何かしてくるだろうか、と考えてしまったのがいけなかった。
冬休みも近いある日、「そういえばあなたの連絡先知りません」、と言われて、いつもと違う会話だと心臓が跳ねたのも一瞬、さらりと断ればいつものように簡単に引き下がって。
余計、落胆した。
落胆というかもやもやが広がったというか。
じゃあどうされたかったのかと聞かれても困ってしまうのだけれど、またこの曖昧な距離が続くのかと、溜息をついた。
「副会長?」
「…何でしょう」
「元気ないですか?」
「……そんなことないです。あなたは冬休み実家に帰るんですか?」
約2週間、長いようで短い休み。
それでも、なんだかんだ頻繁にこの男と、これほど長い間離れるのは初めてだ。
「そうですね、一週間くらいは帰ろうかと。副会長はどうするんです?」
「僕は残ります」
生徒会のほとんどは残る。
仕事といっても切羽詰まってはいないから、地元にも騒ぐ仲間の多い豊先輩あたりは、毎日のように寮を抜け出すだろうけれど。
逆に普段でも顔を見せない双子は、一層部屋に引きこもって出てこなくなりそうだ。
こう考えると、学園のアイドルといっても全然ぱっとしないというか地味というか。
「一週間会えなくなってしまいますね」
特に残念そうでもなく、安原が呟いた。
時の流れを感じる台詞も、出会ったときと同じ平坦な抑揚に乗せられた。
「そうですね、嬉しいです」
「またまた、照れなくともいいですよ」
「………」
つまらない会話だなあ、と思った。
用件だけを事務的に伝えるだけの、なんの面白みもない会話だ。
彼との話を繰り返す度、定番と化す言葉は自然と決まっていったのだけれど、それも含めて打てば響く彼との会話はそれなりに楽しかったのに。
「副会長?」
にゅっと安原の顔が近づいた。反射的に頭を前に傾ける。そう角度も急にならないうちに、鈍い音をたてて額と額がぶつかって、安原が詰めた距離がすぐに離れた。
いちいち近い人だ、とじんじん痛む額に手を当てる。
「近い」
「副会長が元気なさげだったから心配しただけじゃないですか…」
最近、なんだか暴力的になってませんか…と、同じく額に手をあてて安原が反論したけれど、そもそも反論にもならない。
「ですからそれにしては近いと言っているんです」
「俺とあなたの間に距離なんていらないって言いませんでしたっけ」
そう口にしながら距離をあけて座る安原にもはやため息すら出なかった。
確かに普通よりは近い距離にいるとはいえ、堂々と言いきっておきながらそれを覆してみせるのだから、余計嘘くささも増すというのに。
一週間、距離を置くのもいいかもしれない。
では次に会うのはこの日ですね、とその確認だけをして、いつものように安原と別れる。
今この時、一緒にいるこの時間すら楽しむことができないのに、先だけが決まっているというのも、なんとも不思議な話だ。
安原はそれでも楽しいのだろうかと、考えるのはやめにした。
絶賛ふてくされ中の南が寮に帰ってしまっているため、一人ぽつんと生徒会室のソファに座る。
一人になるとどうしても考えてしまう男のことを、頭を振って追い出した。
折角離れられる機会なのだ、いっそのこときっぱり割り切ってしまったほうがいい気もする。
紙をめくる音だけが響くなか、こんこん、と控えめに生徒会室の扉がノックされた。
「…?」
生徒会役員ではない(ノックをするはずがない)。
ここに来れる人なんて限られているし、と特に警戒する必要もなく扉をあける。
扉の先には誰もいなかった、
「直くん、…あ、えと、八雲くん、今お話出来るかな?」
わけもなく、視界に入らなかっただけのようだった。
自然と少し上を見上げる癖がついていたらしく、視線を下げれば、ゆるいパーマのかかった金髪が見えた。
「白木先輩」
白木優海。
南の、生徒会長の親衛隊隊長。
「あっ、忙しかったらごめんねっ…」
小さな手をあわあわと動かしながら、大きな瞳に不安をのせる先輩は小動物のようで、可愛らしい。
親衛隊は一般生徒に良く思われていないも多いけれど、白木先輩は全くの逆だ。
見守られている、というか、優しい先輩は誰にでも好かれていた。
南にはもったいないなんて思ったりもするくらい、見るからにいい人で、初等部からずっと南を見守っていてくれた先輩だ。
どうぞ、と先輩をソファにすすめる。
ちょっとあたふたしていたものの、生徒会室に僕しかいないとわかると、ほっと笑顔を見せてソファの端に座った。
ちょこん、という効果音が似合う。
紅茶を、と立ちあがった僕をぶんぶんと勢いよく首を振ることで止めて、その優しい顔をきゅっと引き締めた。
「あのね、な、…八雲くん」
「あの…名前で呼んでください、中学と同じように」
「で、でもいくら顔馴染みとはいえ、親衛隊の皆に申し訳なくてっ…」
どこぞの隊長に聞かせてやりたい台詞だ。
本当に申し訳なさそうにする先輩に無理強いをするのもどうかと思ったけれど、急によそよそしくされてしまうのもなんだか慣れない。
「…じゃあ、一般生徒がいないときだけでも…だめですか…?」
「!だ、だめくないよっ!うん、ありがとう直くん」
ふにゃあと笑った先輩に和やな空気が流れて、僕の口元も緩む。
冬哉くんも直くんも生徒会に入っちゃうんだからすごいねえ、とにこにこしていた先輩が突然はっ!と顔色を変えた。
思わずびくっとした僕に大きな瞳が向けられる。
「あのね、冬哉くんのこと聞きたいなって、今日来たんだ。元気ないからどうしたのかなって」
すごい人だ。
南はそういったことを表に出さないタイプなのに。
僕さえ自分のことばっかりで、気付こうとしてなかった。
すごい人だなあ、ともう一度思って溜息をついた。
「ちょっと、拗ねてるだけですね。あとで適当に甘やかしておきますけれど、思うところがあれば先輩も動いてください」
「ううん、きっと直くん動いてくれたら大丈夫だよ。疲れてるのかな、ってちょっと心配だったけど、何もないならいいんだ!わざわざごめんね、ありがとう直くん」
深く聞き出そうとはしない優しさが有難かった。
優しくて、しっかりしていて、南を好きでいてくれて、でも。
南は別の誰かを必死で追いかけているだなんて、そんなこと言えるはずもない。
ずき、と隠した痛みが蘇る。
「直くん?」
呼ぶ声にいつのまにか俯いていた顔を上げる。
どうしたの?と首を傾げる先輩は、ずっとずっと一生懸命だった。
それを見てきたはずなのに、素直に応援できない自分が汚い。
「あ、いえ、…なんでもないです」
人の心の形なんて、見てしまわなければよかった。
「そう?…あの、ね、直くん、ここからはちょっとお願いなんだけど…」
きゅっと手を握りこんで先輩が切り出した。
「お願い、ですか?」
「うん、直くんに、会いたいって子がいてね。今、外で待っててもらってるんだけど…」
ダメだったら断っていいからね!と付け足した先輩に首が傾く。
心あたりが全くない。
役員でも、ましてや一般生徒でもないだろう。彼であるはずもない。
結局誰一人として思い浮かばず、それでも白木先輩の紹介だから、と頷いた。
ぱあっと笑顔になった先輩が、小さな身体で無駄に豪華な扉を開ける。
「どうも、副会長」
「!」
そうして現れたのは、以前一度だけ会った、安原の友人。
僕の、親衛隊副隊長だった。
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