明日公園に一時、待ち合わせな。待ってる」
『…は?』
電話口から聞こえる怪訝な声を遮るように、狩長尊(かりながみこと)は携帯の電源ボタンを押した。
ぷつっという無機質な音が鳴って、簡単に繋がりが切れる。
その音を聞いてからようやく狩長の肩から力が抜けた。
「あー、くっそ、……もうちょいあいつの声聞いてても良かったか」
生徒会長様と崇められながら、なんとも情けない声で愚痴る自分の姿は、滑稽以外の何物でもない。
だが、そんなことは今はどうでも良かった。
というのも、狩長が心持ち沈んだ身を埋めるのは生徒会長専用の椅子であって、それが置かれる生徒会室に、生徒会役員は狩長を除けば誰もいないからだ。
仕事があるにも関わらず。
役員は生徒会に来ない。
生徒会役員をしても頭が切れると言わしめる、あの副会長でさえ、だ。
「そのくせあいつだけ仕事はしてやがんのがムカつく…」
書類が積まれた机が並ぶなか、副会長のもののみ綺麗に保たれている。
これでは仕事を理由に呼び出すことすら出来やしない。
本音を言えば、用があるのは生徒会役員というより、副会長だった。
イライラと閉じたばかりの携帯を机に放り投げる。
そういえば、流石に言葉が足りなかったかもしれない。
先ほどの会話を反芻して狩長は再び携帯を手にとった。
「…いや、今からなんつーよ」
一方的なまでに取り付けた約束。
相手が出た瞬間言い投げたあれは約束とは言えないかもしれないが、狩長にとってはあれが精一杯であり。
また狩長が十分と思えば一般にも十分だと認識を求める俺様な性格でもあったため、もう一度携帯が相手の声を運ぶことはなかった。
いや正確には、狩長が物怖じしたというべきか。
電話の相手こそ、容姿端麗頭脳明晰、狩長に次ぐ人気を誇る副会長様、七草春(ななくさしゅん)。
一言で言うなら初恋の相手だった。
「…どーせ来ないだろうがよ」
それがわかっていながら、きっと自分は一時間前には行くのだ。
全く、これだから恋というものは。
(惚れたもん負けとはよく言ったもんだ)
「マジでこねぇとかなんだアイツ、俺様を誰だと思っていやがる」
予想通り一時間に公園にたどり着いた狩長がそう悪態をついたのは、きっかり待ち合わせ時間になった時だ。
そもそも我慢なんて柄ではない。
「くっそ、七草粥のくせに…」
唐突な約束に、時間通りになんてくるはずがない、さらに言えばあの副会長様が時間通りに来ないのならば、きっともう来ないだろう。
同級生で生徒会で右腕で、ついでに幼馴染みの性質くらい知っている。
くるはずがないと自分でだって言ったくせに、胸はずしりと重くなった。
狩長が七草を知るように。
七草もまた、狩長が我慢なんてできないことを知っている。
(あーくそ、あいつぜってぇ来ねぇ)
がしゃん、と荒々しくブランコに座った。
子供用の小さなそれは、狩長の人より長い足には合わない。
中途半端な体勢に身体が痛む。
それでも狩長がそこを選んだのは、思い出に縛られたとでも言えばいいか。
寂れた小さな公園、そこは狩長と七草がよく遊んだ場所だった。
けれど、そんな思い出の場所を借りたところで。
(敵わねえってか、あの編入生に)
来ないだろうと、そう思ったのは性格以上に七草に先約があると知っていたから。
突然やってきた騒々しい編入生。
優等生と言われながら、腹黒とも呼ばれる七草の、優しい眼差しを受ける唯一の。
恋に疎い彼は、その意味なんてわかっていないだろうに。
その彼と、七草と役員で、今日遊ぶのだという話を狩長は耳にしていた。
下らねえ対抗心だ、と狩長は自分で自分をなじった。
負けは、確実だったのに。
(それでも、俺はあいつがずっと、)
午後一時。
日差しの照りつける公園で、とりあえずペットボトルを買う。
今日のために仕事は片付けてある、待てるだけ待ってみようと、思った。
(くっそ…、暇だ……)
くあ、とあくびを噛み殺す。
「ねみぃ……」
ただでさえ役員が仕事を放棄して編入生と遊び呆けているのだ、時間に余裕はない。
削られた睡眠時間が、いまになってそれを取り返そうと睡魔を生む。
(あー……七草が一匹、七草が二匹、七草が…)
眠すぎて相当おかしなことになっているのに気付かないまま。
頭はすでに、腹黒い幼馴染みで溢れかえっていた。
例えば。
適度に焼けた自分とは違う白い肌。
口だけは生意気なくせに、華奢な身体。
肩まで伸びた、ストレートの髪。
自分の金とは違う、落ち着いた茶の瞳。
揶揄するときに見せる、挑戦的な笑み。
