*とある昼下がりに
33/33

 朝、目を覚ますとなんだか頭がすっきりとしていて、昨日は早めに布団に入ったんだっけなんてことを考える。答えは残念ながら記憶に無かったけれど、結果として体調が良いのなら問題はない。
 この間は、起きたら声が出なかったなんてことがあったせいで、しばらく好みの辛めの料理も控えるように言われてしまっていたこともあって、ついつい朝起きると自分の声と体調を確認してしまう癖がついた。
今日は、声は昨日と同じく完全には治りきらない普段よりほんの少しだけ低いものだけれど、それが気にならないくらい、やはり体調は良いようだった。
布団の上で1つ伸びをしてゆっくりと体を起こす。いつもの和服に着替えて廊下へ出れば良い天気だった。梅雨という季節柄、ここの所は雨が続いていたが、今日は間の晴れ間らしい。
そんな気持ちの良い日で、なおかつ休日だということもあって、舞白はちょっとした用事を済ませに外出することを決めた。普段なら、休日というと部屋で本を読んだり、椿と話をしたり、律の茶室に行ったりと、屋敷内で過ごすことがほとんどなのだが、たまにはそれもいいだろう。
 部屋でいつもの和服から洋服に着替える。仕事用でたまに使用するスーツではなく、もう少しラフな服装に。とは言っても、淡い水色のカッターシャツに薄い灰色で薄手のカーディガン、それにチノパンという程度の格好なのだけれど。
 財布や用事に必要なものをバッグに詰めて、それから、ふと思いついて、机の引き出しを開ける。そこから小さめの箱を取り出して蓋を開ければ、中にはピアスがいくつか入っている。その中から、丸く切り出された紫色の石のシンプルなピアスを取り出して耳につけ、残りはしまっておく。
 準備を終えれば後はでかけるだけなのだが、さすがに誰にも何も言わずに出かけてしまうと問題だろうから、玄関に向かうついでに近くを通りかかった使用人に、私用ででかけるけれどそんなにかからず戻るという旨を伝える。1人で平気かという質問に、遠くへはいかないし、自分も成人した人間だからと答えて、舞白は屋敷を出た。

 案の定、用事はそれほど時間がかからずに済んだ。これ以外には特に用事もないので、あとは屋敷へ戻るだけ・・・なのだが、帰り道にふと舞白の目に入ったのは、昔から贔屓にしている古本屋。
 高齢の店主が趣味でやっているというそのお店には他にはない本があったり、普段買っていく本の傾向から、新しくオススメをしてくれたりととても良い店なのだ。腕時計を見れば、まだ昼前。少しの寄り道くらいなら良いかと、進行方向を変えた。

 結果から言えば、寄って正解だった。以前、店に行った際に今度オススメしたい本があるからと店主が言ってくれていた本が入荷されていたのだ。しかも、少し古めの本にも関わらず状態が良い。今日は良い日だなぁなんて思いながら、歩き出そうとしたところで、気になってしまうのは古本屋の丁度向かい側にある本屋。
 何か新刊は出ていただろうか。そんな風に思考が本のことに向いてしまえば、足は簡単に動いていって、気づけば、少し重いくらいの量の本がお買い上げされていた。

 舞白は手にした本を大事そうに抱えて、町中を歩いて行く。本屋でも興味深い本を見繕うことが出来たので、読むのが楽しみだ。早く読みたいな・・・なんて思っていたところで、ふと耳に届いたのは駅前に設置された時計の音。軽快なメロディが伝えるのは、正午を2時間ほど過ぎているということ。
 思ったよりも時間が経っていたんだということに気づくと同時に脳裏に浮かんだのは、以前、律に言われた休日でもきちんと3食食べないといけないという話。それを守るにはそろそろ軽く何か食べておかないと、夕飯に響いてしまう。
 舞白はキョロキョロと見回して、ふと、目に入った喫茶店で昼食をとることにした。表通りから少し中へ入ったところにあるその店は、中に入るとコーヒーの良い香りがする落ち着いた雰囲気の空間だった。
 奥の方にある1人掛けのソファーと小さめのテーブルという席に案内される。天窓からの光が心地よい場所だった。舞白は良い店を見つけたと小さく笑ってメニューを開く。その中に並ぶメニューも昔ながらの喫茶店というもので、手書きのメニューからして、歴史のある店なのかもしれないと感じた。
 時間をかけて丁寧に淹れたであろうコーヒーと卵焼きのサンドイッチ、それにサラダとスープというランチセットは、それほどの時間をかけずに舞白の前に用意され、コーヒーはお代わりが自由であると告げられる。
 食事を終えて、食後にもう一杯コーヒーを飲みながら、手を伸ばすのは古本屋の袋。どうしても、気になってしまうのは本好き故に仕方ないだろう。

