「ナオりん、ナオりんは変わったねえ」

いつの間にか泣きやんでソファに座っていた豊先輩がしみじみとそう言った。

「そうですか?」

むしろ何も変わらないまま、ここまできたとも思うのだけれど。

「うん、変わったよ。なんかねえ、丸くなった気がする!!」

「嫌味ですか」

「ちがうよー!」

なんていうかねえ、よくわからないんだけどねえ、と豊先輩は曖昧に、けれどそのくせすぐ言葉にした。

「世界が広がったっていうかねえ、なんかそんな感じ」

「…?」

「みなみん以外にもさ、オレも含めて、いろんな人に会ったでしょ、ナオりん。だからナオりんの全てがみなみんだけじゃなくなったなあって、お兄さん思ってね」

抽象的な言葉だったけれど、なんとなく意味は通じる。
確かに、今までの僕の世界はほとんどが南で、それで十分だった。

「今ナオりんは副会長さんでさ、たった一日で、立場が変わってさ。けどナオりんは頭いーし、しっかりしてるからすぐ、順応して」

豊先輩の言うように、いろんな人に出会って。
尊敬すべき先輩とも、剣先輩や安原とも関わって。
自分も成長しなければいけないと、そう思った。

「慶二はなんていうか、ちょっとオレも規格外って思うから外すんだけど。会長とか副会長とか、こうやってなってくんだなあって、お兄さんもうお母さんの気分なんだけども」

ふにゃりと眉毛を下げて豊先輩は言った。

「けどねえナオりん。だからお兄さん心配なの」

「はい?」

「特に人気の会長副会長だとね、期待がすごいでしょ?オレは一年の時会計だったし、なんていうか中身こんなんだったから全然平気だったんだけどもさ」

いまいち何が言いたいのかわからない。
まとまってなくても片っ端から言葉にしてしまうのが豊先輩だ。

「頑張りすぎてないかな、って」

「え、」

ぽんっと言われた一言に言葉が詰まった。

「こうしなきゃ、とか、思っちゃわなくていいのに。二人とも真面目だからさあ、一年生なのに、頑張って会長とか副会長とかやっちゃうから心配なーのー」

「…そんなことは、」

「あるよう、ガンバリ屋さんだもん」

ずるずるとだらしなく先輩が持参していたペットボトルの水を飲んだ。

「ナオりんは変わったねえ。みなみんも変わったよ。そんで、学園も、去年とは変わってる」

でもねえ、って豊先輩はけらけらと笑った。

「学園ってさあ、意外と伝統とかないようであってねえ。まあこの学園はわかりやすいけども!!そういうのってやっぱ残っちゃうから好きなようには出来ないよ、好きなようには出来なかったよ。慶二は会長になっていろいろやったけど、でも全部は変わってないし。オレだっておサボりしてたらすっげー怒られるし」

「それは当たり前です」

「ナオりん厳しい!!まあでもね、オレが適当してても、なんだかんだ学園つくるのは生徒でね、一年、うまくいったの。そういうものだったの」

愚痴なのか、暴露なのかぽつぽつと語るそれは、何が言いたいのかやっぱりはっきりしない。
先輩も別に明確な何かを伝えたいわけじゃなかったのかもしれなかった。

「この学園の色は確かに変わるけど、根っこは結局変わらなくてね。生徒会も派手になってるとか言うけど、けど伝統になって受け継いできたものはやっぱり変わってなくてね」

「はい」

「この学園が自主的なのはね、将来社長になるような子がいるからとかそんな立派な理由じゃなくてね、いっぱい、楽しいことしたいからなんだって。自由に、高校生がいろんなことできますよーにーって、自主的なものにしたんだって」

ごくごくって、また豊先輩が水を飲んで空になったペットボトルをぽいっと投げ捨てた。

「ナオりん、学園生活たのしい?」

はいともいいえとも言えないような質問だった。

「楽しく遊ぼうねってのが、この学園の自由の始まりで、まあ素敵な恋の始まりでもあるんだけど、なんにせよ、それは忘れちゃだめだと思うんだよね。ナオりんが頑張るのは、期待にこたえるためでも、副会長だからでもなく、ナオりんが楽しい高校生活を送るためなんだよ」

