ひけるはずがない、幻に似た、そんな男の子にわたしは惹かれていた。
万が一、億の一、彼を手にしたらわたしはゲームに負けるだろう。女の子が重ねる友情ごっこはもろく儚く、それでもそれでも、一度でいいから、彼の笑顔をひとりじめしてみたい。そう胸のうちに思っていた。



わああああ、と歓声があがる。ぎゃああああにもきぃやああああにも聞こえる。黄色い黄色い女子たちの悲鳴。
武蔵森学園中等部は、正式には共学ではない。男子と女子と、思春期のあわいものなどぶった切るように高いフェンスで仕切られている。
季節は春、肌寒くも日差しがやわらかい今日。男子の校舎の卒業式が終わったらしく、溢れ出る男の子の波に、女子達が我さきにと乗り込んでいった。
女の子がさっきまでたらたらと紡いでいた空気は、どこへやら。なにせ私たちはほとんどそっくり高等部へのエスカレーターに乗っているので、別れを惜しむもなく、ただ春だね〜高等部楽しみだね〜と内容がないような会話をしながら(ダジャレじゃないよう)好き勝手に時間をつぶしていた。それが今では、打って変わっての大混乱、大はしゃぎ、さながら戦争、である。
先生たちの角も立ちにくいイベント事に便乗して、一歩でも半歩でもお目当ての彼の近くに。恋する女子のパワーは計り知れない。
おばさんじみた私は、ふうとため息をついて戦場から離れたフェンスにもたれ掛かった。

たぶんあそこだなあ。
一段と渦巻いた人の、中心核。女子も男子も何やら盛り上がっている。
武蔵森で有名なサッカー部は、もちろん校内でも顔が知れていて、もちろんたくさんの女子が支持していて、もちろんモッテモテのもっちゃもちゃだ。
その中でも彼は、一年生のときから一目置かれる有名人だった。三年生になった今では、人気実力共にNo.1といっても過言ではない。わたしの好きな男の子は、そういう人間だ。藤代誠二は、誰からも愛されて誰からも慕われて、きっと可愛くて性格もいい彼女がいて、友達が100人も200人もいる、そういう人間だ。
なんで好きになっちゃったんだろう、とどれだけ自問自答したかわからない。
それでも彼が、こんなに地味で目立たないわたしにまで笑いかけてくれる瞬間、すれ違いざまに「おはよう!」とか挨拶をくれる瞬間、なんていい人なんだろうと思わずにはいられなかった。
ずるいひと。ひきつける魅力が強く強く、離してくれないひと。何人の女の子が、同じ思いをしているんだろう。一体誰が、あの笑顔の占領を許されているんだろう。

たくさんの藤代好きに埋もれて藤代は見えない。それなのに、おそらく彼がいるであろう場所から目が離せなかったので、なんだか悔しくなって無理やり横を向いた。そして。
うわっ、と心臓ごと口から出てくるかのような驚きに見舞われる。遠く、目線の沿線上に藤代がいた。校舎裏に立つ簡素な物置の裏から、顔だけ出してキョロキョロしている。間違えるわけがない、藤代だった。好きになってから、もしかしたら好きになる前も、何百回、目で追ったかわからない彼だった。
それならあそこには、誰がいるんだろう。野球部の本田くんかもわからないし、バスケ部の後藤くんかもしれない。すっかり騙された、と思ったが最後、その人の群れに感傷どころか興味も抱かなくなった。藤代は、あそこにいるのだ。おそらくひとりで。彼女と一緒かもしれないし、待ち合わせなのかもしれないけれど、わたしが一番に見つけたのだ、お茶目にかくれんぼをしている人気者を。

それに気づいたら突然、ありえないほどの勇気が湧いた。歩いていって、「卒業おめでとう」ぐらいなら優に言えると思った。もしかしたら「藤代くんが好きだよ」くらい言える気がした。気の迷いかもしれないが、勢いに任せることにして、わたしは校舎裏へと足を向けた。

一歩、もう一歩、手と足は、大丈夫、ちゃんと一緒に、出ている。藤代に話しかけたことなど、一度もなかった、藤代が話しかけてくれたのは、何回かあって、全部覚えていて、今日あったかいね、には、そうですね!とやけに元気に返してしまって、名前なんだっけ?には、山田はなこです、と根暗極まりなく答えてしまって、他にも、あ、藤代と目が合った気がする、え、笑いかけてくれた、き、気のせいかなあ、藤代に、近づいて、あと5mくらいで、知り合いくらいの仲もよくないこんな女が人気者できらきらした男の子に声をかけるなら何mがベストな距離なのでしょうかわからない誰か教えてやっぱり気の迷いだったんだわたしの馬鹿馬鹿なにやってるの心臓が危うくパラシュートもつけずに逆スカイダイビングして喉から悲鳴をあげて出てきそうだ助けて神様!
そうだ、素通りしよう!!

