03
そう考えている内に武内監督が他校との練習試合の話を持って来た。
正直、その話を聞いたとき、俺はまだ早いと思った。けれども同時に、今海常が抱える最大の課題を各々自覚し克服させる為に使えるのではないかとも思ったのも事実で。
「対戦校は…誠凛高校?新設校か」
新設校とはいえ、海常に黄瀬が入ったことは知っているはずだ。それを承知の上で相手は練習試合を申込んで来ていると考えていいだろう。
「…誠凛か」
部活の終わりに誠凛高校との練習試合を今週の土曜日に行う旨を部員へと伝えたのが月曜日で。
それからあっという間に時間は過ぎ、時を同じくして黄瀬の様子が少しずつおかしくなっていった。
愛想笑いの仮面の上に空元気が加わったような、とにかく更に気に食わない顔をするようになった。
誠凛に何かあるのか?
その疑問は口にする前に、すぐに黄瀬の口から軽口のように語られた。
帝光中、幻の六人目。
黒子 テツヤが対戦校である誠凛高校にいる。
「それでお前はまた妙な顔してるわけか」
「へ…?」
ベンチを言い渡された黄瀬の隣で準備をしながら俺は納得したように呟いた。
入部初日の黄瀬の態度といい、中学時代から黄瀬は周りに合わせて仮面を被ってきたのだろう。自分の本心とは別に相手の望む黄瀬 涼太を。
「くだらねぇ…」
「セン…パイ?」
黄瀬にそうであるように押し付けておきながら、相手はそのことに全く気付こうともしない。気付こうともせずに、更にコイツを傷付けていく。
「何でもねぇ。行ってくる。お前もアップだけしとけ」
「わっ…!」
ベンチに座った事で低くなった黄色い頭をポンと叩いて俺はコートの中に入った。
「なんなんスかもう…」
その背中を黄瀬は泣きそうな表情を浮かべて見送った。
黄瀬は冷静になった頭でこれまでの自分を振り返った時、自分がゆきちゃんの知る昔の涼太と違う事を知られたらと思うと、それでもし嫌われたらと思うと、怖くなって何も言えなくなってしまっていた。
「センパイ…」
それなのに、それなのに、こんな自分をまさか笠松が見ていてくれたとは。
…勘違いしそうになるから止めて欲しい。
笠松に言われた通りアップをし始めた黄瀬は程無くして試合へ参加することになった。
しかし…、海常高校は黄瀬を投入したにも関わらず100対98で誠凛高校に負けた。
リングをくぐって床の上で跳ねたボールを冷静な眼差しで追い、コートの中で立ち尽くした黄瀬の姿に笠松はすと双眸を細めた。
小さく震えた黄瀬の唇に、凍っていた琥珀色の瞳がゆらりと揺れて、笠松と再会してから初めて黄瀬が自分の感情を露にする。
すぅっと頬を伝い落ちる滴を笠松は綺麗だと思い、悔しくて泣けるならコイツはまだ大丈夫だと小さく安堵の息を吐く。
ざわざわと、黄瀬が涙を溢したことに驚きざわつく周囲へ目を向けると笠松は黄瀬に近付き、その背中を見た目よりは手加減して派手に蹴りつけた。
「負けたことねぇって方がおかしいんだ」
「…っセン…パイ…?」
背中を蹴られた衝撃で涙も引っ込んだのか、振り向いた黄瀬の胸を軽く握った拳でぼすりと叩く。
「そのスッカスカの辞書にリベンジって入れとけ!」
まだ薄く膜の張った琥珀色の瞳を真っ直ぐに見上げて、口端を吊り上げた。
「……っス」
そして、こくりと素直に頷いた黄瀬に、吊り上げていた口端をゆるりと緩めて柔らかく笠松は笑った。
「よし。…お前はやっぱこっちの方がいいな」
握っていた拳を解き、腕を伸ばして黄瀬の頭をぐしゃぐしゃと優しく掻き混ぜる。
整列と言われて、黄瀬の頭から手を離すと笠松は黄瀬を促しコートの中を歩き出した。
練習試合が終わり、監督と話し合っている笠松を残して部員達は先に上がった。
言葉も少なく着替えを済ませると部員達は皆早々に部室を後にする。
そんな中、同じく着替えを済ませた黄瀬は制服姿で部室の中にある椅子に座り一人残っていた。
『…お前はやっぱこっちの方がいいな』
そう言って頭を撫でてきた優しい手。
真っ直ぐ向けられた眼差しに、柔らかく崩された表情。
「……っ」
何度思い返しても、自分の勘違いなんかじゃなく。見間違いでもない。
それは昔、ゆきちゃんが涼太へと向けてくれた優しい笑顔。
「っセンパイは…俺のこと、覚えてくれてるんスか…?」
このたった一言、口にするだけでいい。そうすれば答えを知ることが出来る。…なのにその答えを聞くのが怖くて、たった一言さえ言えない。
もし覚えてないと言われたら?