適当に投げたせいでゴミ箱に入らなかったペットボトルをてくてくと歩いていって先輩が拾い直す。

「副会長になって、忙しいし身の危険はあるしなんかいっぱい大変なことはあると思うけど、でも、頑張る理由は楽しむためなんだよ」

ぽいっと今度こそちゃんとゴミ箱に投げ入れた。

「なんたって、生徒会はもちろん生徒のためにやるわけだけど、生徒会のオレらもこの学園の生徒だからね、楽しまないとね」

先輩が燃えるごみにペットボトルを投入したのを分別し直すために今度は僕が立った。

「特別なことだよ、だって、何千、何万といる高校生の中でこの経験できるの何人いるんだろうって、オレ考えるもん。こんな変な学園でさ、しかも生徒会っつったらほんと何分の1?ちょっとオレかっこいーってね!」

今度こそ正しい箱にペットボトルを入れ直して戻った僕をにこにこと豊先輩がむかえた。

「だからね、どんなに世界が広がっても、みなみんが変わっても、ナオりんが変わっても、オレら生徒会は、今までの生徒会は、ただずっと楽しむことを忘れないできたんだよーって、それはちゃんと覚えててね。後輩にね、楽しんでもらうためにね、この貴重な役を代替わりしてるんだよ」

「はい」

小さく頷けば、豊先輩がふと真面目な表情になって僕の手を握った。

「それでね、ナオりん。オレはいっぱい楽しむためにここでしかできないことをするべきだと思ったんだよね」

「?はい」

じいっと僕を熱く見つめる豊先輩としばし見つめあったのち、先輩がようやく口を開いた。

「ヤらないか」

「………………は?」

「美人さんを抱きたいのですお兄さんは」

きらきらと輝く瞳で豊先輩が語る。

「意味がわかりません…」

「だってほらナオりんみたいな美人さんなかなかいないもん!これは男として抱くしかないでしょ!!」

「僕も男です……」

ずきずきと頭が痛み始めてきた。
少しだけ豊先輩を尊敬しようとした気持ちが急速に消えていく。

「あの、ひとつ聞きますけれど、今までの話はもしかして、」

「誘うための雰囲気作りだよ!!」

素敵に暴露してくださった。

「…あの、なんていうか、その…」

「なんだろうナオりん!心配しなくても優しくするよ!!」

「僕頭が弱い人は無理です」

「え?じゃあ何の問題もないじゃん☆」

「通じませんでしたか、すみません言い直します。豊先輩は無理です」

「せめてオブラートにつつんで!!」

「豊先輩は無理です」

「え!?もしかして包んだ結果がコレ!?」

ばたっとソファに倒れこんだ豊先輩にくすくすと笑みが零れた。

「ありがとうございます、豊先輩」

「え、それはつまりオッケーってこと!?」

「違いますけれど」

「笑顔で言われるとダメージが倍!!」


いい先輩だなあって、素直にそう思った。
こういう人が傍にいたから、慶二先輩も会長を楽しめたんだろうなあ。
だからきっと、真面目そうな見た目とは裏腹に面倒くさがりの慶二先輩が今年も生徒会に就任したんだろう。

南と慶二先輩は全くタイプが違うし、僕と豊先輩も全く違うけれど。
それでもこうした日々が楽しいと、同じように思ったに違いない。

思えば、こうやってちゃんと笑ったのは、随分と久しぶりだ。

「ありがとうございます、先輩」

生徒の笑い声はいつでも聞けるだなんて言ったくせに、そういえば僕は南と一緒に笑ってないなあって、寂しく思った。

「奥さん、旦那がいない間オレが寂しさ埋めますよ」

「そういうのは結構です」

「どうしてデレてくれないの……!!!」


床に転がる豊先輩はもちろん放置しておいた。




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