「さて直さん、ひとつ謝罪をさせていただきたいと思います」

「!」

すっ、と剣先輩が頭を下げた。

綺麗な黒髪が重力に従って流れ、床に落ちる。
謝られるようなことなど、何もないはずだ。
むしろ、謝るとするなら僕の方だろう。

剣先輩の傍へ行こうと動いた身体を、安原が制した。

「私は、直さん、あなたの親衛隊長であり続けるとそう誓っておきながら、その役目をどこぞの馬とも知らぬ男に奪われてしまいました。誓いを破ってしまい、申し訳ありませぬ」

頭を下げたまま言われた言葉に、胸がつまる。
無駄のない立ち振る舞いも、独特な言葉遣いも、全てが剣先輩の心の美しさを表している。
話せば話すほど、非難されやすい親衛隊の隊長という立場を、どれだけ誇りに思っていたかがわかってしまう。

本当に、謝らなければならないのは僕の方だ。
親衛隊のことを気にもかけず、ましてや隊長だって誰でも良いと思っていた。関わりたくなくて逃げていたのだ。この人は真摯に活動してくれていたのに。


正式に副会長になったあの日。

手紙の山に驚いたのはその日だけで、次の日から全くそんなことはなかった。

どうしてだろう、と、零れた疑問に安原が答えてくれた。

『そういった行為は流石に迷惑になると親衛隊が禁じて、撤去しているんです。中には危険なものがある場合もありますし。ただ、あの日は八雲直の親衛隊が事実上解散してしまいましたから、それが出来なかったんでしょう。新しい親衛隊が動き出すにはあなたの承認が必要でしたし、あの朝だけが言ってみればチャンスなんです。まあだから余計山になるというわけですね』

そう友人から聞いたことがあります、と締めくくった安原に、この男にも友人がいるのか、と思っただけで終わってしまったけれど。

半年、僕が親衛隊に関わらないでいられたのも、親衛隊が問題を起こすどころか、ひたすら影で動き続けてくれていたからに違いなかった。

「すみません、剣先輩。……謝らなければならないのは、」

「直さんは悪くありませぬ。…いえ、そう言うとあなたは余計苦しんでしまうのでしょう。むしろ本音を言わせて頂けるのならば、私はあなたに謝られたくはありませぬ」

震える声を、剣先輩の強い声がさえぎった。

「謝られたいがために、隊長になったわけではありませぬ」

唇を一度強く噛んで、浅くなる呼吸を落ち着けようと、深く息を吸った。

「…ありがとうございます、剣先輩。剣先輩が隊長で、良かったです」

何を今更、と思われるかもしれない。
それでも、この人で良かったなあって、こうして花のように笑う剣先輩を見て思った。

「それに、本当に謝るべきは私です。直さんが、親衛隊のようなものを好んでおられないのは知っておりました。知っていながら、親衛隊をつくったのです。…わがままとでもいいましょうか。それを認めて頂けて、自惚れてもいたのでしょう。私からあなたを奪う者など、…いえ、親衛隊長の座を奪われるなぞ、考えてもおりませんでした。けれど、こう冷静になってみれば、それも当然のこと」

柔らかい瞳が僕を見つめる。

「あなたのように美しい方を、手にいれたいと思う者など、それこそ掃いて捨てるほどおりますゆえ。茶色く蕩けるような甘い瞳も、桜色の唇も、…あぁ、そのように赤くなるとすぐにわかってしまう白い肌も、流れる髪の一本でさえ。あなたの持つ全ての美しい色が、私の目を惹きつけて止まないのです」

「….…、…」

どこまでも柔らかい。小柄であっても、年上なのだ。優しさに満ちた瞳には抵抗できなかった。
熱くなった頭のまま勝手に口が開いて、けれど何の言葉も出てこない。

「副会長」

視線を彷徨わせた僕の視界を、突然安原の大きな手が塞いだ。目というか、彼の大きい手は僕の顔の殆どを覆い隠してしまう。
火照った顔を隠そうと動かした手は、中途半端な位置で揺れて、結局離す気配のない安原の腕に触れた。

