02


きぃ…と膝を伸ばしてブランコを揺らす。鞄は太股の上に置き、両側に垂れる冷たい銀の鎖を指先で撫でる。

店を出て東京から神奈川に帰ってきた黄瀬は一人暮らしをしているマンションには向かわず、住宅地の中にある小さな公園に来ていた。ブランコにすべり台、砂場に鉄棒と、ベンチがぽつんと一つだけある本当に小さな公園だ。そのせいか休日のまだ昼間であるにも関わらず、黄瀬以外誰の姿も公園にはなかった。

「ダメだなぁ…、俺も」

先程甘えてばかりじゃダメと思ったばかりなのに。
一人、苦笑を溢して呟く。
この公園の近くに住んでいるセンパイの顔を思い浮かべ、きぃとゆっくりブランコを動かす。
鞄の中にあるスマホを使えば簡単に連絡はとれるだろう。けれども今日は家の用事で出かけると言っていたから、その邪魔はしたくない。気持ち半分、…会いたい気持ち半分。

きぃとまたゆっくりブランコを揺らし、晴れ渡る空を見上げた。
気分は酷く落ち着いている。後悔もしていない。ただ、ほんの少し疲れただけだ。

「センパイ…」

そんな時だからか無性に、涼太とあの優しい声で名前を呼んで欲しい。何も言わずに頭を撫でてもらい、そっと包むように抱きしめて欲しい。さすがにキスも…とまでは我が儘過ぎるだろうか。
そこまで想像して頭を左右に振る。指先から伝わる冷たい金属の感触に、空から足元に視線を落とす。

「はぁ…、余計会いたくなったっス」

落とした視線の端に入った鞄で目が止まる。鞄の中にはスマホが。

「……メール、いや、電話だけなら良いっスかね?」

声を聞くだけならと、自分に言い訳をしてみる。
でも笠松は声だけとはいえ、中々に鋭い所があるからなぁ。何かあったのかと心配をかけてしまうかも知れない。どうしようかと躊躇って鎖を握る。

「………やっぱ帰ろっかな」

呟きとは裏腹に足は動かない。
そのまま暫くうだうだとブランコに座っていたが、どこからか近付いてくる子供達の声に反応して鞄を手に取る。カシャンと鎖を鳴らしてブランコから立ち上がった。

「…帰ろ」

帰って、夜になってから笠松に電話をしよう。それまでにいつもの自分になって、心配をかけさせないようにしよう。
そうと決めて公園を出る。名残惜しげにセンパイの家がある方向を見てから踵を返した。







そして、その姿を見つけたのは偶然だった。マンションが見える距離まで帰ってきた時に、前方に黒髪短髪の見慣れた後ろ姿を見つけた。

「え?センパイ…?」

前を歩く笠松は黄瀬に気付いていないようで、黄瀬が住んでいるマンションの前で足を止めるとおもむろに携帯電話を取り出し何やら操作し始めた。
その数秒後、黄瀬の鞄の中に入っていたスマホが震え出したが、スマホを確認する間も惜しいとばかりに黄瀬は笠松に向かって駆け出していた。

「笠松センパイ!」

呼んで、驚いて振り向いた顔に黄瀬はふにゃりと崩れた笑みを浮かべる。

「お前に…今、メール…」

「仕事はお昼に終わったっス!センパイの用事は?」

「もう済んだ。近くまで来たから、お前はもう帰ってきてんのかと思って寄ってみたんだけど」

ふっと笠松の瞳が優しく緩み、黄瀬の頭に右手が伸ばされる。

「その顔。来て、正解だったか?」

くしゃくしゃとワックスで流れを作られた黄色い頭を撫でられる。お疲れと労りの言葉をかけられて、外ではここまでだとポンポンと頭を軽く叩かれ、右手は離れていく。
頭に触れた掌の感触にふふっと笑みを溢し、笠松をマンションの中へと促しながら、黄瀬はほっとしたように息を吐いた。

