「ふあ…」

西日が程よく当たる生徒会室で一人、仕事をしているとどうしても眠気に襲われる。
別に今日は生徒会の集まりの日ではなく、ただ勝手にいるだけだから、律儀に仕事をし続ける必要はないのだけれど、なんとなく、そんな気分だった。

1人になりたい、というか。落ち着きたいというか。

毎日よくわからない変態だとか俺様だとか、常にハイテンションな先輩に囲まれているのも、それはそれでもちろん楽しい。けれど、こうして一人まったりしているのも、好きで。

それが久しぶりだからか、寝るよりこのなんともいえない時間を味わいたかったのだ。

「んー………」

なんとなく、ふわふわする。
このままでは、間違いなく寝てしまう。

日差しがゆるゆると眠気を誘うのをなんとか耐えて、眠気覚ましに資料室に行くことに決めた。
眠気覚ましの一つさえ、なんとか仕事に繋げるこの思考を豊先輩にも分けてあげたい。というか僕が今やってるのって豊先輩の仕事だし…(自分のものはもう粗方終わってるから)


資料室に入るには鍵がいる。経費だとか生徒の情報だとかそういうものが保管されている場所だから、管理もそれなりにきちんとしているのだ。だから職員室に寄ったり、時間は確かにかかってしまう、けれど。

出てきたときと資料を手に生徒会室に戻ってきたときの部屋の違いに、「ぇえ…」だか「ぅえ…」だか、どちらにせよ嫌そうな声が出てしまったのは仕方のないことだと思って欲しい。


「なんでいるの…」

せっかくの、1人の時間だったのに。


思わずうなだれた僕が見たのは、さっきまで僕が座って仕事をしていた副会長用の席で、図々しくも眠り込んでいる安原だった。
少し出るくらいだからと戸締りをしなかったのが間違いだったのだろうか。
まさか来るとは思わなかった。
彼も、もしかしたら僕がここにいるとは予想していなかったのかもしれないけれど。

来てみたら僕がいた痕跡があって…しかも紅茶も飲みかけだったはずだから、すぐ戻ってくると判断したのだろう。
そして待つのに退屈して寝てしまったとかそんなところに違いない。

とりあえず持ってきた資料を安原の邪魔にならないよう隣の机に置いて、

「…あれ」

飲みかけだと思っていた紅茶は一滴として残っていなかった。

「…飲み干したっけ……」

いや、そんな記憶はない、それなりに残っていたはずだし、仮に飲んでいたとしても一滴として紅茶が残らないのはおかしい。洗ったかのように綺麗に光るカップから考えられることはつまり。


この人、僕の飲みかけの紅茶飲んだ……どころか舐めた………。


彼の変態行為には慣れたと思っていたけれど、まだ認識が甘かったらしい、ドン引きしてしまった…。

なんとなく傍に座るのは憚られて、安原から離れたソファに腰を下ろして彼を眺める。

緩やかに上下する背中は大きくて、突っ伏した体勢では身体を痛めてしまいそうだ。
他人の目やプレッシャーなんて気にしないような気もするけれど、隊長という役職も疲れるのだろう。
隊長が1年に変わったというのに、親衛隊や僕の周りで大きな問題が起きたわけじゃない。
うまく、動いてくれているのだろう。


こんな場所じゃ寝るに寝れないだろうに。


起こそうと近寄ったけれど、眠る安原は初めて見るもので。

じいっと、顔を覗き込んだ。


「黙ってればかっこいいのに……」


あくまで黙ってれば。というか動かなければ。
変態的行動とか無愛想なところとか、そうでなければモテる顔立ちなのに、すごく、残念な人だ……。

見つめるのにも、飽きて。
持ってきた資料にパラパラと目を通すけれど、彼が僕の机で寝てしまっている以上、仕事も出来ない。
机に置いてある書類をとろうとすると安原まで起こしてしまいそうで、流石にそこまでする気にはなれなかった。

「…おおきな手……」

結局安原を見つめることしかすることがなくて、すすっと投げ出された彼の手に指を伸ばす。

いつも僕を簡単にとらえる手は、僕のそれより一回りは大きいんじゃないだろうか。
身長が高いのもあるし、彼はそれなりにいい体格をしているから、よく華奢だと南に馬鹿にされる僕と比べるとどうしても差が明らかになってしまう。

「………」

すす、とさらに手を近づける。
寝ている彼を起こさないように、ゆっくりと。


ちょん、と指先で触れて。
ちら、と安原を窺う。


「…ッ……」


何故だかその瞬間に一気に顔が熱くなって勢いよく触れた手を引いた。


(な、にしてるの、僕…)


じわじわと耳まで熱くなるのがわかって、余計混乱する。

それでも。
ここで何事もなかったように流してしまえるほど、プライドは低くはない。むしろ高すぎると自覚するほどだったから、「手を引いた」という事実によくわからない対抗心が芽生えた。
芽生えてしまった、勢いよく。

引いた手をまた近づけて、そろりと安原を窺って。

今度はちょんと触れる前に手が震えた。


(……恥ずかし、い……)


