ふぉるくす・めるへん 3(相互記念)
2012/12/18 23:37


部屋の壁に掛けられた鏡の前にそれを当てて立った姉。


「少し可愛すぎる…」

「なんで!いいじゃん姉上まだまだ若いんだし!」

「お前、曹丕先生のことオッサンと言っただろう。私だってあっという間にオバ…―」

「へーきへーき!姉上、四捨五入したら何歳?」

「…二十歳」

「ほらまだまだオネーサンじゃん!」


丈もぴったりだし、姉が言うほど可愛すぎる…つまり子供っぽい印象は昭は受けないのだけれど。


「とりあえず着てみてっ!ねっ」

「分かった」


と言って、持っていたパジャマを昭に預けた師は羽織を脱ぎ、さらっと上着のボタンも外す。


「え…ちょっと待って!う、後ろ向いてるからっ」

「何故だ?昭は女の子だから何の問題…―」

「一応ッ!!」


何が一応なのか良く分からん、と返す姉はまあいいかと黙々と着ていた旧パジャマを脱ぐ。
さて新パジャマ…と思ったところで、それは今背後で妹がガッチリ握り締めていることに気付いた。


「昭、それ…―」

「着替え終わった!?」

「いやだから、それを貸せ」


ぎゅっと閉じていた目蓋を、え?と返すと同時に開けた昭。
…想像では色気溢れる大人の雰囲気醸し出す姉のこと、黒とか紫とかサテン地なんかの下着を身に付けているかと思いきや。


「…か、可愛い……」

「は?」


今まで以上に真っ赤に染まる頬、心臓だって身体中に拡がったように何倍も煩く鳴っている。
けれど頭は随分と冷静で、姉の白地に黒いレースをあしらったランジェリー姿に感動を覚えていた。


「ゴスロリちゃんもメイドちゃんも敵わないね…」

「…寒いから早くそれを返せ」


整う顔に白い肌、ふっくらとした小振りな胸、細い腰のライン、スレンダーな手足。
同じ女だろうと、自分の身体とは違う、姉の身体。
胸元の中心に小さく結ばれた黒いリボンの真ん中に、僅かにキラキラと光るチャームがある。


「お前……この下着が欲しいなら店を教えてやる、昭くらいのグラマーサイズがあるか分からんが今度一緒に行っ…―」

「こういうの…男が見て…ぬ、脱がせたりするんだと思うと…すっごいムカツク…絶対ヤダ」

「…何て?」

「あ……ゴメン、これ…」


ああ、と返して渡されたプレゼントのワンピースに腕を通した姉。
揃いの靴下も履いてみる。
そうして着替える姉を横目に、昭は何とも言えない表情で髪をくしゃくしゃと掻いてみた。


「胸元のリボンのポンポンがやはり可愛すぎる気がするな…父上や母上に笑われたりしないか?」

「……すっごい似合う、すっごいカワイイ」


鏡の前で背中を向けたり正面に向き直ったり、あちこち角度を変えてパジャマ姿を確かめる師の隣に、笑顔の昭が並ぶ。


「お揃いで可愛いじゃんッ…小さい頃、パジャマとかお揃いだったの覚えてる?」

「覚えている、普段着る服もお揃いのものが多かったな」

「たまには…いいかなって」

「ああ…大切に着る、今夜から暖かく眠れそうだ。肌触りもとても良い」


良かった、と姉の顔を覗き込んで笑む昭。
だから師も、小さく笑って礼を言った。


「ありがとう、昭」

「ど…どういたしましてっ。いや…気に入ってくれて良かった、うん」


はははっ、と何かを誤魔化すように笑った妹はそのまま踵を返し、「そろそろ寝るね」なんて言って部屋のドアへと向かう。


「昭…?」

「な、なに?」

「…もう少し、二人で話さないか?」

「珍しい…いつもは早く寝ろって怒るくせに」


いいから座れ、と腕を引かれて再びソファーにぽすんと座らせられた昭はまたも膝を折って、上品な白いファーのチャームが付いたポーチからリップバームを取り出した姉を見つめた。

小さなその蓋を開け、指先で少量を掬って唇にそれを伸ばしてゆく仕草。
そうするとほのかに、甘いフルーティな香りが昭の鼻に届く。

姉からもっと話そう、なんて言い出したくせに何の話も振ってはくれない。
昭は姉のポーチの中にあるパウダーやチーク、リップグロスなどを見て、そういえば化粧とか七五三の時にしたくらいかも…と耽っていた。