もし覚えていても、今の自分と昔の自分は違う。比べられて、嫌われでもしたら…。
「俺…もう、頑張れない」
考えただけでも背筋が凍る。
椅子に座ったまま俯き、膝の上で両手を組んだ黄瀬の耳にガチャリと部室の扉を開ける音が届く。
「ん…黄瀬?お前まだ帰ってなかったのか?」
部室に入って来たのは、当然のことながら最後まで体育館に残り監督と話し合っていた笠松だ。
「ぁ…」
「ん?」
「…なんでも…ないっス」
俯いたまま顔を上げない黄瀬に笠松は首を傾げながら、自分のロッカーの前に立つと着替え始める。
その後ろ姿をちらりと上げた視線で、黄瀬は前髪の隙間から見つめる。
そこには自分が幼い時に見つめていた、変わらない凛とした背中。
あの頃はその背中についていくのが楽しくて、嬉しくて、好きだった。
名前を呼べば振り向いてくれて。
「………センパイ」
「ん?」
ワイシャツのボタンを留め、ロッカーからネクタイを引っ張り出しながら振り向かずに笠松が答える。
けれども自分が今欲しいのは、そんな返事じゃなくて。
急速に胸の中に渦巻いたもどかしさに、黄瀬の口は自然とその音を紡いでいた。
「――ゆきちゃん」
自分の出した声が空気を震わせて自分の耳に入る。
言ってしまってから黄瀬はサッと青ざめた。
自分は何て馬鹿なことを…!
確かめたくて、確かめたくなくて。ごちゃごちゃと混乱した頭にふっと空気が抜ける様な優しい声が返された。
「どうした、涼太?」
「――っ」
その声に弾かれるように俯いていた顔を上げれば、笠松が黄瀬を真っ直ぐに見つめ、柔らかく表情を崩していた。
「…っ、…なんで…」
「何が?」
「ゆきちゃ…俺、のこと…覚えて…」
「当たり前だろ。忘れるわけねぇだろ」
当たり前だと頷かれて、ぽろぽろと零れ出した涙が黄瀬の頬を濡らしていく。
「う…だって、そんな素振り、一度も…」
「それは悪かった。お前のこと早くどうにかしてやりたかったんだけど、その前に海常にお前の居場所を作ってやりたかった」
「いばしょ…?」
「必要だろ。俺と居れる場所で尚且つ好きなバスケもできる。海常高校男子バスケットボール部」
その主将が俺でお前がエース。
「エース…」
「まぁ、今日の練習試合は負けちまったけどな」
「っ…ごめん、なさい」
しゅんと項垂れて謝った黄瀬の頭を笠松はぐしゃりと撫でて苦笑を溢す。
「謝るな。お前だけが悪いわけじゃねぇ。チームとして成ってなかった俺らも悪い。バスケは一人でやるもんじゃねぇ。五人で繋いでやるもんだ」
黄瀬が入ってから連携がどこか上手くいっていなかった。いくらキセキが強いとはいえ黄瀬一人で勝てるわけもない。
それを部員達も痛感したはずだ。
「だから、泣くな」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でた手で笠松は零れる涙を拭う。
「ひっ…ぅ…む、むり…っス」
けれども涙を拭う指先が優しくて余計に黄瀬は涙を溢す。
「ったく、しょうがねぇな」
泣き止む気配をみせない黄瀬の頬をそっと両手で包むと笠松は身を屈め、涙の溢れる眥に唇を寄せた。
「――っ!?」
「お、泣き止んだか?」
目元に触れた柔らかな感触にびっくりして涙が止まる。琥珀色の目を見開いた黄瀬は瞬時にかぁっと顔を赤く染め上げて、あわあわと慌て出した。
「せっ…せ、センパイ!?な、な、何してっ!?」
「何って、お前が泣いたとき昔やってやっただろ?」
「そ、それはそうなんスけど、そうじゃなくて!」
「何だ、嫌だったか?」
「嫌じゃないっス!」
「ならいいだろ」
泣き止んだことで満足したのか笠松は黄瀬から離れる。
「うぅ〜〜」
顔を赤く染め唸っている黄瀬の姿に笠松はふっとまた柔らかく笑うと言った。
「お前はお前のままでいろよ。俺はそっちの方がお前らしくて好きだ」
「――っ、もう…」
「ん?」
「…ゆきちゃんはずるいっス」
今度は拗ねたような顔を見せた黄瀬に笠松はそうかと、クツクツと声に出して笑う。
「…そうっスよ。俺、怖かったのに。忘れられちゃったんじゃないか、嫌われるんじゃないかって思って」
「どっちも有り得ねぇから安心しろ。俺の手元にいる限りまた責任持って面倒見てやるよ」
「うぅっ…だから、何でゆきちゃんはそんなに格好良いんスかもう」
ぶつぶつと黄瀬は小さく呟くと息を吸い、目元を赤く染めたまま笠松に挑むような目を向け、自棄気味に言い放つ。
「じゃぁ…御願いするっス!一生、俺の面倒見て欲しいっス!」
「おぅ、任せとけ」
放たれた台詞に笠松は気負うでもなくニカッと笑うと力強く一つ頷き、黄瀬の頭をぐしゃぐしゃと優しく掻き混ぜた。
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