02


10.
黄瀬が海常に、主に笠松の隣にいることと手荒いシバきがセットで部員達の日常にも馴染んできた頃。海常高校は順調に予選を勝ち抜き、晴れてインターハイ出場を決めていた。

「なのに、何で俺、シバかれるんスかぁ!?」

どうしても外せないモデルの仕事をこなして、それでも部活だけは出たいと途中から体育館に顔を出した黄瀬は笠松と目が合うなりスッと据わった目で睨まれて、次に鋭い風切り音を知覚した。
黄瀬は反射で身構え、持ち前の動体視力と身体能力を駆使して繰り出された蹴りを身体を横へとずらして間一髪で避ける。

「チッ…避けやがったか」

ダンッと良い音を立てて床に着地した右足と一緒に舌打ちが黄瀬の耳に届く。

「っ何すんスか、いきなりっ!」

「ぁあ?まさかお前、身に覚えが無いとか言わねぇよな?」

ジロリとやや斜め下から柄悪く睨み付けられて黄瀬は最近の自分を省みる。
問答無用で笠松に蹴られるような、笠松をここまで怒らせるような事をした覚えは…多分無い。

部活にもきちんと参加しているし、ファンの女の子達にだって部活中は騒がしくしないように言い聞かせた。仕事で部活に参加出来ないかもしれない事は笠松にメールもしたし。インハ イだって危なげ無く出場を決めた。
どこに笠松が怒る要素があるのか黄瀬にはさっぱり分からなかった。

はて、と小首を傾げた黄瀬に笠松の口端がひくりと震える。

「お前は何しに学校来てんだ!」

「え?何ってバスケっスよ」

少しでも練習がしたくて、だから途中からでも参加したいとこうして足を運んだのだが…。どうやらその答えは不正解だったらしく、手加減無しの第二撃を繰り出された。

「っと…!」

その勢いの良さに肩へと飛んできた拳を思わず掌で受け止めれば、バシッと乾いた音が響き、若干掌が痺れる。つい受け止めてしまったと思った瞬間、間近にある顔がしかめられ、げしりと今度は加減して足を蹴られた。

「いって!?」

「確かになぁ、俺等はバスケしに学校に来てる」

黄瀬と同じぐらい、いやそれ以上に笠松もバスケ馬鹿だ。今の台詞を聞いた部員数人が離れた場所で、あれ学校ってそんな場所だっけと首を傾げている。
でもな、と拳を下ろした笠松に間近から真剣な眼差しで見つめられ黄瀬は無意識にこくりと喉を鳴らす。

「学生の本分は勉強なんだよ」

「はぁ…」

まぁ、そうっスよねと頷きかけて黄瀬はサッと顔色を変えた。

「思い当たったな黄 瀬?てめぇのせいで俺は今日の昼休み、監督とお前の担任に呼び出し食らったんだよ!前回の中間赤点ギリギリクリアって何だお前は!お前は学校に何しに来てんだ、この馬鹿野郎っ!」

「なっ、センパイだって今バスケしに来てるって言った!」

「そう言うことはテストで平均とってから言え!それと敬語!赤点とったら補習と被ってインハイ出場出来ねぇんだぞ!」

「えぇっ!?マジっスか!?」

「嘘吐いてどうする!とにかくエースが赤点で出場停止とか笑い話にもならねぇからな。明日から昼休みと部活の後、勉強見てやるから覚悟しとけ!」

笠松の宣言通りに次の日から強制的に開催された勉強会。
笠松と二人きりかと思えば、黄瀬と同じく早川も早々に召集されていた。場所は主に部室や図書館でレギュラーの三年が教師役に回り、黄瀬は笠松、早川は森山と小堀に、中村はその中で一人自主学習をする。

さらさらとノートの上を滑るシャーペンに笠松は自分の勉強をしながら向かい側の席に座る黄瀬の手元をぼんやりと眺める。
教えたばかりの問題を黄瀬はすらすらと、時おり詰まりながらもきちんと解いていく。
その様子から黄瀬がただの馬鹿では無いのは明白だった。けれどもアホだと笠松 は思う。ちゃんとやれば出来るけどやらない。始めからきちんとやっていれば怒られることも無かっただろうに。

「出来たっス、センパイ!」

「んー?どれ、見せてみろ」

解いたばかりのノートを笠松に差し出し、黄瀬は笠松の心の内を知らずににこりとにこやかに笑う。

学年が違えば当然、笠松の勉強をしている姿など黄瀬が見ることは無かった。
それがこうして見れるのならば少しは中間の時の自分を褒めてもいいかなと黄瀬は思った。もちろん思っただけで口には絶対出さない。
出したら最後シバかれるのは目に見えている。

