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今日は天気が良いから散歩でも、と、やまとと街へ出掛けることにした。
手を繋いだり腕を組んでいる男女がうじゃうじゃといる、やまと曰わく、あれが恋人というものらしい。
…手を繋いでいる男女がそうなら、私とやまとも恋人に見えるのかしら。私の隣を歩いているやまとの顔を見やればすぐに気付いたらしく、微笑みを浮かべてどうしたのかと問いかけてくるものだから、思わず高鳴った胸の内を誤魔化すように一つの店を指し、入ってみたいのだと告げれば笑顔で了承された。
入ってみたいと言ったものの、咄嗟だった所為でよくわからない店で不安だったけれど、どうやらケーキやパンを売っているらしい。これもカフェというものなのかしら?と思っていれば、やまとが注文を済ませたらしく席へと促された。
「やまと、それは何?この店では蛙の卵を食べるの?」
やまとの飲んでいるものの中にはまるで蛙の卵のような黒い物体が沈んでいる。
「蛙の卵って…違いますよ。椿嬢も飲んでみます?美味しいよ」
美味しい?蛙の卵が?やまとの言葉に疑いしかないけれど、やまとは私にこんな下らない嘘を吐くような男ではないことも知っている、知ってはいても見た目からして不安なのだ。
そもそも主には敬語を使うべきだといつも思っているのだけれど、他の人間ならばクビにしていてもおかしくはないことだけれど、何故かこの男だけはやまとらしいと許してしまう。不思議ね。
…こない、この間教わったストローとやらの使い方は間違っていない筈、なのに蛙の卵(断定)が上がってこない。やまとは普通に吸っていたのにどういうこと?
数分粘ってみても上がってくるのはジュースばかり、それすらストローに蛙の卵が嵌まって飲めなくなりむっとしてしまう。
さっきからクスクスと笑っているやまとに文句を言ってやろうとストローから唇を離せば、もっと強く吸わなければ出てこないと笑われた。
精一杯吸ってみれば蛙の卵が勢い良く出て来た所為で喉に詰まりかけた。
…蛙の卵一つ食べるだけでも大変なのね、と思いながら恐る恐る咀嚼してみればむにっとした感触が。蛙の卵といえばもっとどろっとしているイメージだっただけに衝撃が拭えない。
困惑しつつむぐむぐと口を動かしているとやまとが軽い説明を始めた。
…この黒い物体は蛙の卵ではなく、たぴおか、という澱粉を固めたものなのね。
安心したからなのかもう一つ、とたぴおかを食べてみる。特に美味しい訳ではないけれど、むにむにとした食感が新しく癖になりそう。
「…椿嬢ー?それ俺の…」
やまとが何か言っているので私の飲み物を手渡せば苦笑しながらも何処か微笑ましそうに受け取ってくれた。
たぴおかをむぐむぐと噛みながらふと、やまとの首へと視線を移す。やまとの首には鈴の付いた首輪が常に嵌められている。私からの贈り物、という訳ではなく契約と所有の証。私に全てを捧げるという証、の筈なのに、私の手にあるのはやまとの命だけ、その唯一さえ「仕事だから」
そんなことはない、優しくていつでも私を第一に考えてくれるのだから、やまとも私を想っている筈。でも、そう思いたいけれど、やまとの瞳は時折私を映していない気がしてならない、確かに私を見ているのにその瞳に私は映っていない…
あぁ、それならば、瞳にさえ映らぬ瞬間があるのなら心はどうなのだろう?やまとの心に、私は、私への想いはあるのかしら?
…あるに決まっているわ、そうでなければ命をかけるなんて
「そうかしら?やまとは真面目に仕事に取り組んでいるだけよ」
突然聞こえた声に思わず周りを見渡せば、食事や会話に興じる者ばかりで私に話しかけた者が居るとは考えにくい。
「椿嬢?どうしました?」
「何でもないわ、気の所為だったみたい」
自然に食事に戻る、やまとも気にしてはいないみたい。それにしてもさっきの声、私とよく似ていたわ。
「当たり前でしょう?私は貴方なんだから」
…意味がわからないわ、白昼夢でも見ているのかしら。
「やまとに愛されているだなんて、おかしなことを思うのね」
おかしくないわ、やまとも私を想っているもの。
「やまとが優しいのは雇い主の機嫌を損ねたくないから、命を懸けるのはそういう契約だから。そうでしょう?」
…違う。
「違う?なら何故やまとは貴方を映さないのかしら?」
それ、は…私の気の所為で
「貴方みたいな美しいだけの世間知らずの我が儘娘、普通の男が愛してくれると思う?」
「契約という首輪で縛っているからこそ、やまとは貴方の傍に居てくれる」
違う、そんなこと…
「ほら、今だってやまとは貴方を映さない」
…何処を見ているの?目の前に居るのにやまとの瞳に映っているのは私じゃない。どうして?私を見てよ…
「やまと!」
思わず叫べば視界に映るのは見慣れた景色。
…夢?心臓が早鐘のように鳴って胸が痛い、尋常でない量の汗がべとべと気持ち悪い、不安が心を掻き立てる。
かたっ…
「やまと!?」
勢い良く立ち上がればばたばたと人影へと走る、はしたないなんて気にする余裕は今の私にはない。走るという行為に慣れていない所為で躓き転けそうになるが、なんとか辿り着き人影へと抱き付いた。
「やまと!何処に行っていたの?勝手に居なくならないで、私の傍に居なさい!」
ぎゅうっと力一杯抱き締めて叫ぶように訴えた私に答えたのは
「…そんなにあの男が良いか、椿」
最も聞かれてはいけない人だった。