相変わらずサボり魔な先輩2人と、いちいち身体を壊しては休む双子がいないせいで、今日も今日とて静かな生徒会室。

代わりとばかりに居座る安原が紅茶を飲みほして唐突に口を開いた。



「ところで副会長」

「何でしょう、紅茶のおかわりなら自分でお願いします、今忙しいので」

「いえ、そうではなく」

ソファから立ち上がってこちらに近寄る安原に、座っていた椅子を回転させられて無表情な顔と向き合った(書き途中だったプリントに曲線が描かれた)。


「…何でしょう」

「俺、あなたに携帯のアドレスも番号も教えてもらってません」

なにかと思えば。

「教える必要性がどこにありますか」

「例えば、親衛隊集会の日時の連絡。例えば親衛隊の新入り報告。例えば親衛隊内の要注意人物の報告。例えば、」

「わかりました、もう結構です」

珍しくまともなことを言われて流石に反論ができなかった。

「…では副隊長の方に教えておきますので、なにかあれば副隊長を通して連絡ください」

「それじゃ俺がラブコールできないじゃないですか」

「本音は最後まで隠していてもらえますか」

これで解決ですね、と椅子をもとの向きに戻そうとすれば力強い腕に椅子を固定された。

「俺が、知りたいんですけど」

「変なメールきそうだから嫌です」

「変なメール、って…」

にこりと弧を描いた口が耳元に近づく。



――そういうの、期待、してるんですか?



「…!」

あからさまに意味を含んだセリフにかっ、と一瞬にして身体が熱くなる。

言葉を返す前に、ぱんっ、と手を叩く音が響いて、安原と一緒に目を向けた。


「俺に考えがある」


…そういえばいたんですね南(何も喋らないから忘れてた)。




ぱたぱたと人影のない校内を走る。流石に授業が終わってしまえば普通教室に残ってる生徒はいない。精々部活で特別教室を使う程度で、廊下には足音だけが響く。



――南の提案は簡単に言えば鬼ごっこだった。



『ここは潔くゲームで決めようぜ?場所は校内全て。時間は鐘が鳴るまで。…まあ、大体30分ってとこだな。安原は30分以内に直を捕まえる。直は30分安原から逃げたら勝ち。安原は直捕まえて10秒経てば捕まえたことになる。逆に言えばその10秒以内なら直は攻撃して逃げてもいい。…そんな悪い条件でもないだろ?こんだけ広い学園だ、うまくかくれりゃ30分なんてあっという間だぜ?』


と、言われて。

確かに、と、納得してしまったのだけれど。





「はは、走る副会長もいいですね」

「うる、さい」


見つかった。
早々に見つかった。


必死で逃げる僕を悠々と追いかけてくる。
本当に、あの大きな身体は厄介というべきか、足の歩幅が全然違うのだ。


なんというか。

割と僕に有利だと納得してしまった以上、負けるのはなんだか許せない、南に大笑いされそう。
大体、この変態に携帯情報なんて教えたら、毎日毎日気が気じゃない。冗談じゃなく、一時間単位でメールがきそうだ。
けれど、追いつかれてしまった以上、これ以上逃げても無駄に安原を喜ばせるだけじゃないだろうか。

どうせ捕まるのなら、必死になって逃げても無意味だ。


「っ、はぁ…っ…!」

何分も走り続けて、息だって荒い。
顎先にまで流れてくる汗を乱暴に拭った。

安原を喜ばせるだけに比べれば、ここは折れてしまった方が、得策。

メールも電話も、いざとなれば全部無視してしまえばいい話だ。


そう考えてぱたりと立ち止った。


「あれ、逃げるのおしまいですか?」

「は、ぁっ…、」

「ああ、体力的に限界ですか」

荒れる息をなんとか抑えこみながら、近づいてくる安原を睨む。

「あと、15分ほどありますが、もう降参ですか副会長」

「…はぁ、…あなたを、喜ばせる趣味は、ないの」

安原に至近距離で上から見下ろされ、その圧力に負けるようにずるずると壁に背を預けたまま座り込んだ。走り続けるだけでも体力が減るのに、後ろにくっつかれて追いかけられれば、体力の減りも著しい。