丁度よかったはずの生徒会室が暑く感じられて、伸ばしてない方の手でぱたぱたと自分を扇いだ。

全然、こんなになるつもりじゃなかったのに。軽い気持ちで、手を伸ばしただけだったのに。
一度意識して手に触れようと思うと、じわりと熱が生まれてどうしようもなくなる。

「…う、ぅ………」

机の上を滑らせるように指を伸ばして。


ふに、となんとか指先で安原の指の先を挟んだ。
それから手の端だけをそっと包むように触れる。

ほぅ、吐息が漏れてそこでようやく自分が息を詰めていたことに気づいた。


変態の手に触れるだけなのに、どうして僕がこんな反応しなきゃいけないの…。


「…あ、」

ふと視界に入る、机の上に転がったペン。
寝ている人と、ペンがあったら、もうやることは一つだ。

蓋をとるとぽきゅん、と可愛らしい音がして、その音に口の端が上がる。
悪戯をしてるときのなんとも言えない楽しさはいつになっても消えない。双子の悪戯に巻き込まれると迷惑なことこの上ないけれど、自分がするとなると話は別だ。相手は安原だし。

体勢的に定番の額には書けない。標的とするのは、彼の大きな手。

安原を起こさないよう気を使いながら手を引き寄せた。


思いつくまま、とりあえず親指に
『へんたい』
と、書いて。

それから同じように、どの指にもそれぞれ文字を書いた。



「…ふふ」

いつ、気付くだろうか。手だから、どのタイミングで気付くかわからない。


「ねぇ、安原…?暇なんですけれど」

かしゃ、とペンを元に戻して、ごすっと安原の肩に頭突きをする。

「ん、…?」

「ねーえ?僕を放っておくつもりなの」

頭突きをした額をそのままぐりぐりと押し付ける。

「ふく、かいちょ…?」

ぼんやりと安原が起きたのを、額から伝わる振動で察してぱっと頭を離した。

「起きました?僕の机で寝ないでください。邪魔です」

「あ、ああすみません、寝るつもりはなかったんですが」

「忙しいんですか」

「まあ…ほどほどに…。副会長の動画を編集するのに忙しくて」

「…………………」

なにそれ気持ち悪い……。
それにしても寝起きだからか、声がいつもより静かだ。

「…何か用ですか?暇つぶしなら帰ってください、僕は仕事があるので」

「今日は生徒会の日じゃないでしょう?それに俺はあなたに会いにきたんです。すみません、副会長も俺に構ってもらえなくて寂しかったですよね」

「そんなことは全く。僕は別にあなたと話したいわけではないですし、あなただって、」

休んだ方がいいでしょう、とさらりと続けるはずだったのについ詰まってしまった。
動画が云々はどうせただの彼の言い訳で、それと同じようにさり気なく言ってしまえばいいだけなのに。

彼相手に普通に接するのが、ここまでくると逆に恥ずかしい(彼も彼でいつもの反動か、少し普通に対応しただけで気持ち悪いくらい絡んでくるし)。

「あなた、…が注意力散漫になって、僕を守れなかったらどう責任をとるつもりなの」

適当に理由をつけて顔を逸らした。
それなのに安原はその大きな手で無理矢理僕の顔を戻す。

「寝不足程度で俺があなたから注意を逸らすとでも思うんですか」

「……逆に気持ち悪いのでそういうときくらいは逸らして頂けませんか…」

「そうは言われましても、…………『へん、たい』…?」

「!」

ちらと安原が目線を移した先には、僕の顔を固定する彼の手。僕がペンで落書きをした、その手だ。
僕の顔から手を離して、じっくりと指に書かれた文字を見る安原。
あ、俯いた。

「……………」

「…あ、の………?」

「……………」

「安原…?」

黙り込んでしまった安原に恐る恐る声を掛けるとゆら、とようやく動いて。

「ぅ、わ!?」

乱暴に肩を掴まれると、ぽいっと腕の力だけでソファまで突き飛ばされた。
え、なにこの扱い。

「…っとに、あんたは………」

「え?な、え?」

急な展開に目を白黒させている僕の上にのしかかって、そのまま覆いかぶさるように抱き締めてくる。

「いやいやいやいやいやいや」

「そんなに拒絶しますか」

なんとか身体の間に差し込んだ両腕で精一杯突っぱねるけれど、この体勢はずるい。

「なに、重いんですけれど」

「あんなこと書いといて今さらそんな反応します?」

「あなたは変態と書かれて喜ぶ人だったんですか気持ち悪いですね」

「ああ、気持ち悪いとも書いてありましたね」

「…喜ぶ人だったんですか…………」

うわあ…と引くと同時に抵抗していた腕からも力が抜けてしまって、ぎゅう、と安原とソファに挟まれる。
…見事に身動きが取れない……。


「もう、…ばか、重い……」


ぼそりと吐き出す文句もはっきり聞こえる距離にいる彼が、くす、と笑ったのが首元にかかる息でわかった。






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