いたことに対してなのか、それとも彼女の研究のサンプルになったことなのかは判別がつかなかったけれど、離宮の方角から聞こえる騒がしさからして、この女性に舞白が会うこともないだろうから構わない。
「いえ。時間がかかってしまってすみませんでした」
舞白の答えにそんなことはないからと、重ねて礼を言うと、女性は部屋を出て行った。後に残された舞白はすぐ横に置いてあった本を手にとる。カバーのかかった本なので中身を外見から察することはできない。
 その本を読みながら、舞白は小さく呟く。
「思い出しながら再現して描いてみて、自己分析というのもありかな」
その呟きは舞白しかいない室内には響いたが外へ出ることはなく、消えていった。


 

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