「…擦れ違いにならなくて良かったっス」

「ん?」

目線で聞き返してきた笠松に黄瀬は正直に答える。

「俺もセンパイに会いたいなって思って、さっきまでセンパイん家の近くにある公園にいたんスよ」

エレベーターのボタンを押して、でも以心伝心っスねと笑う黄瀬に笠松は逆に眉をしかめた。

「そういう時は電話なりメールなりしてこいよ。スマホ持ってんだろ?」

「いや、でも…センパイ、家の用事で出かけるって言ってたから迷惑になるかなって思って…」

笠松より頭一つ分上にある顔がしゅんと萎れるのを見て、別に怒ってるわけじゃねぇよと笠松は続けて言う。

「そりゃ無理な時は無理って言うけど、その前に言ってくれなきゃ何もわかんねぇだろ?どうしてもやれねぇ」

「…っス」

エレベーターから降りて、廊下を少し歩いて黄瀬の部屋へと辿り着く。黄瀬が鍵を開けるのを待って、部屋へと入る。
ガチャンとしっかり背後で玄関扉が閉まったのを音で確認して、先に靴を脱いで玄関を上がらせてもらった笠松は靴を脱ごうとしている黄瀬を振り返り、ほらと両腕を広げた。

「それに遠慮なんかすんな。俺はお前の先輩だが…恋人だろ?」

恋人に会いたいと言われれば俺だって嬉しいし、頼られるのも頼りがいがあると思ってくれているからで、恋人として嬉しくないわけがない。特に妙なところで遠慮する癖がある恋人を俺は甘やかしてやりたくてしょうがないというのに。

「来いよ、涼太」

「何でもお見通しっスか…」

やっぱりセンパイには敵わないっスねと眉を下げて笑い、玄関と上がり框の高低さで逆転した身長差に、黄瀬は笠松の胸に顔を埋めて抱き着いた。黄瀬の背中にも笠松の腕が回され、緩く抱き締め返される。鞄は足元に落ちたがまぁ大丈夫だろう。

「…ちょっとだけ疲れちゃったんス」

背中に回された腕が温もりを分け与えるように強さを増し、持ち上げられた片手が黄色の髪を梳く。安心できる腕の中で、知らないうちに張っていた気がゆるゆるとほどけていく。

「今日、仕事の後に偶然赤司っち達と会って」

ぴくりと髪を梳く手が一瞬だけ止まる。

「あの人ら、いつも通り俺の話なんか聞いてくれなくて」

黄瀬は気付かずに笠松の胸に顔を埋めたままくぐもった声で話続ける。

「何で俺にキセキの集まりに出て来ないんだとか一方的に言ってくるし。俺にも色々都合があるって言うのに…」

その内センパイ達の悪口まで言い出して、とは、センパイだって聞いたらきっと不愉快に思うだろうと思って心の内だけで留める。

「そんで、いい加減俺も腹立って。赤司っち達に絶縁状叩き付けて帰って来たんス」

今度こそ髪を梳く手が止まった。

「……お前はそれで良かったのか?」

窺うような声が頭の上に降って来て、同じような事を他の二人にも言われたなと思い出す。
センパイ達はどこまでも優しい。まるで自分のことのように心配してくれる。それが嬉しくもあり、申し訳なくもあり、黄瀬はそっと瞳を細める。

「そう言われると正直分からないんスけど、俺が自分で決めたことっスから。後悔はしてないんス」

「そうか」

わしゃわしゃと髪を掻き混ぜられ、涼太と調子を変えて明るいトーンで名前を呼ばれる。胸から顔を上げれば、笠松は大丈夫だと黄瀬の心を軽くするように話を畳んでくれる。

「向こうが本当に友達だと思ってんなら反省して謝ってくるだろ。喧嘩しても仲直り出来るのが友達ってもんだろ」

例え絶縁状を叩き付けて来たとしても。
笠松としてはこのまま縁が切れてしまっても大いに構わなかったが、このことが黄瀬の心の中に残るなら話は別だ。黄瀬が気にしてしまわないように欠片すら残さず、綺麗事で包んでさっぱりと拭ってしまう。

