02




***


何か怖い夢を見たような。でも途中からはとてもいい夢を見たような気がする。
ぼぅっと開けた目で自室の天井を見上げ、徐々にクリアになっていく意識に、今朝よりは軽くなった身体を手を付いてゆっくりと起こす。
今朝起きた時より明るい室内にカーテンの方へと顔を向ければ、外はどうやら晴れているらしい。

「いま、なんじ…」

明るさからしてまだ昼間だろうと枕元に起きっぱなしのスマホに手を伸ばし、時刻を確認すればちょうど昼の一時を回った所だった。
そして、スマホのランプがチカチカと光っており着信を知らせていた。

誰からだろうと首を傾げつつスマホの画面をタップすれば、メールが三通も届いている。
一通はクラスメイトである友人からで、もう一通はクラスメイト兼同じバスケ部の紺野。更にもう一通は…。

「笠松センパイ…」

メールの中身はどれも具合は大丈夫かと、学校に来ていない黄瀬のことを心配する内容だった。
けれども不謹慎にもじんわりと嬉しくなってしまう。上部だけじゃなく大切にされていると感じるから。
それこそ中学の時は事務的な部活の連絡以外のメールは基本的にはなかったし、黄瀬が送っても返信が来るのは緑間か気が向いたら紫原あたりしかなかった。桃井からは送られてくることもあったが、モデルをしている黄瀬は必要以上には桃井には近付かなかった。それは桃井も承知していたようで、しょうがないよねと肩を竦めていた。

メールの返信画面を立ち上げて、まず先に友人二人にメールを返す。その途中で学校に連絡を入れてないことに気付いて、後で連絡を入れようと頭の中にメモをする。

「ゆきちゃんにも心配かけちゃったな…」

友人よりも長文になってしまったメールを笠松宛に送信しながら、ぼんやりとだが夢の中に出てきた笠松を思い出して頬を赤く染める。
夢の中の笠松はとても優しかったなぁと、スマホをベッドの上に落として、別の意味で上がりそうになった体温を抑えるように顔を両手で覆って俯く。

「あれ…?」

そこでハタと額に貼られている冷えピタに気付き、寝室の外からはチャラチャラとした軽快なメロディが流れ出す。と、思ったらその音はすぐにピタリと止んだ。

「え?」

額に貼られた冷えピタに手を添えたまま、顔を上げてリビングに繋がる扉へ目を向け固まっていれば、程無くして扉の向こう側から微かに足音が聞こえてきて、リビングと寝室を隔てる扉のノブが回された。

「起きたのか?具合はどうだ?」

扉の向こう側から現れたのは、制服のブレザーとネクタイを外し、ラフな格好をした笠松だった。

「えっ、な、なんで…ゆきちゃん?」

何で笠松がここにいるのだろう。
今日は平日で、まだ昼間だから学校にいるはずだ。
目を丸くして戸惑う黄瀬に笠松は近付き、額に添えられている黄瀬の手を退かして冷えピタに触れる。

「もう温くなってんな。まだ怠いか?」

「えっと、もう…そうでもないっスけど、もしかしてゆきちゃんが?」

ベッドの横に立った笠松を見上げれば、ちょうど良いと顔色を見る為に至近距離で見つめ返される。

「…っ」

近い。近い上に、何だか笠松から見下ろされる感じが恥ずかしい。
じわりと体温が上がる。

「部活休むってメール貰って、その後気になってメールしたけど返事がなかったからお前の教室覗きに行ったんだよ」

そこで紺野からまだ来てないって言われて、心配になって様子を見にきた。と、笠松は黄色い頭をひと撫でして離れていく。

「で、お前はいつから調子悪かったんだ?風邪か?」

「いや、風邪ではないっス。多分。ちょっと気が抜けて…熱が出ただけっス。前にも似たようなことあったっスから」

引っ越した後とか、モデルを始めたばかりの頃とか、中学に入ってからとか。環境が変化した後は特に。そうただ単に緊張の糸が切れたんだと思う。張っていた気が緩んだというか…。

