無条件で降り注ぐ優しさ(笠黄)


言うのはタダ。
一生、俺の面倒見て欲しいっス!と、そのじつ心の中ではめちゃくちゃ緊張しながら口にした台詞に返って来たのは、任せとけと言う何とも男前で格好良い台詞だった。
だから黄瀬はちょっと欲張って今日、一緒に帰りたいっス!と思い切って告げてみた。
そしたらこれにも笠松はあっさり頷き返して了承してくれた。

「一緒に帰るか。そういやお前、今どの辺に住んでるんだ?」

「えっと…あの公園の…帰りながら説明するっス」

「それもそうだな。ちょっと待ってろ」

着替え途中だった笠松は手を動かし帰り支度を済ませると、先に黄瀬を外に出し戸締まりの確認をしてから部室の扉の鍵をかける。
その姿を大人しく眺めて待っていた黄瀬は、そんな些細な日常の風景にもゆるゆると嬉し気に頬を緩めた。

今、自分は夢でも何でもなくゆきちゃんこと笠松と同じ制服を身に着けて、肩を並べて一緒に道を歩いている。
自分の隣を歩く笠松をちらちらと見ながら黄瀬は、自分の住んでいるマンションへの道を説明して歩く。

「そういやこの辺、結構前から工事してたな」

行きも帰りも通るから気にはなってたんだ。

「そうなんスか?あ、俺の住み始めたマンション も今年オープンしたばっかりとか聞いたっス。事務所がセキュリティが確りしたトコじゃなきゃダメだって煩くて…」

当時のことを思い出したのかうんざりしたような顔をする黄瀬の横顔を見上げ、笠松は当たり前だと真面目な顔付きで言う。

「そりゃそうだろ。お前一応モデルなんだし、何かあったら困るだろ」

「一応って…それは分かってるんスけど。神奈川に引っ越すって言った時も微妙な顔されたっス」

そこの次の角を右に曲がって、と道順を教えてくる黄瀬に笠松はあれ?と僅かに首を傾げた。

「そっちって…」

「ん?なんスか?」

「いや、何でもねぇ。一つ聞き忘れてたんだが、お前何でうち選んだんだ?スカウトなら色んな学校からも来てただろ?それこそわざわざ神奈川に引っ越して来なくても、お前なら選り取り見取だっただろ」

これといって他意は無く不思議そうに訊いた笠松に、黄瀬の琥珀色の瞳は暗く翳りを帯びる。笠松は前を向いたままそのことに気が付かずでも、と言葉を繋いで口許を緩めた。

「俺も監督にキセキの誰が欲しいって訊かれて迷わずお前って言っといて良かったわ」

「え…?」

「引っ越してからのお前に何があったのか知らねぇけど、俺はまたお前に会えて嬉しかったぜ」

こっちを右かと角を曲がれば、昔と変わらない公園が右手側に現れる。

滑り台に砂場、ブランコにうんてい。
高さの違う鉄棒にジャングルジム、上下に蛇口の付いた水飲み場。
公園内を見渡せる場所に木製のベンチが二つ設けられており、そのすぐ側には大きな木が空へと枝を伸ばし葉っぱを繁らせている。
その公園の一角に子供用のバスケットゴールがぽつんと一つ存在する。

笠松の視線は公園の中へと向けられ、どこか懐かしむように双眸が細められる。

「バスケ、やってるって知って嬉しかった」

ふるりと小さく黄瀬の心が震える。

「ーーっ、俺が…」

笠松の口から語られる真っ直ぐな言葉は冷えきってしまっていた黄瀬の心に優しく触れてくる。

「俺が…海常を選んだのは神奈川にあったからっス」

「神奈川に?」

懐かしそうに公園の方を眺めていた笠松はその意外な理由に黄瀬へと視線を戻す。
するとそこには泣き出しそうになる一歩手前のような表情をした黄瀬が笠松をジッと見つめていた。

