あれから。
少しだけ僕と彼の関係は変化して。
いや、そういうと語弊があるかもしれない。
変化、というか軟化というか。
ようやくマイナスがゼロになったといえば正しいだろうか。
桜が咲いて、卒業式を終えて。
僕を襲……、僕と、なんやかんやあった先輩の処罰を、詳しく聞かされてはいないけれど、南が「しかるべき処置をした」とかなんとか、無駄にかっこつけて言うから、それをそのまま飲み込んだ。
きっとそれが優しさなのだろうと漠然と思って、深く問いただすことも、その話を掘り返すこともしなかった。
じくりと残り続ける痛みは、ショックなのか、それとも屈辱なのか、はては後悔や同情なのか、その全てなのかわからないけれど。
こういった思いを他の誰かにさせてはいけないのだと、それだけはわかっていた。
自分は、副会長だから。
アイドルではなく。
ようやく環境の変化に落ち着いて、仕事も一段落ついた春休み。
それでもいつものように学園に残る南と僕と、今回は残るという安原と、中庭で咲き誇る桜を眺めていた。
特に話すこともなく、ただぼんやりと目の前の鮮やかなピンクを目に焼き付けていたのだけれど、そういえば、と思って南の服の裾を引っ張る。
「南、なんだか色々お騒がせしました。とりあえず安原のことは自分でなんとかできますので、南は自分の恋、なんとかしてくださいね」
暗闇に駆けていった南の想い人を思い出すように、自然と瞳がくる、と回る。
うーん。総長としての南は高く評価しているようだったけれど、彼は同性愛とか無関係な感じの爽やかさだったし。
「どうやら相手はあなたのこと何とも思ってないようですので」
ぼけっと僕を見る南に思ったままの感想を素直に告げてみた。珍しく、自分で言うのもあれだけれど、珍しく素直になったというのに、南の頬がひきつる。
「…ちょ、ってめ、いつ会った、聞いてねーぞ!オイ直!!」
「安原、ほら南をなんとか、っぅわ!?」
暴れだした南の代わりに、反対側にいた安原に視線を向けると、ぐるっと視界が回った。
一瞬の浮遊感の後、身体に食い込む安原の肩。
え、担ぎ上げられてる…?
「ちょっと、僕じゃなくて南をっ、」
「好き好んで会長に触れるくらいならあなたの方がいい。一緒に逃げましょう」
少しだけ楽しげな声。それになんだかほだされてしまう。なんだろう、僕って意外とギャップに弱かったりするのかな…。それとも、これまで彼と向き合おうとしなかった罪悪感だろうか。
……うん、罪悪感だ、間違いなく。
どうせ自分では降りられないし、腹いせも込めて投げ出された手で安原の背中をトントンと叩いた。
「おい安原てめえ逃げたら生徒会出入りの権限なくすかんな」
投げ掛けられた南の言葉に、きゅっと安原が止まって、安原の肩が身体に食い込んだ僕の口からも、きゅっと謎の悲鳴が漏れた。
それを知ってか知らずか、とんっと。
「はい副会長、あなたのだいすきな会長ですよ」
南の前に降ろされた。売られた。というか裏切られた…!素直に身を預けた瞬間裏切られた…!
「だいすきじゃないです。あなた、僕より南の言うことを聞くつもりなの!」
「だって会えなくなったら困るでしょう」
「僕は別に」
「俺が会いたいんです」
「!」
僅かに安原の目元が緩む。素直な彼は、ちょっとずるい。…というか、今までの僕なら無表情だって思っていたのだろうけれど、見るようになってから少しずつ彼の表情の変化もわかるようになってきた。嬉しそう、とかつまらなそう、とか、そういうことが。
今までわからなかった分、それがなんだか恥ずかしくて、赤くなりそうな顔をふいっと勢いよく反らした。
「よしよくやった安原。んで、答えろ直」
反らした頬をむにっと南に摘ままれて、真剣な顔の南と向き合わされる。真面目な顔をすると南の整った顔が強調されるけれど、今更見慣れたそれに何かを思うわけでもない。強いて言うなら、南はかっこいいし優しいから、きっとなんとかなるかなあって、幼馴染み自慢は頭の中で勝手にしてみたけれど。
学園で持て囃されるこの幼馴染みが、恋に悩む時がくるなんて。
本当は、族潰しと会ったこと秘密にしたいと思っていたけれど、やっぱりこうして真剣な顔をみると、協力してあげたいとも思う。
頬をつままれたまま南を見つめる。ちなみに不満気な(これもなんとなくわかる)安原は無視。
南の真面目な顔にきゅうっと皺が寄って。
「俺がだいすきじゃねえとはどういうことだ」
「………………ばかじゃないの」
聞きたいことはそれ?
思わず笑みが溢れて、南の頬をつねり返した。
「質問それでいいんですか?折角僕が答えてあげようと思ったのに」
くすくすと笑い続ける僕に、大きな影がかかって、ついでにふっと目の前も真っ暗になった。顔を覆う覚えのある暖かさに、後ろに立っているだろう彼の足を思いきり踏む。
「手を離してください。それと気安く触れないように」
「直がかわいい顔するからでしょう…今日はデレの日なんですか?」
「というか南がかわいいから」
「オイなんつった今、調子のってっと泣かすぞ」
「本当ですか会長、俺も協力します」
「あれ、あなた僕の親衛隊長じゃありませんでしたっけ」
「僕の、って言いましたか、僕のって、かわいい」
「そうですね、あなたが喜ぶような使い方をしたつもりはありませんが、親衛隊はいくつかあるので仕方なく」
「照れなくてもいいんですよ」
「照れるも何もただの事実ですよ」
目の前を安原の手に覆われたままぽんぽんと会話を続けていると、なんだかんだ仲良いじゃねぇか、だなんて不快な言葉が聞こえたからすぐさま口を閉じた。
「今日も良い匂いしますね、直」
「ふふ、あなたはいつも気持ち悪いですね。あと軽々しく僕の名前を呼ばないように」
彼とちゃんと向き合えるようになって。
少しだけ広くなったせかいは楽しいだなんて、そう思えた。
そしてせかいの変わりやすさを知るのは、
「転入生、ですか?」
もう少し、春の空気を吸い込んだあとのことだ。
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