「ん…よし。じゃぁ次はこっちの問題解いてみろ。今の応用だから出来るだろ」

「…っス」

笠松は無意識か、黄瀬が正解を出せば笠松の表情が僅かに緩く綻び、黄瀬はまた新しい笠松の一面を見つけて何だか胸をほこほこと温かくさせた。



11.
きらきら、しゃらしゃらと。
無事テスト期間を抜けた黄瀬は分かりやすく生き生きとしていた。
ただしまだ、答案用紙の返却は行われていない。
今現在、採点中だろう。

言わずもがなテスト期間中は部活動も停止しており、バスケ部は来週の月曜日から再開予定だ。
そんな午前中で期末試験から解放された 笠松逹海常バスケ部レギュラー陣は自然な流れで昼飯を学校近くのマジバで食べて、ストバス場へと来ていた。

きらきら、しゃらしゃら。
笠松はうるさいぐらいに存在を主張する黄瀬に呆れながらも小さく笑って、ドリブルしていたボールを黄瀬にパスする。
ボールを受け取った黄瀬は鮮やかに中村を抜いて、リング下で早川と対峙する。

「今日はまた一段と楽しそうだな」

ぽつりとかけられた声に笠松は自分をマークしている森山をちらりと見て、綺麗なフォームでシュートを放つ黄瀬へと目を戻した。

「テストも終わったし、バスケが出来て嬉しいんだろ」

小堀からナイッシュー、と声をかけられて視線の先にいる黄瀬は嬉しそうに笑った。つられて頬を緩めた笠松に森山が違う、違うと否定の言葉を被せてくる。

「黄瀬も楽しそうだけど、俺が言ったのはお前」

「は?俺?」

「そ。何かいつになく機嫌良さそうだし、眉間に皺を作ってない」

「……まぁ、久々にバスケ出来るって点じゃ俺も浮かれてんのかもな」

指摘されて初めて気付く。自分も黄瀬同様テスト期間中出来なかったバスケが思いきり出来て、端から見れば浮かれているのか。

きらきら、しゃらしゃらと。
普段の 生意気な顔を少しだけ引っ込めた、人懐っこい無防備な顔が笠松を振り向く。

「センパーイ、次は1on1して欲しいっス!」

それは部活後に毎回決まりの事の様に申し込まれるようになった黄瀬からの常套句。むろん笠松もお決まりの台詞で返す。

「いいぜ」

だけども今日は互いに少し違うところがあった。挑戦的な琥珀色の眼差しは楽しげな色を乗せ、好戦的な薄墨色の双眸はふっと穏やかに緩む。

「今日はお前からでいいぜ」

殺伐とした真剣勝負。抜き身の刃を打ち合わせる緊張を孕んだ熱い1on1ではなくて、じゃれるような触れ合うような温かさ含んだ1on1。

「じゃ、遠慮なくいくっスよ」

「おぅ、かかってこい」

楽しげに煌めく琥珀色に見据えられて、擽ったいような心地良い気分を覚える。笠松は口端に笑みを浮かべ、黄瀬の出方を窺い、目まぐるしく頭を回転させた。右か左か、さてどっちから来る?

他の四人はコートの外に出て休憩に入る。

「それにしても黄瀬はよく笠松になついたよなぁ。初日がアレだったから俺はヒヤヒヤさせられたぜ」

「あぁ…アレはね。俺もびっくりしたよ。思わず何やってんだ笠松!って叫びそうになった」

「おぇもびっくりしたっす。監督も真っ青になってたっす」

「思い返すっていうのも早い気がしますけど、あれからまだ四ヶ月も経ってないんですよね」

まるで四月の出来事が嘘のように楽しげに1on1を繰り広げる笠松と黄瀬を四人は様々な思いを抱いて眺めていた。



12.
翌土曜日、丸一日オフだった黄瀬は一人暮らしを有効活用し、テストを頑張った自分にご褒美として朝寝坊を許し、大分陽が昇った頃にのそのそとベッドから起き出して朝食兼昼食を作り始めた。

「今日も天気良いなー。あ、そだ。買い物…」

のんびりご飯を食べながら頭の中でこの後の予定を立てる。詰め替えのシャンプーとコンディショナー、洗剤はまだ買い置きがあるから、と。消耗品を一通りチェックして、ついでに冷蔵庫の中身を確認する。

「食材は…まだあるからいいか」

買い物に行こうと決めれば即行動だ。さっさと食器などの洗い物を済ませ、部屋着からよそ行きに着替える。ちょっとした変装用に帽子を被り眼鏡を装着する。財布とスマホ、家の鍵を持って黄瀬はマンションを後にした。

見上げれば青々と広がる空に申し訳程度に浮かぶ雲。陽射しがキツいなと瞳を細め、梅雨明けは来週だとか気象予報士が言ってたっけかなとどうでも いいことを考えながらなるべく日陰を歩いていく。そして万が一ファン達に住んでいる場所がバレないように六駅先まで足を伸ばすことにした。

まぁ、それでも捕まる時は捕まるもので、駅を出て少ししたら女子大生らしき二人組に捕まった。
格好良い、ファンです、応援してます!サインが欲しいと言われ微笑して頷き、最後に握手をして欲しいと言われ笑顔で応えて他に人が集まる前にその場を離れる。

