「音楽室に来て下さらなかったので、もしかして何かあったのではないかと心配したのですが…無事で良かったです」
「本当にそう思ってます?」
「俺があなたの不幸を望んでいるとでも言いたいんですか?」
「そうではなくて…、僕が、特に何事もなくここにいること、本当に良かったと思っているんですか」
わざと彼と会うのをすっぽかしたと、そう言っているのに。
怒らないのだろうかと、思った。
怒ってほしいと、思った。
どうしてこなかったのだと、そう責めてくれればいい。
またいつものように引かれてしまっては、
「ええ、思ってます」
「っ…、」
どうしたらいいかわからなくなってしまう。
それでも、拒絶の言葉ばかり浮かぶ自分は相当可愛げがない。
彼の大きな手は僕の中に入り込んで、プライドを簡単に壊してしまいそうだから、余計固く僕の中に育つ。
もう、優しくしてほしい、わからないの、ねえ、安原。
そう素直に聞くことなんて、出来はしないのだ。
「愛されたら愛しかえさなきゃいけないの?」
代わりに同じことを聞いた。あの副隊長から答えを聞くことはなかったけれど、安原ならなんと言うだろう。
「ねえ、僕のこと大好きなひと、たくさんいるんですよ。たまたま今僕の近くにいるからって調子にのらないで」
剣先輩のように、安原だってその座を別の男に奪われる可能性だってある。
特別なんかじゃ、ない。
「僕が欲しいなら、努力してくれなきゃ。苦しんで悩んで嫉妬して、それでも僕があなたに恋をするとは限らないけれど。……ね、大変でしょう、諦めてくれていいんですよ」
「はは、誰が。誰があなたを諦めるものですか。…あんたはわかってない、俺がどれだけあなたを想っているか」
「わからせないあなたが悪い」
「そうですね」
それでもいつものようにとんとんと進む会話だった。
「直。俺はあんたしか見てない。あんたが欲しくて欲しくて仕方ないですよ。俺はそんなことくらいであんたを諦められそうにない。だからあんたも覚悟しててくださいよ」
そしてそれでも、彼は明確にその気持ちを言葉にはしないのだな、と思った。
これでは南の言う通り、ただの逃げにしかならない、はっきりと、断れるまで。
僕が何を言おうと、彼が言葉にしてくれなければそれ以上変われないのだ。
それとも、安原はそれをわかったうえで口にしないのか。
僕を追い込んで、追い詰めるそのギリギリまで、道を塞ごうとしているの。
次は来てくださいますか、との言葉には、頷いた。
頷くしかなかった。
こく、と僅かに縦に動いた僕の頭を見て、安原も少し口を緩めた。
「なら、次は必ず」
最後にもう一度念を押して、では、と背を向ける安原をそのまま見送る。
扉の閉まる音が、冷たく響いた。
これほど拒絶しているのに、どうして彼には通じないのだろう、傷つけないでくれ、と言われたことさえ嘘のように、安原の態度は変わらない。
「……せめて泣けば可愛げがあるものを」
(どうして)
「…ッ……」
(どうして僕が泣くの)
「っふ、…、」
安原はずるい。
「ぅー………」
そうやって押し付けておきながら簡単に僕から離れてみせる。
そのくせ僕が逃げるのを許さない。
「あなたはなにもわかってない」
ずきずきと頭が痛む。
安原、安原、あなたはこれほど人を想ったことはないという。
「…諦めればいいのに」
想い続けるのは大変でしょう。
「…そうしたら、もう傷付かないのに」
(僕だって、もうあなたを傷つけずにすむのに)
覚悟してくださいねなんてよく言う。
好意に好意を返せること、その方がほっとするなんて、想像もしていないような言い方だ。
安原千尋。
あなたにあってから僕は泣いてばかりだ。
欲しいだなんていいながら、近寄ってこないのはあなたの方。
欲しいというのなら無理矢理にでもはやく僕を暴いてみせて。
(想われる苦しさを、はやく消して)
「ふ、っ…ぅ…」
『一人では泣かないでくださいね』
いつだったか、積み重ねた会話のうちの一つ。
珍しく気障なことを言っていたから、記憶にも残っていた。
涙を舐めたいからだというふざけた理由で一方的にされた約束を破って、僕は一人で泣いた。
あなたのことなんて好きでもないのに、あなたを思って泣いた。
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