静かに積もる温かなぬくもり(笠黄)


誠凛との練習試合に負けてから数日…




小さく欠伸を溢しながらも部室で着替えを済ませた森山は小堀と並んで体育館へと向かう。
昨日観たテレビの話や今日ある小テストの話など他愛もない話をしながら歩いていた二人は、今日も少しだけ開いている扉から聞こえてきた音に顔を見合わせた。
少しだけ開いた体育館の扉の向こうからは聞き慣れた、重いボールの弾む音に、キュッキュキュッキュとバッシュが床に擦れるスキール音。
扉に近付いて中を覗いた森山はまたやってると呟いて、同じく中を覗いた小堀も苦笑を浮かべてそうだねと頷き返した。

「あいつら朝練前に1on1なんか繰り広げてよく朝練持つな」

「う…ん。びっくりだよね」

もうすぐ決着が付きそうと、小堀はボールの行方を目で追いながら、森山も口では呆れたように言いつつ小堀の隣で同じ様に勝負の行方を眺めていた。

「…こうして見てると黄瀬もただのバスケ馬鹿なんだよなぁ」

朝練でもバスケするのにわざわざ朝練前から学校来てバスケしてるし。
まぁ、そりゃキセキの世代と呼ばれるぐらいバスケはめちゃくちゃ上手いけど。
ぽつりと溢された森山の言葉に小堀も頷く。

「最近、放課後も仕事だなんだって言わずに来るようになったよね。熱心に練習もするようになったし」

「キセキとか騒がれてるけど正直、練習試合で泣いた黄瀬にびっくりしたわ俺」

「あぁ…、あれはね。でも、それだけ悔しかったってことだろ?」

視線の先でボールが弾かれる。
うわっと声を上げた黄瀬に笠松はそう何度も抜かせるかと悪どい笑みを浮かべて、弾いたボールを拾って流れるようにシュートを放った。
ガコッとリングを掠めたボールが僅かにリングを揺らし、ネットをくぐって落下する。それを見届けてから笠松は黄瀬に1on1の終了を告げた。

「結局、変わらないんだよ黄瀬も俺達と」

「そういや笠松もそんなこと言ってたな」

紅白戦やってた時に、さすがキセキって俺が言ったら凄いのは黄瀬だからだろって。
笠松は始めからキセキの世代とかそんな色眼鏡無しで、海常に入学してきたただの一年として黄瀬を扱っていた。
もう一回!と騒ぐ黄瀬に笠松は終わりだと背を向け取り合わない。
そんな、とか、ずるいっスとか尚も笠松にぐだぐだと纏わりつく黄瀬の肩に、振り向いた笠松の拳がバシンと入る。
うるせぇと最近馴染みつつある笠松と黄瀬のパターンを眺めていた森山は覗くのを止めると扉に手をかけた。

「その辺り笠松って凄いんだよな。当たり前なことを当たり前に受け入れてるっていうか」

「それが自然なんだよ笠松は」

「まったく、いつの間にか黄瀬を手懐けてるしな。我がキャプテンの凄いこと凄いこと」

呆れながら言う森山の顔には笑みが浮かんでいる。小堀もまたその言葉に苦笑を溢して穏やかに笑った。

「俺達も負けてられないね」

先輩として。ちゃんと一年生を受け入れてあげなきゃ。

森山は当然だと頷いて、それであわよくば可愛い女の子の紹介をしてもらおうと、手をかけていた体育館の扉を開ける。
ガラリと音を立てて開いた扉に笠松と黄瀬が同時に振り向く。

「はよーっす、相変わらず早いな二人とも」

「おはよう、笠松、黄瀬」

挨拶をしながら森山に続いて小堀も体育館に入る。
笠松はおぅと応えてから、ちらりと斜め後ろに立っている黄瀬へと視線を投げた。

「お、おはようございます…っス」

「おー」

「ん、おはよ」

どことなく少し堅い声を気にした様子もなく森山も小堀も黄瀬へと返事を返す。そして、返ってきた返事に黄瀬はさっと笠松へと視線を滑らせた。

「ん。お前もちゃんとやれば出来るじゃねぇか。中学ん時がどうだったか知らねぇけどな、うちでお前はそれでいいんだよ。分かったな?」

「…っス」

先輩二人に対してきちんと挨拶をした黄瀬に笠松は何てことないだろと表情を和らげて、軽く黄瀬の背中をぽんと叩いた。
そのやりとりを見ていた森山と小堀は何の話だと首を傾げ、とりあえず森山が話しかける。