困ったように笑う黄瀬の顔を見つめ、嘘ではないと伝えてくる眼差しに笠松はそっと息を吐く。

「それならいいけどな。あんま一人で無理はするなよ」

「っス。心配かけてスミマセン」

話を聞く限り、心配をかけさせた上に笠松に学校をサボらせてしまったらしい。
そうと気付いてしょんぼりと頭を俯かせれば、ぽんと頭の上に右手が乗せられる。

「ばか、違うだろ」

「え…?」

「心配したのも、ここにいるのも俺の勝手だ。お前が謝ることじゃねぇよ」

くしゃりと汗で湿った頭を撫でられる。

「そうだな…でも、前と違って今は俺が側にいるんだ。変に遠慮とかされるよりは何かあったら、なくてもいい、俺を頼ってくれた方が嬉しい」

とは言え、何も出来ないかも知れないけどな。
知らない所でお前が一人で苦しんだり、しんどい思いをしてるのを見過ごしたりはしたくない。

「まぁこれも俺の勝手な我が儘だ」

前髪の隙間から見上げた先にある薄墨色の瞳が優しさを宿して細められる。

「っそんなの…」

そんなの、ぜんぜん我が儘でもなんでもない。だってだって、嬉しい。どうしてゆきちゃんはこうも俺を喜ばせることを言うの。
注がれた温かな眼差しに唇を震わせる。

「そんなこと言っていいんスか?」

「ん?」

「おれ、本当に何もなくてもゆきちゃんにメールとか電話とか…色々甘えまくっちゃうかも知れないっスよ?」

それこそ迷惑だとか、ウザいとか、無視なんかされたりしたら…。中学時代に自分だけが友人だと思っていた面々にされた雑な扱いを思い出して胸が苦しくなる。あの人達にとってはそれが普通だったのかも知れないけど、その扱いに傷付かないわけがなかった。
だから恐る恐る窺った先で笠松が何だそんなことと、けろりと笑って受け入れてくれたことに驚く。

「ま、でもほとんど一緒にいるようなもんだから顔見て話す方が多いと思うけどな」

ぽんぽんと頭を撫でるように軽く叩かれ、ところでと話が移る。

「腹減ってないか?朝から何も食ってないんじゃないかと思っておにぎりとか買ってきてんだけど。起きて食えるようなら食っといた方が回復も早いだろ」

言われて、お腹の空き具合を意識する。

「…確かにちょっと減ってるっス」

「んじゃ、飯食うか」

頭の上に乗せられていた手がくしゃくしゃと髪を掻き混ぜ離れていく。名残惜しさを感じてその手を追って顔を上げれば、笠松は黄瀬がベッドから出てくるのを待つようにドアの前で立ち止まっていた。
のそのそとベッドから降りる。

「あの、顔洗って来たいから先にリビングに行ってて欲しいっス」

今更かも知れないが身だしなみは整えておきたい。すると何故か笠松はあぁそうだなとくつくつと笑って謝ってきた。

「わり、今お前の頭、トリの巣みたいになってる」

「えっ、えぇ!?」

さっと頭に手をやり、寝室を飛び出して洗面所の鏡の前に立つ。
寝ていたせいもあるだろうが、笠松に掻き混ぜられた髪は少々こんがらがっていた。

「うぅっ、ゆきちゃんの前で…」

格好悪い。でも、格好悪くしたのはそのゆきちゃん本人だ。かといえ、頭を撫でられるのは嬉しいから止めてとも言えない。これは大問題だと難しい顔をしながら洗顔を済まして、洗面所に置いている櫛を手に取った。




おにぎりの具はおかかと昆布と鮭。サンドイッチの中身はポテトサラダだった。

「じゃぁ、わざわざコンビニに行ってきてくれたんスか」

身だしなみを整えてからリビングで少し遅いお昼を食べる。黄瀬はソファに座り、一人分間を開けて隣に座る笠松を見る。

「うち、冷えピタとかも置いてないし、もしかしてとは思ったんスけど」

「わざわざってほどでもない。この近くにあるコンビニだしな」

それでも笠松が黄瀬の為にマンションを訪れてから一度買い物に出てくれたのは事実だろう。
何から何まで面倒をかけてしまっている。

「ゆきちゃんのお昼は?」

「ここで弁当食った」

笠松は対したことじゃないと言うが、これではいけない。迷惑かけっぱなしだ。
何かお返しになることは…。

「はっ、そうだ!弁当箱!弁当箱洗っておくんで出して下さい」

「あ?いいよ。別に持って帰って…」

「洗っておくんで、帰りに取りに寄って欲しいっス」

食べかけのおにぎりを片手に、空いている方の手を、掌を上に向けて笠松に出す。

「帰りに取りに?」

「俺はもう平気なんで、ゆきちゃんは学校に戻って欲しいっス。この時間だともう部活にしか出れないっスけど、やっぱりキャプテンが部活にいなきゃ締まらないっスよ」

ね、と申し訳なさそうな顔をした黄瀬に、いくらこれは笠松の勝手だと言ってもきっと黄瀬は気にするんだろう。これが黄瀬の性分なんだろうなと根は真面目で優しく素直な幼馴染みの言葉に笠松は言いかけた言葉を飲み込み、別の言葉を選ぶ。