「そうですか?俺今すっごい楽しいですけど。分かってますか副会長、今あなた顔真っ赤ですよ」

「知ってます、あなたは本当に意地が悪いですね」

「えぇ、ですから副会長」

目線を合わせるようにしゃがんで僕に覆いかぶさる安原がにこりと笑う。



「俺が素直に捕まえてあげるはずないって、分かってますよね?」


「…!」



目を見開いた僕の頬にぴたりと大きな手が添えられる。

その冷たさが心地よくて、少しだけ目を細めた。


「身体、熱いですね」

「っぁ…、…!」

大きな手のひらがするすると首筋に降りて、震える喉から小さく声が零れる。


「っと、今7秒くらいでしたかね」

思い出したように安原が呟いて、ぱっと手が離された。


『10秒経てば捕まえたことになる』


…10秒経たなければ、触られても捕まったことにはならない。

よくあるルールだと思ったのに、相手が安原というだけでこうなってしまうのか。



「さてどうします副会長。このまま俺にされるがままというのも大歓迎ですけど」

「…っ、ほんと、気持ち悪い……!」

とんっと安原の肩を押せば素直に身体が離れて、暫し休めた身体をもう一度立ち上がらせた。


「大丈夫ですか副会長、そんな息で」


言葉とは裏腹に淡々とした様子で見つめる安原に余計羞恥心が募る。


立ち止れば何をされるかわからない。
かといって逃げ切れる自信もない。

けれど、走るしかない。

安原にされるがままになるよりは、少しでも走った方がマシだった。



屈辱以外の、なにものでもない………!


「…南の、ばか…!」

「はは、このタイミングで他の男の名前を出すものではないですよ」



そうして走り出したはいいものの。


「副会長、ペースが落ちてますよ降参します?」

「しかし副会長は後ろ姿もいいですね」

「真っ赤な顔で睨んでも誘ってるようにしか見えませんよ。あ、誘ってましたかすみません気がきかなくて」

無駄に淡々と話し続ける安原に追い込まれて、ついに僕の逃げ切るというプライドに体力が追いつかなくなったのだった。



「はあっ、は、っ…!」

最後に教室に逃げ込んで、座り込んだまま立ち上がる気力もない僕のもとに安原がのんびり近づいた。
酸欠で頭が揺れる。ここまで必死に走ったのは何年ぶりだろうか。
人より長い髪の毛が鬱陶しい。

「汗ぐっしょりですね、副会長」

「うる、さ…」

こんなにも僕の身体は熱を持っているというのに、涼しげな安原に腹が立つ。体力の差を見せつけられるのはすきじゃない。

「気持ち悪いでしょう、俺が舐めて綺麗にして差し上げます」

「もっと気持ち悪いです」

「副会長の汗を味わいたい」

「どうしてさらに気持ち悪く言い直すの」

押し返す力のない僕の首筋にぽすりと安原の頭が埋められた。
首筋に安原の息がかかって、体中に鳥肌が立つ。

「すみません、本心です…ん、本当は、舐めるくらいじゃ物足りませんが」

「ぅ、わ…!信じ、られ、な…!」

ぬる、と首筋を伝うものに、瞬間的にこれ以上はないと思っていた体温が上がって、何をされているか認識すると、今度は血の気が引いた。


(汗、…舐められ、…!)


っ気持ち悪い、気持ち悪い!

変態にも程がある…!


「嬉しすぎて泣きそうです」

「っふ、気持ち、悪すぎて、…ゃ、泣きそうです……」

「本当ですか、涙も舐めさせてくれるんですか」

だめだ、もはや変態とは言葉が通じない。
ぞくぞくと伝わる震えを抑え込むように手を握りしめる。

「ん、勝手に、解釈しないでもらえます、ぁ…っ、…っ泣き顔見たくないとか、言えないの…っ」

「むしろ見たいです、あんたの涙舐めるのは俺の役割なんで。なんで一人では泣かないでくださいね、必ず俺の前で泣いてください」

「…」

「あれ、あなたが無言だなんて照れてます?」

「だから勝手に解釈しないでもらえますか、素直に引いてます…」


する、と突然手を握られて、気持ち悪さに安原を見上げれば

「そろそろ時間ですので、捕まえておかないと」

と笑った。




「いーち」

握った手に力が込められる。


「にーぃ」

再び首筋に顔が寄せられて。


「さーん」

つつ、と舌が首筋を伝う。


「よーん」

耳元にたどり着いた唇が囁いて、


「ごーぉ」

ぱく、と耳たぶを甘噛みされる。


「ろーく」

ぺろ、とまた舌が動いて、


「なーな」

濡れた耳に息が吹きかけられた。


「はーち」

目尻に唇が触れる。


「きゅーう」

それが口の横に移動して。


「じゅーう」

指だけが唇に触れて、安原のそれは額に落とされた。


「っ気持ち悪い気持ち悪いあり得ない…!!!シャワー浴びたい洗い流したい信じられない気持ち悪い!!」


カウントとともに火照りを増した身体を床に投げ出した僕に、ようやく待ち望んだ鐘の音が届いた。


「………あつ、い…」



両手で(安原に触れられたところを素手でなんて触りたくなかったからカーディガンを指先まで伸ばして完全防御)顔を覆い隠して言えば、その手を安原に剥がされて、開けた視界に入る意地悪い笑顔。




「ところで副会長。鐘が鳴ったからといって、俺が素直にあなたを生徒会室に返してあげると思います?」


「……え?」




end




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