 読み終えた本を閉じて、ついでに目を閉じて深呼吸をする。一度に入ってきた情報をゆっくりとした呼吸に合わせて落とし込んでいって、少しして目をゆっくりと開く。数回、瞬きを繰り返しながら余韻に浸って、あぁ、やっぱり本は良いなと思う。同時に無意識的に緩んでいく頬をそのままにテーブルに置かれたコップを手にとる。やや冷めてしまったコーヒーはそれでも美味しくて、さすがだなと思いつつ、視線を上げれば店内が優しくも人工的な光に照らされていることに気づく。
 まさかと思って視線をさらに上へやると天窓の向こうは真っ暗で、腕時計を確認するとかなりの時間が経っていた。慌てて、残りのコーヒーを飲んで、本を片付け会計を済ませる。
 長居してしまったことを詫びれば、初老のマスターはむしろ嬉しそうにまた来てくださいねと言ってくれた。おそらく、舞白が本に集中している間にも何回かコーヒーをいれに来てくれていたのだろう。私のコーヒーで趣味に没頭できる時間を作るお手伝いができたならそれだけで嬉しいと付け加えてくれたマスターに心からのお礼を言って、舞白は店を出た。

 喫茶店に思ったよりも長居してしまった。いつもならもうそろそろ夕飯を食べ始める時間だから早く帰らないと遅れてしまう。足早に人通りの多い道を進んでいって、しばらくすれば、屋敷の門が見えた。
 ・・・しかし、何やら門の辺りが騒がしい。何かあったのだろうかと門に近づいて、一番近くにいる使用人に、ただいま戻りましたと声をかければ、すごく安心した顔をされた。曰く、あまりにも帰ってこないので総出で舞白を探していたらしい。
 聞けば、もう少し見つからなかったら、九十九にも正式に連絡をいれて人数を増やして探すつもりだったとのこと。どうして成人した男が1人、たった半日出かけていただけでこんなにも大事になってしまっているのだろうかと、舞白は思わず苦笑いを浮かべた。
 スマホにも連絡を入れたが繋がらなかったという言葉を聞いて、ポケットにしまっていたそれを出してみれば、電池が切れていて。さすがのこれには言い訳が出来ず、謝るしかない。
 しかし、腑に落ちないと理由を聞けば、皆、口を揃えてふらっといなくなってしまったのではないかと思ったと言う。そんな方向音痴ではないし、そもそも、自分は出かけることを伝えてから出たはずだと主張するも、そういう問題ではないと返される。では一体、どのような問題なのか。

 その後、律に怒られ、やまとや椿に心配され、本当に何故そこまで大事になってしまったのかと首を傾げていると、食事が終わるまで何も言わなかった千羽陽が舞白の手を引いてそのまま離宮へと連れて行った。
 何事だろうかとおとなしくついて行くと、自室の畳の上に座った千羽陽の膝の上に手を引かれ向かい合うように座らせられる。不思議に思って普段より距離の近い千羽陽の顔を見つめれば、強い力で抱きしめられ、ぼそっと、ふらっといなくなるなと言われる。
 その言葉がすんなりと入ってこなくて、舞白は数度、瞬きを繰り返す。そして、くすくすと笑うと、肩に埋められた千羽陽の髪を撫でながら、こういった。

「そんなに簡単にいなくなったりしませんよ、兄さん」





「あ、そういえば、美味しくて落ち着く喫茶店を見つけたんですが、律さん良かったら今度一緒に行きませんか」
「それは良さそうだね。ぜひ一緒に行かせてもらうよ」
「どうしてそこで律を誘うんだ?」
「ここから少し歩きますし、道幅的に車で行くのも不便な場所なんです。それに、兄さんはあんまり外へ出たがらないじゃないですか」
「・・・・・・」





【原案:hato.*成文:舞白】

 

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -