學天則ファンタサイズ2
2012/12/24 00:23


2・センスはいいが味気のない自宅

機械の進化は、この時代遂に人間を上回るに至った。

曹丕の会社もそうだが医療関係は技術革新で格段に進歩した。

今や医学書に不治の病というものはない。

デジタル技術の世界でコンピュータウィルスとワクチンソフトの鼬ごっこに終止符が打たれるのと時同じくして、現実世界でも新型ウィルスと人類の対決に決着が付いた。

ナノマシンの普及でワクチン開発はかなり容易になっている。

いまどき薬学研究者のお仕事はナノマシンが採取した情報を元に弾き出した設計図通りに薬を調剤することが中心だ。

それでも製薬には知識と技能がいるから食いっぱぐれることはないが、インフルエンザが流行る度に研究者が不眠不休で分析に当たることはもうなくなった。

もちろん医療だけではない。

身近な生活の科学から宇宙工学まで、機械の躍進は果てなく続き、未だ留まることを知らない。

例えば殆どの家電がオート化したマンションにしても、自動操縦の高級外車にしても、みんな科学の恩恵を受けている。

機械でどうにもならないのは、もはや人間の心の機微くらいの物だ。



「‥‥‥さて」

愛するマンションに戻ってきたはいいが、曹丕の心は落ち着かない。

ほんの気の迷いで拾ってきてしまった行き倒れの少女、その扱いに困っていた。

とりあえずリビングの革張りソファに寝かせてみたが、それから先どうしたらいいのか分からない。

怪我をしていたら手当くらいはしてやろう、と裸体を隠す白衣をめくってみたが、色気もない少女の未熟な裸を眺めるだけの徒労に終わった。

曹丕の興味はむしろ少女より彼女の唯一の所持品とも言える白衣に向けられる。

少女よりも大分サイズの大きな白衣、おそらく男物だろう。

少女を拉致監禁した変態は彼女にお医者さんごっこでも強要したか、なんて侮蔑の冷笑が浮かんだが、彼はすぐにそれが間違いだと悟る。


「王立科学開発機構‥」


白衣の胸ポケットの上部には一対の麒麟が剣を携え向かい合う姿が意匠された国の紋章と、国の人間なら小学生でも知っている最大組織の名前が刻まれていた。

最新科学と復古的王政、相反するものがこの国では水飴のような粘度で融け合い世界最大の君主制科学立国という複雑な環境を作り上げている。

その証とも言える世界最高峰の技術研究機関の名前だった。

曹丕は自分のふざけた予想が全く当たっていなかった、どころか、ややこしいことに首を突っ込んでしまった感覚をひしひし感じていた。

エリート研究者の中に美少女を拉致監禁する変態性癖が混じっている、訳ではない。

現実はもっとひどい。

最先端の粋を集めたのこの機関は巷では「量産したクローン人間を使い捨ての実験台にするくらいは朝飯前らしい」と嘯かれて久しい。

王立科学開発機構は、美少女拉致監禁どころじゃなく倫理観がぶっ飛んだ、嫌な意味でトチ狂った天才達の巣窟と言われている。

曹丕はもっと嫌な想像を働かせようとして、不快感に顔を背けた。


治験、くらいにしておこう。

曹丕はよくわからない理屈で妄想にブレーキを踏んだ。


よくわからない治験のバイトを軽い気持ちで受けたはいいが人前で裸になったり薬を打たれたりで気が滅入ってしまって逃げてきた、
彼は少女の行き倒れの理由を即席でそう組み上げる。

文学部の本領発揮である。

それだけで多少、気が楽になった。


曹丕はスーツを脱いでおもむろに少女の身体に掛けた。

どうせしばらく目を覚まさないだろう。

静かなうちにシャワーを浴びようと思った。

少女に触れていたからか、曹丕自身も大分身体が冷えている。

少女の傍らから立ち上がると、キッチンでコーヒーメーカーをセットしつつ、彼は彼女を放ってあっさりその場を後にした。


**


「‥若いことだな‥」

バスルームから戻ってなお、微動だにせず眠っている少女に曹丕はうんざりした。

だからといって目覚めてパニックを起こされていた方が良いかというとそうでもない。

自宅は静かでなければ。

もとより少女を連れ込む用途もない。

コーヒーをカップに淹れて、二つ目を用意しようか考えて、やめた。

もとより少女をもてなす義理もない。

自分にだけ用意したコーヒーを手に、少女を放置して曹丕は横の一人掛けソファに沈む。

ブラックコーヒーを慣らした口で更に煙草に火をつけた。

二重に苦い匂いが部屋に充満する。

備え付けの空気清浄機は煩いから寝付いた頃にしか起動しないようになっている。

白く煙る苦い部屋は、無垢な子供には苦痛だろう。

もとより、彼が少女に配慮する理由は何一つないのだが。

曹丕は深く息を吐いてソファの背にもたれ掛かった。



疲れた。


給料泥棒がそんな愚痴を吐いたら世界中のプロレタリアートにリンチを食らいそうだが、給料泥棒は泥棒相応のストレスに苦しみ、泥のように疲れていた。

夢に見る理想と要求される理想とを隔てるあまりにも深く暗い溝。

身体を虐げるほどに苦みを求める潜在的な彼の嗜好は、その共感覚のようなものかもしれなかった。



「それは人体に有害ではありませんか」



ふと、くゆる煙の向こうから鈴のような声が響いた。

「‥‥‥」

口を噤んだまま顔を上げると、ソファに横たわっていた少女と目が合う。

うっすら開いた瞼の奥、作り物のように黒い瞳が遠慮ない直線的視線で曹丕を見つめていた。

「煙から呼吸器官によくない刺激を感じますので」

薄い桃色の唇は出来の良いマネキンのように形を描いて揺れる。

作りが精巧すぎて人間らしくない、CGモデルのような顔は耽美を通り越して曹丕の不快領域に足を片方突っ込んでいた。

「唐突な要求を申し上げますが、もし不都合でなければ保水塩をいただけますか」

少女は少女らしからぬ癪に障る物言いで曹丕に声をかけた。

「生憎ここの冷蔵庫にそんな物はない」

にべもなく懇願をはねつける。

荒んだ独身男はついでに嫌がらせのような白い煙を吐いた。

「生理食塩水でも構いません、具体的に言うと私の体内で定時補給が行われず欠乏している塩分濃度0.9%程度の浸透液を補給していただけると幸いです」

少女は曹丕の拒絶に全く気付いていないらしい。

言葉の意味を額面通り解釈して妥協案で懇願を繰り返す。

一定の音程で淡々と鳴き喚くさまはまるで小動物だった。

猫を拾った覚えはないのだがな。

しかし、世にも美しい少女の形をした猫は水を与えない限り鳴くのをやめない勢いだった。


放っておいてリビングで死なれるのは御免だ、やっぱり拾うんじゃなかった。

醒めた目で少女を見つめ、曹丕はぐるぐる今更な事を考えながら無意識で煙草を吸う。


一五秒ほどの、沈黙ののち。

チッ、とあからさまな舌打ちと共に曹丕は煙草を灰皿に押しつけた。

柔らかいソファから立ち上がった姿を認めて、横たわる少女は吐息混じりに囁いた。


「‥感謝します」




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