チスターチェアへようこそ!8
2013/07/06 19:47


黒いお兄さんのヴィジュアル舌鼓

「子元ちゃんのケーキおいしい〜!」

きゅー!と頬を抑え、銀屏さんが満面の笑みを浮かべている。

ほんの好奇心から始まった彼女手作り日替わりスイーツは、一週間ほどで「チスターチェア」の隠れた名品にランクアップしつつある。

大抵はケーキだが、ロールケーキだったり、ティラミスだったり、彼女の試行錯誤が重なるほどに出されるスイーツも凝った物になっていた。

今や彼女も朝早くから、仕込みに勤しむ徐庶の隣で健気にお菓子作りに励んでいる。

とはいえ、初心者の独学だから決して効率も良くはなく。

一日2ホール分まともに焼き上がれば上出来と言ったところだった。

それがまた希少価値を上げているのだが、不器用な彼女がそれを知る由もない。

そんな今日もランチのオムライスを二人分平らげた銀屏さんが、別腹とでも言わんばかりの食欲でケーキを味わっている。

徐庶に勧められて挑戦した、ごくありふれたイチゴのショートケーキだ。

"まずは基本をしっかり身につけよう"と諭した徐庶の言葉に、彼女は嬉しそうに頷いていた。

やりたいこと、自分だけの役目、そういうアイデンティティのようなものをようやく見つけた。

近頃の彼女はそんなささやかな自信に満ちているようだった。


「お姉ちゃんも食べてみて、あーん!」

「あー…」

銀屏さんは一口分のクリームを向かいに座る関興さんに差し出す。

いつものフレンチトーストを口に運ぶ手を止め、言われるままにクリームを頬張った関興さんは、幾ばくかを置いて大きく頷いた。

「…おいしい」

ふわり、と無感情な容貌に笑みが宿る。

「とても初めて作ったとは…思えない…凄いですね…」

優しげな賞賛に、カウンターにいた彼女は困ったように頭を下げる。

照れているのが明らかな赤い頬に苦笑して、徐庶が代わりに「ありがとうございます」と礼を返した。

穏やかで幸せなひととき。

「これこそチスターチェアだな」、なんて。

徐庶はのんびりと考えていた。


**


銀屏さんたちが帰って二十分ほど。

お昼時も終わり他のお客も帰った店内はしんと静まりかえっていた。

彼女は徐庶の袖を掴んでぴったりくっついたまま、グラスを磨く彼の手を飽きずに眺めている。

相変わらず無言だが、銀屏さん達に誉められたからかちょっと上機嫌そうだ。

そろそろ閉店しようか、なんて言い掛けた矢先、ドアについたチャイムが突然からからと鳴った。

「あ、いらっしゃい……ませ……」

こんな時間に珍しい、と顔を上げた徐庶の言葉が詰まる。

「こちらがカフェ「チスターチェア」?」

不意の来客は、V系を思わせる独特な風貌の黒いお兄さんだった。

店内にやってきたお兄さんは、その全身黒づくめの容姿に相応しく低い声で問う。

徐庶の困惑も意に介せず、値踏みするように彼を見返した。

真夏だというのに、漆黒のロングレザーコートで身を包み汗一つ浮かべていない。

不健康そうな蒼白の肌色には、彼女が完全に怯えてしまっていた。

「ええと…そうですが」

「こちらでケーキが食べられると聞いた、出して頂こうか」

黒いお兄さんはそう言うなりカウンター席に腰を下ろす。

牧歌的なログハウスに、レザーコートがびっくりするほど似合わない。

一体何の意図があるのか…いまいち掴めないまま、徐庶は言われるがままに彼女作のショートケーキ(幸運にもちょうどラスイチだった)を皿に取り分ける。

彼女は涙目で徐庶の背中にしがみついたまま離れない。

びくびくしながらおそるおそる黒いお兄さんを窺っている。

「えと…お待たせしました、本日の日替わりデザート、イチゴのショートケーキになります」

「…ほう」

黒いお兄さんは顎に手を当て、現れたケーキを矯めつ眇めつ眺め始めた。

おもむろにフォークを手に取った瞬間、走った殺気に徐庶も彼女も後込みしてしまったのは内緒だ。

黒いお兄さんが静かにクリームたっぷりの一口を口に運ぶ。

のんびりしたカフェに緊張が張り詰める。




ガタッ!

「はうわ!?」
「……っ!!」


しばらく目を伏せたままもぐもぐと口を動かしていたお兄さんが、突如その場に立ち上がった。

思わず徐庶と彼女は互いに抱き合ってあからさまに後ずさる。


「何だこれは…」

「あ、あの(怯)」

「口に入れた瞬間、俺の身体を稲妻が駆け抜けた」

「あ、あの(困惑)」

「口溶けの軽い淡雪のようなクリーム、適度な空気感と弾力を兼ね備えたスポンジの計算し尽くされた絶妙なハーモニー…フルーティーな甘さから残る開放的なラストノートには官能すら感じさせる、例えるならこれは精緻な交響曲のクライマックス」

「あ、あの…?(疑惑)」

わなわな震えたまま、鬼気迫る表情で詩的な世界にトリップしているお兄さんに徐庶がおずおず尋ねると、彼ははっと我に返ったように顔を上げた。

「素晴らしい」

「はあ…」

不健康な白い容貌がちょっとおどろおどろしい。

しかし、その割にきらきらした青い目で徐庶を見据えて、お兄さんは満足げに笑ってみせた。

「俺は毎年平均1500個ほどケーキを食べているが、これは今までの記憶の中でも至高と言っていい」

「ええと、ちょっと食べ過ぎでは」

お兄さんはさながら拳銃でも取り出すような仕草で懐から名刺ケースを取り出し、白黒の味気ないレイアウトの名刺を徐庶に差し出した。

渋々受け取ると、小さい紙面の中には細かい文字でびっしりと肩書きや役職が並んでいる。

"代表取締役"とか"米国政府認定"とか書いてある辺り、明らかに普通の人間とは違う。

…どっちかというと、残念な電波方面に。


「自己紹介が遅れたな…俺は賈充、職業・究極のスイーツだ」

「すみません意味が分かりません」

ドヤ顔で名乗った賈充さんは、うっとりケーキを見つめ、陶酔気味に徐庶に告げた。


「貴殿がこのケーキを生み出したキセキの世代とも言うべきパティシエだろうか…最高の賞賛を送りたい」

「あ…なんかもう色々人違いです」




毎日三食とおやつにケーキを食べれば大体年1500個くらいかなと



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