「なんだ笠松、とうとう黄瀬の教育でも始めたのか?」

「そんなんじゃねぇよ。こいつは当たり前過ぎることを忘れてやがったから叱ってただけだ」

入部初日の年上だからって偉そうにすんなとか、中学でどれだけ特別扱いされてきたのか知らねぇけど、此処では目上の人間には敬語、挨拶は当たり前だと思い出させてやっただけだ。

「へぇ…、その割りに褒めてたよな」

「気のせいだろ」

ちらと戸惑い気味な黄瀬を見て、森山はふぅんと口許を緩めると笠松に視線を戻す。

「そっか、笠松クンは褒めて伸ばすタイプだったのか。知らなかったなぁ」

にやぁと笑った口許に、普段はしないクン付け。あからさまにからかいモードに入った森山に笠松はしれっとした顔で返す。

「褒めて伸びんなら幾らでも褒めてやるけどな、それじゃただの甘やかしと変わんねぇだろ」

言いながら笠松は森山に近付くと 、軽く握った拳を持ち上げて森山の肩を押す位の力でトンと軽く小突いた。

「俺はそれと同じぐらいシバくぞ…お前もな。くだらねぇこと言ってんとシバくからな」

小堀と、名前を呼んで話を断ち切った笠松は、籠の中からボールを取り出している小堀の元へと去って行く。

「えっ、ちょっと…何それ理不尽!」

少しからかっただけなのにと森山は大袈裟に嘆き、入部当初の生意気な雰囲気を何処へ落としてきたのか、ややぎこちないながらもこちらを見ていた黄瀬へと森山は絡みにいった。

「聞いたか黄瀬。笠松の理不尽なシバく宣言」

「ぇ…え?」

「うちの部じゃ冗談も言えないのか。ここで黙ってたら笠松の恐怖政治が始まるぞ」

「えっ…というか、笠松センパイの恐怖政治ってなんなんスか?」

あまりにも森山が真剣な顔で言うので、笠松のことを基本的に優しいと思っている黄瀬は首を傾げて、思わず突っ込んだ。
すると森山は目を見開き、信じられないという顔をして黄瀬を見返してくる。

「お前だって笠松にやられただろ。初日の蹴りに常日頃の肩パン。何種類技を持ってるのか知らないが、あれはきっと笠松の趣味だ」

「…って、勝手に変なこと吹き込んでんじゃねぇぞ森山!黄瀬もソイツのことは真面目に相手しなくていい!」

用があって小堀の元に向かっていた笠松はシンとした体育館で良く聞こえる森山の聞き捨てならぬ言葉に途中で足を止め、振り向き声を張り上げた。

「変なことなんか言ってないだろう。これからも笠松と付き合っていく上での心得を俺は黄瀬に教えてるんだ」

「それのどこが心得だ!あきらかにお前の妄言入ってるだろ!」

森山と笠松が軽く言い合いを始めてしまい、巻き込まれそうになった黄瀬を小堀が密かに手招く。その合図に気付いた黄瀬はちらちらと森山と笠松を気にしつつボールを手に持ったまま小堀の側に歩み寄った。

「何かごめんな。主に森山が」

「いえっ…別に…平気っス」

「二人共別に本気で言い合ってるわけじゃないから。これもまぁ一種のコミニュケーションかな」

のんびりと笑って告げた小堀に黄瀬は先程から驚かされっぱなしであった。
キセキの世代としてその実力は当然目を見張るものがあるが、特別扱いされながらレギュラー入りをした黄瀬は自分が部員達からあまり良く思われていない事を知っていたし、笠松を除くレギュラー陣が自分の扱いに困っていた事も何となく感じ取っていた。
それが今日はどうしたというのだろうか?

「………」

瞳を揺らし困惑を隠しきれない黄瀬の様子に、大人びて見えてもついこの間まで中学生だったんだよなぁと小堀は改めて思う。そしてちょっとお節介かもなぁと思いつつも言葉を添えておく。

