俺は常々思っているわけです。
「直、」
「南近い」
「喜ぶとこだろうが」
あの幼馴染みちょっと仲良すぎませんか、ねえ。
「副会長」
「今忙しいの」
「おい直」
「なんですか」
そっちにはちゃんと振り向くんですかそうですか。
紅茶一杯でいつまでも俺は我慢してませんけれど、わかってますか副会長。
がちゃ、とわざと音を立ててカップを置き皿に戻す。
たとえばここが二人きりの音楽室なら、俺の副会長はそれを見逃さず、可愛らしい表情で注意の一つ二つしてくれる。
が。
「直、そろそろ前髪切るか、邪魔だろ」
「だっていつも南忙しそうじゃない」
生憎ここは会長のテリトリーで、俺の副会長はその澄んだ瞳を俺に一瞬たりとも向けなかった。
ていうかなんですか。
副会長の前髪は会長が切るきまりなんですか、そうですかそうなんですよね、いくら幼馴染みだからって、そんなこと自発的にしませんよね。この学園のしきたりですよね、それなら仕方ないので許します。
「あ?昔からしてやってんだからんな時間かかんねえことくらいわかってんだろ?」
「そうですけど…」
って、んなわけないですよね、どこの学園にそんなしきたりがあるっていうんですか、いくらこの学園だって、そんなバカげたことしませんよ、ただ俺の目の前で俺の副会長が俺の副会長の幼馴染みに前髪を切ってもらうという事実を俺の副会長の幼馴染みから直々に聞いただけですよね、はは、
がちゃん。
さっきの音とは比べようもない、コップが割れる音に、流石の俺の副会長も俺を見た。
驚きに開かれた目が(ああ舐めたい)、音の元である俺の手元に移って、さらに眉が顰められる。どんな表情をしても可愛い、と思う。そしてその表情が俺を思って作られたものならなおさら。
ついかわいいですね、と零してしまったのは聞こえなかったのか、会長をおいて俺の副会長が駆け寄ってくる。会長をおいて、俺の方に。つい会長の様子を見たけれど、同じように心配気に俺を見ていたので、すぐ興味も薄れた。学園1があの会長だろうと、俺が見たいのはあの人ではないし、同じ表情なら俺の副会長のものを見ていたかった。
「あなた、手が、」
いつもの落ち着いた声とは違う、動揺が表れた声が可愛くて。
俺を見る俺の副会長がとにもかくにも可愛らしくて、視線をそらせなくなってしまうから、手のひらは見えない。
けれど、じく、と痛む手のひらに、血が伝うのが分かる。
それもそうだ、力任せにカップを握り潰した。高級で繊細なカップは、見た目通り耐久性には富んではいなくて。
つい無意識に、怒りでも発散させようとしたのか、カップは手の中で見事に割れてしまっていた。
無残な欠片になっていた。
「あ、でも、少しだけ、ですね…」
これならきっとすぐ止まります、と俺の指にハンカチを巻いて俺の副会長がほっとしたように息を吐いた。
「ありがとうございます、優しいですね、俺が好きになっちゃいましたか」
「な、にばかなこと言ってるの」
かあっと、白い頬が赤く染まる。おおかた、うっかり心配しちゃって、けれど俺がいつも通りで、そんな自分が余計恥ずかしくなったんですよね、可愛い。かわいいなあ。
可愛くないことばかり言うくせに、頬は素直に真っ赤になるから、…それをまた、細い指で隠そうとする仕草が、たまらないのに、きっとそれをわかってないんだ、この人は。
そこが可愛い。可愛くないだなんて言ってみせるくせに、気づかないその無防備さが可愛い。可愛いことをしておきながら、ツンと澄ました態度をとってみせるのが可愛い。
けれど、思い知らせてやりたい。気づいていない可愛さを、一つ一つ、目の前に突き付けて。いじめて、あげたい。
やっと俺の副会長が俺を見て、
「オイ、安原、指大丈夫かよ?」
「…………はい」
俺に声をかけた会長に視線が移された。
つい間が空いた。べつに苛立ったわけではない。会長は普通に心配しただけで、俺から俺の副会長の視線を奪おうとしたわけじゃない。
結果、そうなったところで、別に身体に廻ったのは怒りではないのだ。
興奮、だった。
俺の副会長がよく言うように、気持ち悪く言い直すとするなら、欲情。
逸らされる視線が。くる、と動く甘そうな瞳が。横を向いたせいでより強調される長い睫が。まわる白い首が。
視線を逸らす、その動作が。
興奮して、ああいや欲情して仕方がなく。
つい間が空いてしまったというわけだ。
「本当に少し血が出たくらいなので」
むしろカップすみません、と、本当にただ謝りたいのはこっちなのだけれど。
俺の、俺の副会長への想いを知る会長は、それを僅かばかり曲解して(つまりは嫉妬だと)受け取ったようで。
流石に俺の目の前で必要以上の接触はしないように、してくれた、らしい。
らしい、というのも、そもそも。
あの二人は、普通以上にべったべたしてくれるのだ、普通の状態で。
と、いうか、控えめにしようと、そう思っておきながら普通以上って、はは、なんなんでしょう、はは。
困った、これは困った。もう、怒りを発散させるモノがない。
割れたカップはもう片付けてしまったし、俺の前に残るのはむなしくも置き皿。ソーサー。
これを割るのはさすがに、カッコ悪い。
とりあえず、ソーサーに手を伸ばしてみるも、やはりというかカップより丈夫だ。
これでは、カップのように、上手に割れない。
そう。
嘘だった。紛れもなく嘘でした。
つい、うっかり、無意識にカップを割っただなんて。
無意識どころか、力加減までして。
と、いうか。俺の副会長が触ったカップだし、どこかに投げつけたくはないなあ、じゃあ、握り潰すしかないですよね、って、方法までしっかり考えて。
しっかり割ろうとして、割りました。
会長に髪を触れられる俺の副会長をただじっと見ながら、その横顔を、身体を髪を焼き付けながら割ったわけで、もちろん俺に駆け寄る俺の副会長の指先を表情を声までを意識してとらえてた俺に、無意識にカップを割るなんてさらさら無理でした。無意識なんて入り込む隙間もないほど、俺の身体は意識で溢れてました。
本当は怪我をする予定もなかったけど、俺の副会長が触れてくれたので結果オーライ。意識してなかったらもっと血まみれでしょうね、握り潰したんですから。
まあでもそれくらいに、嫉妬したわけです。もう正直に言います嫉妬以外の何物でもない。
俺から会長に視線が移ったのは、まだしも。
俺の副会長に、触れて、約束で俺の副会長を縛って、俺の副会長に名を呼ばれて。
ああ、困った本当に。
その続きが、目の前にあるわけで。
むかつくもんはむかつきます。
「ばかですか…」
なんて、俺の副会長の可愛らしい罵倒の行く先は俺だけで十分なのに。
幼馴染み、あの会長は幼馴染み、嫉妬してもキリがない。
が。
むかつくもんはむかつきます。
だからといって、あのふたりの会話に入り込むわけにもいかず。
大人しく仕事が終わるのを待つのが、なんだかんだ得策だった。
…ていうか、半分くらい仕事と関係ない話入ってませんか、いつもこんな感じなんですか、なら俺の副会長やっぱり素直に生徒会室に返してあげるんじゃなかった。次からそうしよう、もう少し、俺の副会長を俺だけが堪能してから解放してあげよう。
「南、」
あ、失敗、間違えました。
二人を見ているのもなんだか身体に毒なので、俺の副会長の声だけ聞きとろうとしたんですが(まあそれも身体には毒)、いえ今のも間違いなく俺の副会長の声ですが、うっかり俺以外の名前を呼ぶ声を拾ってしまいました。
気を取り直して。
「あの書類、どこにあるか知ってます?」
「…、…、………」
「はい、それで訂正する箇所があって、…え?」
あ、成功。
うまく俺の副会長の声だけを抜き出せた。
可愛い。声だけでも可愛い。ああきっと、僅かに首をかしげているんでしょう、それがどれだけ可愛いかもしらないで、単純に疑問を表現するようにその首を傾けているんでしょう。
髪が揺れて。
茶色く潤んだ目で、見上げて。
見なくてもわかる、いや、見たからわかるというか。
目に焼き付けてきた俺の副会長の行動は、簡単に声から想像できる。
もちろん、本物に比べたらこんな妄想、ちゃっちいにも程がありますけど。
どれだけ俺の副会長を声だけで想像できるだろうか。
もしあやふやなところがあるなら、そんな表情があるなら。
今度、させて。
目に焼き付ければいい。
よし、今はそのための時間にしよう。
「え、もう、…が、直してくれたんですか?」
「………、…」
「…そういうの、自意識過剰っていうんですよ」
可愛い。
可愛い声だ。可愛くない声なんてないけれど、照れを隠すような、少し上ずった声。
きっと、頬も少しだけ、赤い。
目が伏せられて、けれど言葉だけはまっすぐ返す。照れた声で。
照れ屋のくせに。
プライドが高くて、簡単に真っ赤になるくせに。もう、そんな自分の感情、何度も体験してきたくせに。
まるで照れを持て余すかのような、慣れていないように隠そうとする態度は、たまらなく、そそる。
いじらしい。
いじめたい。
暴いてあげたい。
赤く染まった顔を、羞恥に濡れた目を、隠せないように両腕を捉えて、逃げられないように顎も捕まえて、そのまま、教えこんであげたい。
真っ赤になってる耳に、この真っ赤な舌で、真っ赤な嘘でも吐いて。
プライドを、折って、ぐずぐずにさせてしまいたい。
凛とした、俺の副会長を、どこまでも可愛がりたい。
「ご褒美?」
「……………」
「何言ってるんです、会長として当たり前のことをしただけでしょう」
「……、……」
「ふふ、またそんな、子どもみたいなことを」
笑い声。
ずくずくと、身体がうずく。
見たい。
俺の前で俺の副会長はあまり笑わない。それでも、俺を見上げる表情が、照れた表情が、泣きそうな表情が、可愛くて可愛くて。それに、俺の副会長は、泣いた顔が一番可愛いと、本気で思ってはいますけど。
それとこれとは話が別で。
想像するために目に焼き付けたいとか、そういうのでもなくて。
ただ惚れた相手の笑顔を見たいという素直な欲求だった。
ただでさえ、花だと、しかも高嶺の花だと形容される俺の副会長が、それこそ花のように笑ったら。
prev | next