はちみつレモンの魔法1
2013/05/27 22:10
***
放課後の校舎、春霞の掛かった暖かい中庭の渡り廊下。
自販機と水飲み台が並ぶスペースの一角でホウキ片手に立ち話に興じる生徒達がいた。
「あの、昭」
せっせと枯れ葉を掃く片方のホウキが思い立ったように声を上げる。
「んー?どしたよ」
対してだらだらと怠けてコンクリートの地面を撫でくり回すばかりのホウキは間が延びて気の抜けた返事を返した。
文鴦と司馬昭だ。
今週彼らは掃除当番だったが、花粉症だからと外に出たがらない女子生徒に中庭掃除を半ば無理矢理任されている。
ホウキが少し小さく見えるくらい長身でガタイの良い二人。
しかし文鴦はそのがっちりした肩をやや落とし、困惑を隠せない表情で消え入るように呟いた。
「子元…お、お姉さんの好きな食べ物を聞きたいんだが」
三月の陽気も血気盛んな男子高校生には十分すぎる暖かさで、司馬昭はカーディガンの腕を無造作に捲ったままホウキの柄の先に顎をついて気怠げに眉を上げた。
「はぁ?めんどくせ…本人に聞いてくれよ、ブンブン普通に聞ける仲じゃん。俺が聞くよりずっと確実だと思うぜー」
「だが、知らせてしまっては新鮮味もない」
ふむ、と考え込んでしまった文鴦に司馬昭はにやにやと悪戯っぽく詰め寄る。
「なに…何かサプライズプレゼントでもすんの?んっとにマメだなぁブンブン」
「マメって……当然だろう、ホワイトデーなんだから」
からかうような問いにも真面目な彼は実に誠実に頷いた。
ホワイトデー、その単語に司馬昭の顔がぴくりとひきつるが、文鴦は気付いた様子もなくホウキを動かす手を止め腕を組む。
「子元はバレンタインに手作りのケーキを作ってくれた。私は手作りなんて出来ないから、せめて子元が好きな物を買って贈ろうと…しかしいざ選ぶとなると迷ってしまって」
「なぁブンちゃん」
ぶつぶつ呟く文鴦の言葉を遮り、司馬昭が不意に彼の渾名を呼んだ。
「ん、んん…?」
きょとんと頭の上にクエスチョンマークを浮かべる文鴦に、司馬昭は苦く絞り出すように口を開いた。
「姉上を呼び捨てするのも目を瞑るから教えてくれ…ホワイトデーって…いつだっけ」
「え、明日だが」
精悍な真顔の即答に司馬昭の顔色が彼の親友みたくすうっと蒼白になる。
「や…やべえ…素で忘れてた!元姫にお返し考えてねえ!どうしよブッ飛ばされる、か弱いけど鋭い言葉の刃で半殺しにされる」
ホウキをすっ飛ばして頭を抱える司馬昭に文鴦は少しばかり瞠目して、何気なく口を開いた。
「なら、この後買いに…」
「行く!絶対行く!頼むお願い連れてって」
食い気味の返答に思わず肩を竦めつつ、文鴦はブンブンと愛されるに値するような爽やかで人懐こい笑みを浮かべる。
「良かった、頼みたかったのは私も同じだし、助かるよ。今日はバイトもないし時間はあるから。色々頼らせてくれ」
「任せとけ、俺のリサーチした姉上の好きなもの全部教えてやっから」
さっきのめんどくさがりはどこになりを潜めたのか、すっかりやる気を出した彼は文鴦に向けてぐっと親指を立てた。
「姉上が喜ぶモノ、期待しとけよ」
「ああ、期待する」
***
「うーん悩むなぁ、イチゴの春サンデー…桜ミルクレープ…」
高校から少し離れたファミレスで向かい合ってスイーツメニューをのぞき込む男女が一組。
春スイーツの旗に釣られてふらふら店に誘い込まれてきた銀屏と賈充の二人だった。
色鮮やかなデザートの花畑で目移りしっぱなしの優柔不断な彼女に、彼氏が優しく見守る目を向けているのか、寄せ合う額が何ともいじらしい。
…が。
「ね、賈充はどっち食べるつもり?」
両手で乙女っぽい頬杖をついた彼女がおもむろに口を開いた瞬間、その傍目の汎用的イメージは音を立てて崩壊した。(幸か不幸か彼女の問いは周囲の客には聞こえずに済んだようだが。)
どれが良いかな?ではなくて、どれにするの?の問い。
僅かな違いだが言葉のニュアンスはまるで違う。
しかし問いかけられた賈充は下瞼に隈が染み着いた不健康な目をちらりと上目遣いに銀屏を見た。
「イチゴ」
即答。
声音は抑圧され聞き取りづらい低さに潜められていたが、乙女心を震わすような低い声は明確な意志を持って春らしい三文字を口走った。
糖分とはおよそ縁のなさそうな苦み走った容貌とは裏腹に、賈充にはそういう甘ったるい食べ物ばかり好む些か女々しい性癖があった。
付き合って半年ほどになる銀屏との馴れ初めもスイーツにまつわるエトセトラであるわけだが、やはり自分に似合わない嗜好という自覚はあるらしく。
賈充は常々、まるで良からぬ趣味に耽るようにこっそりと人目を避けては甘いデザートに頬を緩ませていた。
「あ、やっぱり?いいよねイチゴ…うーん」
唇を尖らせて、銀屏は左右の人差し指でメニューの写真を交互につつく。
悩める賈充と対照的に"スイーツ大好き"という言葉のよく似合う快活な彼女は、彼の分まで諸手を振ってスイーツを満喫するついでに、彼の分も注文を取ってくれるささやかな心遣いも持っていた。
自然とそれをやった銀屏に賈充はころっと落ちたわけだが、果たして銀屏がそれに気付いているかは聡い賈充にも読み切れていない。
「イチゴは美味しいけどあくまで今が旬なのであって、その気になれば夏でも食べられるじゃない?でも桜は春しか食べられないしぃ……うう…決めらんないよぉ」
うんうん唸る彼女の頭越しにメニューを見ながら、賈充も気怠げに頬杖をついた。
前にブラックコーヒーとペーパーバックの洋書でも置いたら実にさまになりそうな姿だ。
溜息混じりに低い声が漏れる。
「そうだな…ハニー」
「…えっ!?」
銀屏の肩が大袈裟に跳ねて、裏返った声が出た。
いま、何だかすごい単語を聞いた気がする。
頬をメニュー写真のイチゴのように赤くして銀屏がわなわなと正面の賈充を見た。
彼女をプチパニックに陥れたことに気付いているのかいないのか、彼は素知らぬ涼しい顔でデザートを眺めている。
全身震えているんじゃないかと錯覚するほどの動悸を抑えて正面を見つめた銀屏の前、賈充は身じろぎ足を組み直しながら薄い唇を開いた。
「…ハニーレモン風味のレアチーズケーキというのも俺は捨てがたい……ん?どうした」
「う、ううん!何でもないよお!!」
真っ赤な顔を左右にぶんぶん振りながら、銀屏は手近なメニューを縦に掴んで隠れるように頭を隠す。
見えないように遮った下、果実みたいな赤い頬をむくれさせているのも、果たして彼は気付いているのかいないのか。
素っ気ない双眸は相変わらずデザートに釘付けのままだ。
***
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