「俺も森山や小堀と喧嘩することぐらいあるしな」

「え!?小堀センパイもっスか?」

温和なイメージが定着しているのか、小堀センパイの怒った姿など想像がつかないと、琥珀色の瞳が真ん丸に見開かれる。そこにはもう憂うような影は見当たらず、黄瀬本人は無自覚のようだったが、ほんの少しだけ気に食わないと思った。

「おー、小堀が怒ると怖いぞ」

思いはしても気付かせるつもりはなく、笠松は驚く黄瀬に肩を竦めてみせただけだった。
そして、抱き締めていた腕を解けば、黄瀬も手を離し、落とした鞄を拾って靴を脱いだ。
てか、玄関で何やってるんだろなと顔を見合わせて笑い合い、黄瀬がそう言えばと新しい話題を振ってくる。

「小堀センパイといえば今日、東京で会ったっスよ。森山センパイも一緒だったっス」

「あぁ?森山の奴また小堀連れ回してんのか」

「あの二人、仲良いっスよねー」

「仲良いっていうか小堀の面倒見が良いだけだろ。森山一人にしとくと何仕出かすかわかんねぇからな」

黄瀬は笠松をリビングに通し、寝室に鞄を置きに行く。それから手洗いを済ませ、キッチンで二人分の飲み物とお菓子を用意するといそいそとリビングに戻った。ソファには笠松が座り、黄瀬が戻ってきたタイミングで再び両手を広げられる。

「涼太」

甘やかすような優しくて低い声音。それを合図に恋人同士の甘い時間が流れ出す。

「っ幸男センパイ」

飲み物とお菓子が乗ったトレイをそのままローテーブルの上に置き、黄瀬は笠松の胸に飛び込んだ。とはいえ、身長差があるのでずるずると下がった体はラグの上に座り込む形になり、黄色い頭は笠松の膝の上で止まる。

「センパイ」

ん、と可愛らしく唇を突き出し、座ったまま背伸びをする黄瀬に笠松は瞳を細めてクツリと笑みを溢した。

「可愛いことするな」

頬へ伸ばされた手が黄瀬の輪郭をなぞるように滑り、可愛いおねだりに応えるように笠松はゆっくりと身を屈める。

「ん…」

唇に触れる熱に黄瀬の頬が紅潮していく。

「ねぇ、センパイは…格好良い俺と可愛い俺、どっちが好きっスか?」

口付けを解いた隙間から溢された囁きに笠松は再び口付けて、頬から耳をなぞり、後頭部に指を差し込んで唇の上で答える。

「目の前のお前」

「……!」

「でも選べって言うならどっちも好きだ。どっちもお前だからな」

「…せんぱいのタラシ」

ふぃと赤くなった顔が横へと反らされる。聞かれたから素直に答えただけなのに酷い言われようだなとくつくつと笑う声が鼓膜を揺らし、後頭部に差し込まれた指先が黄色い髪をさらさらと撫でるように梳いてくる。

「涼太。こっち向け」

「まだダメっス」

「せっかく二人きりなんだからもっと近くでお前の顔が見たい」

「そんな言い方…何処で覚えてくるんスか。センパイはタラシの上にズルいっス」

ちらっと戻ってきた赤い顔に、「お前限定のタラシなら良いのか?」と聞き返しながら笠松は離れてしまった距離を元に戻す。

「そんなん、俺限定じゃなきゃいやっスよ」

持ち上げられた黄瀬の腕が笠松の首に絡み、自らも引き寄せて唇を重ねた。

この人を誰にも渡すつもりはない。

ふつふつと胸の奥底から沸き上がった独占欲は、海常のセンパイ達を侮辱された時に感じた苛立ちと少しだけ似ていた。
笠松が誰にも渡したくない唯一なら、他のセンパイ達は下手な人間には譲れない家族のようなものに黄瀬の中ではなっていた。しかしまだ本人にはその自覚はなく。そのことが後々、森山や小堀にまで影響を与えることになるとはまだ誰も知らず。

降って沸いたお家デートの時間を黄瀬と笠松は心行くまで堪能していた。



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