好きなところなんて、そりゃ探せば探すほどある。
何時間でも言える、自信だって。
それなりに出来の良い自分の頭は想いを何時間でも言葉にでき――
「………うお」
――ふと目を開けたら日が沈んでいた。
ブランコに乗りながら器用に眠っていた身体を伸ばせば、ぱきぱきと骨が鳴る。
「…来ねぇか、やっぱ」
来ていたら間違いなく馬鹿にされる体勢だ。
これが潮時なのかもしれない。
(もう、高2だ)
かつて永遠にあると思っていた狩長と七草の時間。
そのほとんどは、素直になれないまま終わってしまったけれど。
「…かっこわり、」
「うわ、まだいたんですか」
馬鹿にした音色は、唐突に落ちた。
「う、おっ…!?」
「何ですかその反応。余計アホ面ですよ。あなたが呼んだんでしょう」
ラフな格好に身を包んだ七草が、愚痴をこぼしながらブランコに腰を下ろす。
可愛い、とは流石に飲み込んだ。
「…時間過ぎてんだろーが、約束も守れねぇのかよ」
「時間過ぎてるのに待ってる馬鹿に言われたくありませんが。そもそも言わせて頂けるなら、今日は先約を果たしたんです」
堂々と二の次だと言われたに等しかったけれど、狩長にとっては理由より結果の方が重要だ。
来なければ。
諦める、はずだった。
来たのは七草だ、
もう、知るか。
「今だってあの子が行けというから仕方な、きゅっ…!」
「……何だその声、可愛いとでも言って欲しいのかよ」
思い切り抱き寄せた七草の身体は、やはり狩長のものより小さくて。
可愛い、と、思ってしまう。
もちろん狩長がそれを素直に言えるわけもなく、舌打ちとなって消えるのだけれど。
怒ってるんですか。
七草が不安気に問いかけたのも一瞬。
「わざわざこの僕が会いに来て差し上げたというのに」
「…。……怒ってねーよ」
たとえ時間が過ぎようと、七草は1日狩長との約束を意識して、そして、今狩長の目の前にいる。
これほど嬉しいことが、あるか。
狩長の手が七草の髪をかき混ぜる。
その手の優しさに、七草が少しだけ眉を寄せた。
「どんな気の迷いです?」
「あ?」
「あなたが僕に優しくするなんて」
「…別に理由はねえよ」
素直になれない狩長の接し方は、おおよそ恋をしているとは思えないものだった。
いや正確には、所謂好きな子をいじめてしまうという小学生の行動なのだけれども。
まさかあの生徒会長様がそんなことをするはずがない、という思い込みは、一般生徒はおろか、幼馴染みである七草にもあった。というか、昔からそういった態度で接しられたせいで、こういう性格なのだと思うほかなかったのだ。
まさかそれが、不器用な幼馴染みの恋の証だなんて思いもせずに。
「てめえこそ、素直に抱き締められるなんてどんな気の迷いだ」
「あなたの機嫌を損ねると面倒なので。とりあえず好きにさせようと」
「オイ」
どこまでも打算的な男だ。
どうやら狩長は怒っていないらしいことを確認し、さらりと離れる。
特に照れるでもなく、何でもないように離れる体温に、焦がれるのはいつも狩長ばかりで。
「で、何の用です?特に無いなら帰りますよ」
時間の無駄なので、とまで七草は言わなかったが、くるっと背を向けた姿勢からそれは明らかだった。
「…っち、」
会いたかっただけだと狩長が素直に言えるなら、今こうして七草と微妙な関係にはなっていない。
逃がすかよ、と無意識に伸びた手は、それでも素直になれずに七草の柔らかい髪だけを掴んだ。
「いっ、………狩長…………」
恨めしげに振り返った七草が見たのは憮然とした狩長の顔。
「誰が行っていいっつったよ」
偉そうな物言いに眉を顰めた七草に、顎でブランコを示した。
「行くな。そこ座れ」
「…はあ……」
命令口調にわざわざ反抗する気もなくて、言われた通りブランコに座り直す。それを見て狩長も、がしゃんと勢いよく腰を下ろした。
そこから一番遠いブランコへ。
それきり黙った狩長に、七草が「狩長」と呼び掛けても「呼ぶな」と返されて、二人きりの公園に再び沈黙が落ちる。
「会長」と呼び方を変えたそれに返ってきたのは舌打ちで、何がしたいのだろうと諦めた七草も口を閉じた。
キィ、と鎖が寂れた音を上げるブランコを10回程揺らしてから、狩長がちらりと七草を窺う。
1秒遅れて、狩長を窺った七草の目と狩長の目が、ぱちっと合わされて。
ふいっと二人そろって顔を背けた。
end
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