「分かった。帰りに寄るからお前はちゃんと養生してろよ。してなかったらシバくからな」

「分かってるっス」

笠松から青い布に包まれた弁当箱を受け取り、テーブルの上に置く。

「あぁそれと、お前の欠席の連絡は紺野から担任にしてもらったからな。紺野に礼言っとけよ」

「智(とも)が…。後でメールしとくっス」

「そうしてやれ」

笠松が外していたネクタイを締め直し、脱いでいたブレザーを羽織る姿を眺めながらおにぎりを完食する。
ソファから立ち上がり、ソファの足下に置かれていたエナメルのバッグを肩に引っ掛けた笠松を見上げ黄瀬もソファから立ち上がった。

「お見送りするっス」

視線で問いかけてきた笠松にそう答え、笠松と一緒に玄関に向かう。
靴を履き、振り向いた笠松にふんわりと笑って告げる。

「いってらっしゃいっス」

「…おぅ。行ってくる」

すると笠松は一瞬固まったあと、ふっと笑みを溢して返してくれた。笠松の背中が扉の向こうへ消えるまで黄瀬は玄関に立っていた。

「ていうか、これっ、なんか新婚さんっぽいっスよね」

自分で突っ込みを入れて途端に恥ずかしくなる。かぁっと熱くなった頬を両手で押さえ玄関でしゃがみこむ。

「違うっス!今のには別に他意はないっていうか…!ただゆきちゃんのお見送りをしたかっただけで…」

ぶつぶつと誰が聞いてるわけでもないのに言い訳を並べ立て、最後には熱を持った自分の頬を軽くつねった。

「もしかしてこれ全部俺の夢じゃないっスよね?」

つねったらつねったで痛かったので夢ではない。

「ってことは…」

ふにゃふにゃと表情が緩む。
ダメだと沈んだ今朝の気持ちとは一転して気分も明るくなる。

「よし!」

しゃがんでいた足を伸ばし、立ち上がる。
まずは残りのサンドイッチを食べて、お茶を淹れてゆっくりしよう。それから笠松の弁当箱を洗って、無理のない範囲で
家事をしよう。

「肉じゃがの材料って、あったかなぁ…」




そして、珍しく自主練をせずに早い時間に切り上げマンションを訪れた笠松に黄瀬がシバかれるのはこれから数時間後のこと。

「おい、誰が夕飯を作って待ってろって言った?俺はゆっくり休んでろって言ったよな?」

「うっ…でも、もう元気になったし!ゆきちゃんがお腹空かせて帰ってくるかなって思って。お礼も兼ねて…」

怒ってる?ダメだった?と上目遣いに窺ってくる黄瀬に笠松は一つ溜め息を吐くと、エナメルのカバンから携帯電話を取り出し手早く操作してカバンに戻す。

「作ってくれんのは嬉しいけどな、体調が悪い時は大人しく寝てろ。礼とか別にいいから。………手、洗ってくる」

「…!…」

「でも次からは無しだからな涼太」

ぽんと擦れ違い様に黄瀬の頭を軽く叩き、笠松はリビングを出て行く。

分かってる。笠松が何で怒ったのかも。言い付けを守らなかったからじゃない。俺を心配してのことだって、分かってる。けど、それ以上に俺は嬉しかったんスよ?ゆきちゃんは何も出来ないかもって言ってたけど、病気の時って一人でいると余計しんどく感じるし、気が弱って泣きたくなることもある。その時側に誰かいてくれるのと、いないのじゃ大きな違いだ。特に笠松は自分にとって特別な人だから。

「ゆきちゃんは自分の影響力に気付いてないんスよ」

なにせ、俺の夢にも出てきて悪夢をぽいっと一蹴してしまった。それからはひたすらに優しかった。
どこか痛むか?それとも苦しいのか? どこにもいかねぇ。ここにいる。ずっと側にいると優しく囁くように告げられた声音を思い出して一人赤面する。

「涼太?やっぱまだお前…」

「っ、大丈夫っス!今、用意するっスから座って待ってて下さいっス!」

リビングに戻ってきた笠松に声をかけられはっと我に返り、慌てて自分の分と笠松の分のご飯と味噌汁をよそう。メインはもちろん肉じゃがだが、他にもほうれん草の胡麻和えとだし巻き玉子。テーブルの上におかずを並べていった。
その間笠松からは疑わしげな色と心配そうな色が混じった眼差しで見つめられたが、まさか夢の中でも笠松に大切にされていたとは本人には恥ずかしくて口が裂けても言えなかった。

どれだけ自分は笠松が好きなのだろう。
現実のみならず、夢にまで見てしまうなんて…。我ながら我が儘すぎる。
そう思いながらも、美味いと言って肉じゃがに箸を伸ばす年上の幼馴染みを誰にも渡したくないと強く思っていた。



end

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