「もちろん海常がバスケの強豪校だってのも知ってるっスけど、俺は何よりも昔住んでたこの場所に戻って来たかった」

「き…、涼太」

ゆらりと揺れて細められた眼差しに笠松は黄瀬の名前を呼ぶ。呼んで、足を止めた黄瀬に自然と笠松の歩みも止まる。

「海常ならこの公園の近くから通える。会えなくても近くにいれば、いつか擦れ違うぐらいはするかもしれない。…そう思って海常を選んだんス」

男のくせに女々しくて、私情も入りまくりでがっかりでしょ?と黄瀬は失敗したような妙な顔で笑った。
それから止めてしまった足を動かし黄瀬はまた歩き出す。
その後ろ姿を立ち止まったまま見つめ、笠松は眉間に皺をよせると静かに黄瀬を名前を呼んだ。

「涼太」

ぴくりと肩を震わせた黄瀬に笠松は近付きながら言う。

「もしかしなくても、それ俺のことか?だったら逃げるな。俺は別にがっかりしたりもしてねぇし」

どういう理由で進学先を選ぶかなんてソイツの自由だろ。

俯いた黄瀬の腕を掴み、笠松は黄瀬を引っ張るようにして先を歩き出す。

「え、ちょっ…」

公園から少し行った先の今年オープンしたばかりのマンションの前を通り過ぎ、笠松は十字路を左に曲がると口を開く。

「というかお前、俺の家知らなかったのか」

「し、知らねっスよ!いつもあの公園集合で解散だったじゃないっスか。それに知ってたら偶然何かに頼らないで真っ先にゆきちゃんに会いに行ったっスよ!」

で、どこ行くんスか?俺の家は…、と戸惑う黄瀬に笠松はいいから歩けと強い口調で言う。
十字路を曲がってから五分ほどして、笠松は一軒の家の前で足を止めた。

「だったら今日から覚えとけ。ここが俺ん家だ」

マンションから近いだろ?と笠松はきょとんした顔を晒す黄瀬に眉間の皺を解いた。

黄瀬の目の前には笠松と彫られた表札に片開きの黒い門扉。
門扉を開けた先に低い段差があり、玄関がある。屋根は紺色の瓦で、壁はクリーム色。二階建ての築何十年の何処にでもある普通の家だ。

「上がってくか?」

「は…っ、いや、その心の準備が…今日は遠慮しときます」

家の場所を教えられ、まるで何時来ても良いとでもいうような笠松の雰囲気に黄瀬は慌てて心の中の緩みを引き締める。

ゆきちゃん家に上がるなんて何だか恐れ多い。

笠松と二人きりになってから取り繕えないほど素の自分をさらけ出している黄瀬は表情も豊かに狼狽えていた。

「そうだな、いきなり誘われても迷惑か。荷物だけ置いてくるからちょっとここで待ってろ」

カシャンと門扉を開き、玄関の鍵を外した笠松は黄瀬を家の前に待たせたまま家の中へと入ると玄関に荷物を置き、また直ぐに外へと出てくる。
玄関の鍵をかけ、笠松は開けたままの門扉から出ると黄瀬を促し、歩いてきた道を戻り始めた。

「勝手に家まで連れてきちまったからな、直ぐそこだけど送ってく」

「いや、別に、ここからなら一人でも帰れるっスよ」

慌てて笠松の隣に並んだ黄瀬は先程から笠松に驚かされっぱなしだ。
それも自分にとって都合の良すぎる意味で。
だからそんなわけないと騒ぐ心に自制をかけて黄瀬はふるふると首を横に振る。

「また戻るなんて面倒じゃないっスか」

歩みを止めない笠松に黄瀬は言い募り、けれども笠松はまったく取り合わずにしれっとした顔で言い返した。

「俺は別に面倒じゃねぇ」

ちらりと黄瀬を見上げた笠松は右手を伸ばして眼差しを緩め、もごもごと口を動かした黄瀬の後頭部をぽんと軽く叩く。

「こんなことぐらいで我慢すんじゃねぇ。嫌だったら初めから言わねぇし、家にも連れてこねぇよ」

十字路を右に曲がれば、背の高いマンションが見えてくる。笠松が知る限り、この辺で今年オープンしたのは目の前の七階建ての綺麗なマンションだけだ。

どうにも涙腺の緩い黄瀬の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて、笠松は仕方ねぇ奴だなと表情を崩した。