「山田ちゃん!」

ひいいいいい、というムンクの叫びもどきはなんとかかんとか喉にひっかかって収まった。
誰かに呼ばれた?と思わず後ろを振り向きつつも、藤代に呼ばれた気がしていた。そもそもわたしを山田ちゃんなんて呼ぶ人はあまりいないのだ。仲の良い子は花子とか花子やんとか呼ぶし、面識の少ない子はたいがい山田さんと呼ぶ。
もう一度、首と視線を戻すと藤代が笑っていた。俺が呼んだんだけど、とかなんとか言っているが笑顔にきゅんとしすぎてよくわからなかった。ちょっとこっちきて、と言われた気がした瞬間には手を引かれていて、物置裏に連れていかれた。
そうか、わたしは知らない内に寮に帰って、知らない内にベッドで眠って、都合のいい夢を見ているのだろう。そうに違いない。そうでなければ、こんな展開がありえるはずがない。やっぱり藤代はさっきの人の波の中心にいて、これは少女漫画を読みすぎたわたしの、自己満足な夢なのだ。そう、それなら、夢でもいいから藤代、今までおこがましくて妄想すらできなかった言葉をあなたの口から聞きたい。

「山田ちゃん、俺、山田ちゃんのこと好きなんだよね」
「きたーああ!!!ありがとう、ありがとう神様!」
「…え?」

さて、思わずテンションが振り切って叫んだものの、夢が続いている。
わたしはほろほろと泣いていた。藤代はおどおどとしていた。夢のくせに、涙の感触はやけにリアルで、心臓の音も藤代の顔も、夢の割にはくっきりしていて、一体どこから夢でどこまで続くのかなんてとりとめのないことを頭の中に流しながらわたしは自分の頬をつねった。歓喜もこみあがるよくわからない気持ちも全部こめて、思いっきり。

「痛っああ!!」
「ちょっと山田ちゃん!?」
「あれ、あれ、あれ」
「どうしたの、さっきから、なんか様子が」

藤代は、わたしの身体から一定の距離を保ったまま手を差し出している。どうせ夢なら抱きしめてくれればいいのに、と思いながらも感づいてきた。もしかして夢じゃないかもしれないということを。

「藤代、くん」
「何?山田ちゃん、大丈夫?」
「いま、夢じゃない?」
「え、うん、たぶん…」
「あ、わたし、えっと、あの、混乱、してて、」
「え…ごめんね、びっくりさせたかな」

思考がもやもやと覆っていた空気が現実味を増してくる。校舎裏の物置の、さらに裏。紛れも無い藤代がいた。ひとりでいた。わたしも一緒にいた。
肌寒くて、制服のブレザーをセーターの上からきっちり閉めたはずなのに、やけに顔が熱い。特に涙袋は一足早く状況を理解していたようで、じんじんとしていた。頭はやっと整理がつきはじめたところなのに、ぼろぼろと涙が出てこれが現実なのだと知らせていた。嬉しいというより信じられず、幸せだというより唖然としていた。
わたしは、奇跡を、ひきあてたのかも、しれない。訳もわからないまま、卒業証書の筒とブレザーの袖がどんどん濡れていった。

「あの、山田ちゃん。なんかごめんね。落ち着いて」

藤代の手が、はじめてわたしの頭に触れる。ぽん、と置かれた手は想像よりずっと大きくて、想像よりずっと繊細に髪を撫でる。心臓が跳ねるかわりに、嗚咽が止んできた。

「ごめんなさい…」

ひとまず謝って、深く呼吸をした。最後の涙をまたブレザーで拭く。どちらかといえば顔を濡らしている感触だった。
藤代の手がぱっと頭から離れて、名残惜しかったけれど、心臓もいくぶんか落ち着いた。
あの、とわたしが話し出そうとするのを藤代が遮った。

「あ、もしかして、もう彼氏がいるとか、好きな人がいるとか…」
「え?いや、いないです、あ、好きな人は、」
「そっかごめんね…困らせて」

見上げると藤代は見たこともない表情で、いつもきらきらしている瞳を曇らせていて、ようやく思考回路が追いついたわたしには誤解を産んだことが理解できて、違う、と精一杯首を振った。
言えるはずのなかった言葉は、今伝えなければいけない。

「藤代くん」
「うん」
「好きです」

また、何かが込み上げて泣きそうだった。
藤代が、手の届くはずがない藤代が、誰にでも好かれるザ・人気者の藤代が、はっきりとわたしを見て、一瞬可愛らしく驚いて、初めて見る表情で、わたしに、わたしだけに、笑いかけていた。

それだけ。
わたしは嬉しいのかもよくわからないまま、また泣いた。
今度濡らしたのは、藤代のブレザーで、ちょうど第二ボタンの周りだった。
背中にまわされた手は、やっぱり大きかった。


20110322 こゆずき




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