「副会長を邪な目で見ないでください」

「あなたが言わないでもらえますか。あと手を離してください」

「言ったでしょう、俺が守りますと」

「だからって顔を隠す意味がわかりません」

「いえ、正しい選択ですよ」

投げかけられた剣先輩の言葉に首をひねるけれど、先輩が言うのならそうなのだろう。

「しかし、あなたごときが直さんの美しい顔に触れないでいただきたい、不愉快です」

「だそうですので離してください」

「はい」

言えばあっさりと視界が開けて、にこにこと笑う剣先輩が見えた。

「あなたを守るのが親衛隊の仕事ですから」

守るといっても、ただ剣先輩と話していただけなのに。

「そのような可愛らしい顔を見せられては、手を伸ばしたくなりますゆえ。私も男ですので」

「え」

綺麗な笑顔のまま告げられた言葉に剣先輩を見返せば、何事もなかったかのようにどうしました?と聞き返された。

あれ、今の聞き間違いだっただろうか。

安原に毒されて、変な風に聞こえてしまっただけかもしれない。
可憐に笑う剣先輩と安原を同じように捉えてしまうなんて失礼にも程がある。

「あと、直さんはお優しい方ですから、嬉しくもありますが親衛隊を美化なさってしまったかもしれませぬ。私から言うのもおかしなことではありますが、良いものとは思ってくださるな」

親衛隊をようやく見始めたとも言えるのだけれど、剣先輩が長をつとめる組織ならば問題ないと思ったのも事実だった。

「確かに親衛隊として、あなたに近付く悪い虫を排除し、守ってきたのも事実です。けれど、それもおせっかいといえばおせっかいでありましょう。直さんならば友人の選択も判断も出来るものとはわかっております」

一息ついて、先輩は続けた。

「そして何よりそれ以上に。あなたへの想いをないがしろにしてきました。あなたの迷惑にならぬよう、手紙を毎日のように捨てるのです。もちろんあなたを守れた部分もございます。けれど、誰かがあなたを想って書いた手紙を、なかったことにしてしまうのです。その手紙の中に、あなたが出会うはずだった大切な誰かも、いたのかもしれませぬ」

そう言われてみれば、僕は安原と出会ったのも、手紙とも言えない粗末なメモがきっかけだ。
彼のことを考えてしまうのがなんとなく自分でも気に食わなくて、剣先輩に意識を戻す。

「友人も作りにくかったでしょう。恥ずかしきことではありますが、制裁、と名付けて暴力をふるう輩がいるのも事実です。あなたが得られるはずだった多くの友人や親友を、奪ってしまったかもしれませぬ。新しく隊長となったその男が私からあなたを守るために、あなたを制するように…私たち親衛隊はあなたを制してきたと、思います。直さんが気付かなくとも、どこかで」

そう語る剣先輩は小柄でありながら、立派に役目を勤め上げた隊長だった。

「ですから直さん、親衛隊は問題を抱えている、ということを忘れてはなりませぬ。想いを言い訳に好き勝手することも、純粋な想いゆえに、少なからずあなたを苦しめてしまうこともあるのです。忘れてはなりませぬ、決して」

結局、良い面も悪い面もあって当然。
しかも集団となればなおさらだ。

受け入れるだけではだめなのだろう。

先輩の言うように、いつか苦しむこともあるのかもしれないし、すでに苦手意識だってある。

ただでさえ、安原だけでも苦しいのに。

それでも。

「はい。大丈夫です」

副会長として背負わなければならない。

全校生徒を背負うあの幼馴染の横にいながら、僕が、僕を見てくれる人たちすら背負えないだなんて、そんなことあるはずがない。

副会長としても、八雲直としても。

背負って、それでもちゃんと立てるように。

僕が、僕の隊長は剣先輩で良かったと思ったように。
自分の高校の生徒会が、あの人たちで良かったなあって、そう誰かに思ってもらえたら、いい。




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