「お前、俺より図体はでかくなった癖に昔より泣き虫になったか」

「っ…そんなこと、ないっスよ。全部…ゆきちゃんのせいっスよ…」

ゆきちゃんがやたら優しくするから。

マンションの前で足を止めた笠松は黄瀬の頭から下ろした右手で軽く黄瀬の背中を押す。

「とりあえず早く中に入れ、泣き虫。誰かに見られたら困るだろ」

「うぅっ…」

確かにその通りだけど…、黄瀬はまだ笠松と一緒にいたかった。
それもこれも一緒に帰りたいと欲張っただけなのに、笠松がそれ以上のものを与えてくるから。
ありのままの自分でいて、甘えても良いと、許されてるようで。

困ったように笑う優しい眼差しが、背中に触れた温かな手が、黄瀬を小さな子供のように欲張りにさせていく。

「っ、せっかくだから…、上がってかないっスか?」

何がせっかくなのか自分で言っておきながら、意味が分からないけど黄瀬は窺うように笠松を見つめた。

「あー、じゃぁ、お前がよければ寄らせてもらうわ」

ばちりと絡んだ視線に一瞬言葉を濁しながらも笠松は頷く。
それを聞いてぱっと表情を明るくさせた黄瀬は、もちろん大丈夫っスと笠松の意見が変わらぬうちにマンションのエントランスへと入る。

エントランスホールにある機械へとカードを翳す黄瀬の半歩後ろで笠松は自身の行動に苦笑を浮かべた。

黄瀬は気付いてないだろうが笠松は昔から黄瀬のお願いには弱かった。
特にダメかなと諦めた様子で諦めきれないような矛盾した切なそうな顔に。

「…俺も甘いな」

そうと自覚しても直そうと思わないあたり昔から重症だなと笠松は内心でため息を吐く。

「ゆきちゃん」

エレベータに乗るっスよと、先程の悲しそうな空気が嘘のように嬉しそうする黄瀬に笠松は肩を竦め着いて行く。

「そうだ、涼太。二人きりの時はいいけど、学校でゆきちゃんって呼ぶんじゃねぇぞ」

「えーっ、何でっスか!」

「他の奴らに示しがつかねぇだろうが。俺も二人きりの時だけ涼太って呼ぶが、学校じゃ黄瀬って呼ぶからな」

笠松がエレベータへ乗り込むと黄瀬は階数ボタンの下にあるパネルへまたカードを翳した。すると階数ボタンを押していないにも関わらずエレベータは上昇し始める。
それもセキュリティの一貫かと眺めながら笠松は言葉を続けた。

「当然お前だけを特別扱いしたりもしねぇからな」

「それはいいっス。その方が、俺も嬉しいっスから…、でも…」

「それ以外の時ならこうやって構ってやるから、んなしょぼくれた顔すんじゃねぇよ」

「…!」

上昇したエレベータは最上階である七階に着くと動きを止める。静かに開いた扉から廊下に出た黄瀬は笠松を先導して歩くと角部屋の前に立った。

「ここが俺の部屋っス」

「へぇ…」

扉脇にある機械にカードキーを通すと黄瀬はテンキーで暗証番号を打ち込む。

「なんか思ってたよりセキュリティ凄いんだな」

「う〜ん、前に住んでた所もこんな感じだったっスよ。急いでる時とかは面倒くさくてしょうがないんスけど」

鍵の外れた音を聞き、黄瀬は扉に手をかけガチャりと手前に引いた。

「さ、上がって下さい」

「…お邪魔します」

律儀に断る笠松に黄瀬はへにゃりと笑ってどーぞっと促す。
背後で玄関扉が閉まる音を聞きながら黄瀬は、自分のプライベート空間に笠松の姿があることに、ほかほかと心を温めて琥珀色の瞳に嬉しさを滲ませた。



end



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