「俺って…女子力低い」

「女子力?」

「うん」

「それは…どういう意味だ?」

「女の子らしくないっていうかさ、なんていうか…」

「昭はとっても女の子らしい。見た目もグラマラスで顔も可愛い、女性らしさが沢山ある。料理も上手だし、裁縫も得意。少しやんちゃな部分があるだけの、明るい子」


なんか泣きそう…と昭は、今度は生乾きの湿っぽい髪をブラシで梳かし始めた姉を見つめた。
一度きっ、と唇を噛み、ぽつりぽつりといった途切れそうな声で口を開く。


「俺さ、姉上のこと…その、すごい…、好きなんだけど…」

「そんなことは知っている、私も昭が好きだ」

「…例えば、恋でも?」

「……昭は女の子…―」

「そんなことは言われなくても分かってますよ」


不貞腐れた面輪で、未だ膝の上で組んだ腕に顔を埋めている昭。
師は髪を梳かす手を止め、ブラシをテーブルに置いた。
隣で唇を尖らすようにし、円い目も細めて遠くを見るような妹に近付く。


「昭…それって……」


と、顔を覗いた師。
ふと反射的に顔を上げた昭。
互いの瞳に、互いが映る。
固まるような妹とは反対に、姉は妖艶と取れる笑みで唇を動かした。


「秘密の片想い?」

「そ…そう、です」

「それなら…今夜変わるかもしれない」


先ほどよりもっともっと強く香る、リップの香り。
それは甘いストロベリーの香りなのだと、昭が気付いた時。
姉はすっと鼻が当たる程間近だった顔を離し、ポーチに戻したばかりのリップバームを手にとった。
そして、それを昭の唇に優しく指先を滑らせて塗ってゆく。


「あの…姉上……」

「喋ると上手く塗れないだろう、口閉じて」


僅かに力を込めて閉じた唇、姉と同じ艶と同じ香りを放つ唇。

ドキドキして、死んじゃいそう
なんて、早く塗り終わらないかと昭が思った時。
またしても姉の顔が近付き、鼻が交差した。
目を丸くしていた昭には、師が目蓋を閉じる瞬間がよく見える。


「あ…ねぇ、姉上な、に…」


言い終わらぬうちに、触れるだけの淡い口付けがちゅっと静かな部屋に木霊する。
恋する乙女のキッスの瞬間というべく、まるでスローモーションに感じた昭は瞬きを忘れていた。

そして「好き」と、唇の動きだけで呟いた姉。
妹の声になって出てきたものは、心の奥から「ありがとう」の言葉。


「あ…あり、がとう…ございます」


金魚のように真っ赤になって唇をパクパクさせる昭に、師は笑みを漏らしてしまった。


「…唇、乾燥気味だ。女の子なんだから…きちんとケアするべきだ」

「わ、分かった…その…色々……ありがとうございます、俺、そろそろ寝…―」

「昔みたいに、一緒に寝るか?」

「え…」


姉の唇が動きだけで伝えた「好き」。
それが恋なのか、恋じゃないのか、よく分からない。
でもキスをくれた、それは…どういう意味なんだろう。
秘密の片想いが今夜変わるかもしれないって、それはつまり…何?
と考えなきゃいけないことが沢山あるというのに、姉は早速照明を橙色のダウンライトへ切り替え、困惑気味の沸騰した妹を引っ張ってベッドへ連れ込んだ。


「一緒に寝ると、一人の何倍もあたたかいな」

「ぱ…パジャマのせいじゃないかな……」

「そうかもしれんな…。だが昭、明日も此処で私と寝ろ」

「わ……分かりました」


小さく丸まって妹の胸元に頬を寄せて眠る姉。
昭は未だ火照る全身の熱が冷めぬまま、縮まる師の肩に優しく、でもぎこちなく手を伸ばす。
妹のパジャマを掴む姉の手も、姉のパジャマを掴む妹の手も、二人とも女性らしい、しなやかな綺麗な手だ。


「幸せ過ぎて死んじゃうとかよく言うけど…そしたら俺はとっくにあの世行きだ…」

「え?」

「いや…一人言だよっ…あ…暑くて眠れなくて…その」

「このパジャマのせいじゃないか?脱げば良いだろう」

「あ、そっか脱げば良……ええぇ!?」

「冗談だ」


ふふ、と悪戯に笑む姉は目を閉じる。
もう…、と息衝いた妹はそんな姉を抱き枕のようにぎゅっと腕に抱き、同じくぎゅっと目蓋を閉じた。


「余計に暑くなるのではないか」

「もう落ち着かないから逆にこうやって寝るッ」


また声に出して笑った師は「ふわふわで気持ち良い」と溢し、互いに揃いの寝衣の肌触りと、互いのぬくもりと、互いの香りに癒されるように眠った。
気が付けばあれだけ眠れないともぞもぞ動いていた昭も、すやすやと姉の髪に頬を預けて眠っていた。


翌朝になっても、甘いストロベリーが漂うリップバームの香りは消えなかった。
ぬくもりも、何もかも、あたたかいまま。


…やっぱり昨夜は、秘密の片想いが変わった日だった。






ふぉるくす・めるへん



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