「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ」

「え…?」

驚いたように目を見開き、小堀を見返してきた黄瀬に小堀はボールを手の間に持ちながら言葉を続けた。

「黄瀬が頑張ってること俺達みんな知ってるから。笠松みたいに直ぐにとはいかない奴らもいるから、黄瀬にはまだ少し居心地が悪いかもしれないけど」

「小堀…センパイ?」

手に持っていたボールをその場で弾ませ小堀は穏やかに笑う。

「だからもし笠松に相談しにくい事とかあったら俺か森山に言ってくれれば相談に乗るから」

すぃと動いた小堀の視線を追えば笠松との言い合いは終わったのか森山と笠松が並んでこちらへ近付いて来る所だった。

「小堀ー、ボールくれ!」

近付きながら言った森山に小堀は弾ませていたボールを止めて森山にパスをする。さんきゅーとパスを受け取った森山はその足でドリブルを始めて、3Pラインから独特なシュートフォームでボールを放った。

「笠松もボール?」

「いや、今日の一限のこと。確か小テストあったよな?」

「あぁ、うん。数学」

話を振られた小堀はぽかんと間の抜けた、どう反応していいのか分からない顔で戸惑う黄瀬に内心で苦笑を溢しながら笠松に答える。
黄瀬はこれまで華やかな容姿とモデルという上部だけを見て、勝手に恋愛経験豊富そうと恋愛相談をされた事はあれど、誰かが自分の相談を真剣に聞いてくれたことはあまりない。殆どは聞き流されたり、途中で話を止められてしまう。
曰く、話が長いですとか、もっと簡潔に話せとか、何が言いたいのかよく分からないとか、後にしてくれないかとか、終いにはうるせぇと言われたこともある。…自分は一生懸命話しているつもりなのに。そうしてその内に匙を投げられてしまう。
だから黄瀬は驚いた。
自分の話を聞いてくれると言った小堀に。
家族とマネージャー、再会したばかりの笠松を除いて、初めて言われた台詞だった。

先輩とはそういうものなのだろうか?
もっとも先輩といわれる人達も海常に入ってから初めて相対するものだった。
中二の途中からバスケ部に入った黄瀬は先輩という存在をろくに知らなかった。
笠松は小堀の隣でぼぅっと突っ立っている黄瀬に首を傾げ、どうした?と声をかける。

「あ…何でもな」

いっス、と呟いた語尾は体育館内に響いた大声によって掻き消される。

「あーっ!ずうぃぞ、黄瀬ぇ!おぇもキャプテン達と一緒に練習したいっす!」

「その前にお前は早起き苦手だろ。…おはようございます」

体育館内に響いた声の持ち主、早川に部室で遭遇してから共に来た中村は淡々と突っ込みを入れて、こちらを向いた面々に向かって朝の挨拶をする。でなければ…。

「早川ぁ!その前に挨拶はどうしたぁ!」

笠松から教育的指導という名のシバきが飛ぶ。
今回は怒声だけだが、場合に寄っては手や足が出ることがある。

「はっ!?すんませんっ!おはようございますっ!」

ピシッと敬礼でも決めそうなぐらいピンと背筋を伸ばして、早川は条件反射のように慌てて挨拶の言葉を口にした。

「おぅ。はよ。中村も早いな」

注意だけして元の調子に戻った笠松は中村にも声をかけてくる。

「先輩達ほどでもありませんよ。今日はちょっと早く目が覚めたので」

図らずも揃ったレギュラー達は朝練前に軽く身体を動かし始める。
こちらの戸惑いや躊躇い、入部当初の態度の悪さなど黄瀬が後悔していることなど誰もものともせずに(逆にそういう態度をとらせてしまった、先輩としてちゃんと叱ってやれなかった自分達にも非はあると小堀と森山は考えている)、自然と黄瀬もその輪の中に加えられていた。

「黄瀬ぇ!おぇと勝負しろ!」

「は?えっ…、まぁ…いいっスけど…?」

そうして何故か早川に勝負を挑まれ、気付けば森山にちょっかいをかけられている。頃合いを見計らって中村が早川を抑えてはくれるが、小堀はその様子を微笑ましく眺めるばかりだ。

「ちょっ、何なんスかもう、みんなして…」

口では困ったように言いながらも黄瀬は何処か擽ったそうな年相応の顔で笑う。
籠から新たにボールを取り出した笠松はちらりと黄瀬の横顔を見て、ふっと小さく口許を緩めた。

