*空白の音
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 目が覚める前の夢だと分かるそんな静寂の中で移ろう意識を感じながら、舞白はあと少しだけと意識の浮上を遮った。いつもならそのようなことはなく、流れに任せて意識を浮上させて、『今日』という日を始めるというのに。一体何があったというのか。舞白自身にも意味が分からず、半ば混乱しながら意識を落とす。後に残るのは何もない静寂。

 ・・・ということはなく、すごい勢いで下から意識を浮上させられる。押し上げられたというべきか。
「え?」
思わず漏れた声とともに目が覚めた。視界に広がるのはいつもの自室の天井。それから見覚えのある老人の顔。
「あれ?先生?」
「あぁ、目が覚めたか。良かった良かった」
にこにこと皺の多い笑顔を浮かべるこの老人は長い間、屋敷に出入りしている医師だったはずだ。彼が自室のしかも布団の傍に座っているということは。導き出される答えは2つだけだろう。
「もしかして、また?」
「また、だね。今回もずいぶんと無茶をしたようじゃないか」
優しい口調なのにどこか責められているような気がするのは悪いことをした自覚があるからか。しかし、『また』であることは分かっても、『自分』がやったことではないからなかなか状況が把握できない。
「もう舞白くんもちゃんとした大人だから、あれこれ言うのも野暮ってものなんだろうけれど、・・・声が出なくなるまで無茶するのは関心しないね」
そう言われて初めて、自分の声が消え入りそうな小さいかすれ声であることに気づいた。なるほどこれは重傷かもしれない。

 とりあえず、声がでないと知れた時点で自室から出ることは止められてしまったから、パソコンを起動して、今日は出勤できないことと仕事に関する指示をメールで出すことにする。
 体は元気というか、声が出ない以外に不便もないので、本当はマスクをして出勤して、必要なことは筆談という風にすればいいんじゃないかと思うのだが、全力で止められた上に、医師からも苦笑いで呆れられているのが分かってしまったので、その上でさらに行くとは言えなかった。
 声を出すなと厳命され、自室に閉じ込められ、予測していなかったせいか仕事の資料も持ち帰っていない状態で、舞白は深いため息をつく。・・・やることがない。
 もちろん奥の部屋に行けば、読みかけの本も、何度でも読みたい本もあるのだが、・・・きっと怒られる。いや、絶対に怒られるのが分かっていて、奥の部屋に行く勇気はなかった。何せ、記憶はないのに、体調はこの状態で、自責の念だけは割とあるのだから。
 そんな状態で何かをする気分にもなれず、舞白はそっと布団に潜り込む。眠気はすぐにやってきて、意識が自然と落ちていった。今度は気兼ねなく寝られそうだった。


 そんな風に寝たら夢を見た。小さい頃の夢だと思う。窓からは雪の降る庭が見えていて、外は寒いんだろうなと思っていると、ふいに視界が真っ暗になる。それが顔にかけられた毛布のせいだと気づいて、引っ張って顔を出すと心配そうな兄の顔。何か言っているが、声は聞こえなくて。でも、心配してくれていることは分かる。兄に心配をかけているのが嫌で謝ろうとするのだけれど声が出なくて、悔しい思いをするのだ。その後に兄がまた何か言っていたような気がするけれど、残念ながらそれも聞こえることはなかった。

「十分に頑張った。もう休め」

 瞬間、僅かに開きかけた瞳に、思わずそんな声をかければ、瞼が落ちて静かな寝息が残る。すうすうと眠るその顔は未だに幼さを残しているのに、しっかりと疲労の色が見えて複雑な心境になる。解かれて顔にかかる髪の毛を梳いてやれば、気持ちよさそうに表情が緩んだ。
 とことん自分を追い詰めるこの弟が倒れるのはそう珍しい話でもない。というよりも、途中の部分を全部すっとばして倒れるのが常なので、軽傷というものがなく、0か1かという状況になるのだ。しかも今回に関しては声が出ない状況でも目が覚めて仕事に行こうとしたとかで使用人がどうにか止めたという話だった。
 どうしてこうも休むという考えがないのか。昔、律に言われた半分で割ればちょうどいいんじゃないかという言葉を思い出す。今更どうしようもないままに、頭をなでるようにただ手を動かしてやることしかできない。少しでも早い回復を祈りながら。


 

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