「ま…、悪くない顔だな」

まだ少しぎこちなさが残っているけれど。
うちに馴染むのも時間の問題だろう。

がやがやと外から近付いてきた声に笠松は体育館内に取り付けられていた時計に視線を滑らせる。
後十分で朝練の開始時刻になるところだった。






◇◆ ◇






キーンコーンカーンコーンとお昼を告げるチャイムが鳴る。
机の上に広げていた教科書やノート、筆記用具を急いで机の中に片付けた黄瀬はスマホと財布、貴重品をポケットに突っ込むと椅子を倒す勢いで立ち上がり、一緒にお昼を食べようと狙っていた女子達が声をかける間もなく一年の教室を飛び出した。
その俊敏さにクラスメイト達は一様にぽかんと呆気にとられ、声をかけようとしていた一部の女子達は我に返ってから悔しそう顔を歪めた。
そんなことなど露知らず黄瀬は目的地に向かって、にやけそうになる表情を引き締めて差し掛かった階段を下へと降りて行く。
向かう先はあまり縁の無い三年生の教室だ。

「…俺が笠松センパイの誘いを断るわけないじゃないっスか」

むしろ用があっても絶対に行くし。
優先順位は笠松が不動の一番だ。
鼻歌でも歌い出しそうなぐらい黄瀬は機嫌が良かった。

始まりは、そろそろお腹が空いてきたなと、取り合えずノートだけはとりつつ、ぼんやりお昼は何を食べようかなと思考を飛ばしていた時に、机の中で震え出したスマホだ。
周りを見れば机の影に隠れて携帯やスマホを弄っている生徒はちらほら見受けられる。黄瀬もそれに倣ってソッとスマホ を机の影に引き出して、左手で画面をタップした。

(メール…?)

画面にはメールが届いた事を告げるアイコン。ピカピカと青いランプが点滅していた。
誰からだろうと親指で画面をタッチして、フォルダごとに振り分けられた画面へ飛ぶ。新着マークは部活関係のフォルダについていた。迷わずフォルダをタッチする。

(っ…ゆきちゃんからだ!)

表示された名前に驚き、メールをくれたことにじわりと喜びが沸き上がる。
本文にも目を通して更に黄瀬は瞳を輝かせた。

(よかったら昼飯一緒に食わねぇか、だって。もちろん行くっスよ!)

今朝、一緒に登校してきて、共に部活で汗を流したばかりだが黄瀬にはそんなこと関係なかった。
黄瀬は再会してからずっと、出来れば笠松と一緒にいたいと思っている。

(あ、でも俺購買行かなきゃなんねぇっスから先に食べてて下さい、っと)

文章を打ち込んで返信する。再びスマホが震えるまで目線を上げて、板書に勤しむ。
ほどなくして震えたスマホは笠松も購買で昼飯を買うからと、一年の教室に寄ると伝えてきた。
笠松が迎えに来てくれるというのはもの凄く嬉しいが、黄瀬は自分が三年の教室に行くと、その方が購買にも近いしともっともらしい理由を付けてお迎えを断った。

(ゆきちゃんが一年の教室になんか来たら目立っちゃうじゃないっスか。ただでさえバスケ部の主将で知られてて、…格好良いんスから。ライバルは生まれる前に潰すっス)

変な方向に傾いた心を知る人は誰もおらず、黄瀬は分かったと、待ってると返ってきた返信にほわりと胸を温かくした。

色の違う上履き。
昼休みに入って三年の廊下には当たり前だが人がばらばらと歩いている。
一年の階とはまた違った雰囲気があった。
その中を黄瀬は堂々と突っ切り、笠松の待つ教室へと向かう。一年が三年の階に来るのも珍しいが、特に来たのが黄瀬だと気付いた三年生達はざわざわと騒ぎだした。女子達はここでもキセリョだ!と、きゃぁきゃぁと甲高い声を上げる。それに黄瀬はいつも通り愛想笑いで返し、目的の教室を見つけると開いていた扉から中を覗いた。
笠松は窓に寄り掛かり、目の前に立つ森山と小堀と何か話をしているようだった。
部活の時でもそうだったが三人は仲が良い。
ちょっとむっとしたのを振り払うように黄瀬は扉の前から笠松を呼ぶ。

「センパイ!笠松センパーイ!」

ふと動いた視線が黄瀬を捉え、ゆるりと優しく細められる。
笠松は森山と小堀にまた後でなと言って黄瀬の元へ歩いてきた。

「んじゃ、購買行くか」

「はいっス!俺、もうお腹ぺこぺこっスよー」

笠松の隣を並んで歩く。
同じ制服に身を包み、こうして同じ時を一緒に過ごせることがどれほど幸せか。
黄瀬は笠松の横顔をちらりと盗み見て、ふふっと小さく幸せそうに笑う。
もはや周囲のギャラリーなど目に入っていなかった。




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