ファンとしてはマナーの良い人達で引き留められることもなかったので少しだけホッとしする。
とりあえず早く買い物を済ませてしまおうと空調の効いたお店へと誘われるように足を踏み入れた。

「チッ…またか。しつこいにも程があるぜ」

その一時間ぐらい後に、笠松も偶然同じ街に来ていた。
日々キツくなっていく陽射し対策に被っていた帽子の鍔を軽く下に下げ、面倒臭そうに舌打ちをするとぼやいて大きなため息を落とした。

「ここで騒ぎにしたくなけりゃ付いてこい」

「はぁー…。ついてねぇな」

必要最低限の買い物を済ませた黄瀬はがさがさと袋を右手に提げて、大通りに面した本屋にふらりと立ち寄る。
何か出てるかなと店内をぐるりと歩いて漫画の新刊をチェックして、硝子を挟んで表通りが見える雑誌のコーナーで足を止めた。

「あ、コレもう出てるんだ…」

少し前に行われた撮影で撮られた自分の姿が表紙を飾っているファッション誌を手にとろうとして、一緒に視界に飛び込んできた表通りの光景に黄瀬は目を見開いた。

「は…?え?ちょっと…」

表通りには髪を茶色や金色に染め、耳には沢山のピアス、腕や首にはじゃらじゃらと貴金属を身に付けた、見るからに不良不良している集団が一般人の迷惑も考えずに道幅一杯に広がって歩いている。
しかし、そんなことはどうでも良い。
黄瀬はぞろぞろと歩いていく不良っぽい男達の真ん中に見つけた頭一つ分高い帽子を被った男の横顔を凝視して嘘だろ?と掠れた声を出した。

何でアンタがこんな所に?あんな奴らと?
考えるより先に身体は動いていた。
立ち読みしようとしていた手を下ろし、急いで本屋から表の道に出る。
そして男達が歩いて行った方向に向かって走り出した。

「っ…何やってんだよ、センパイ!」

あの顔は間違いなく、黄瀬がずっと見てきた笠松のものだった。



13.
正直、面倒臭いが話は少し前に遡る。あれは正月が明けて数日してからか。もっと詳しく言えば俺はまだ二年で、明日からまた学校が始まる前の日だ。

俺の趣味がギターを弾くことだと知っている奴はまぁ少ない。そのギターの弦をそろそろ新調しようと普段出向かない六駅先まで、その日は足を伸ばした。
これが普段の買い物ならそこまで行かなくてももっと近場で済むんだが。楽器屋はどうしても六駅先まで行かなければ買い物が出来なかった。

そんな訳でニット帽とマフラー、コートを着込んで寒い中、六駅先の楽器屋で無事新しい弦を手に入れた。
今思い返せばその後の行動が頂けなかったのだと思う。

正月休み最終日とあって人の出は多く、普通は逆に少なくなるんじゃないかと思ったが、どっかの店が最終日限定で更に安くセールをしていたらしい。そのせいで行きに通った時より歩道が混雑しいて、俺は仕方無しに駅へと繋がっているだろう裏道を選んだ。

賑わう表通りから一本手前の道。一本道を違えただけで周囲はやたら静かだった。人も疎らにしか歩いておらず、気分良く俺は足を進める。
…その時点で気付けば良かった。

疎らに歩いていた人が、やたら貴金属を身に付 けていたりだとか、ズボンを腰ばきにしてたりだとか、髪色が茶色や金髪、果ては灰色だとか。高校生から大学生ぐらいの若者しか裏道を歩いていないだとか。

表通りの道を思い浮かべて、駅まではあと半分ぐらいかと裏道に入ってから何気なく周囲へ気を向けた笠松は自分を取り巻く空気がいつの間にかピリピリと張り詰めたものへと変わっていることに気付いた。

「………」

目の端でだらだらと歩く歩行者達を確認すれば、どうにも嫌な予感しかしなかった。
そうして予感は次の瞬間、現実のものへと移行していた。
背後に人の気配を感じてはいたが無視していればポンポンと軽く肩を叩かれ、同時に背後から男の愉快そうな耳障りな声がかけられる。

「あんたさぁ、何勝手に俺等の縄張りに入って来てんの?」

何だそりゃ。
縄張りって…お前は犬猫か。

「そうそ。ここは中坊が来るとこじゃねぇぜ。まぁ、でも俺達は優しいから?持ってるもん全部置いてきゃぁ、少しは優しくしてやれるかもなぁ?」

誰が中坊だ。
目ぇ腐ってんじゃねぇのかお前。

背後の男に続いて、金髪の男が馬鹿丸出しの台詞を口にする。それを聞いて回りにいた男四人がげらげらと品のない笑い声を上げた。

典型的なカツアゲだ。
笠松は計六人の男達に囲まれていた。茶髪、金髪、灰色にプリン、赤茶色と青メッシュ。笠松の背後に立った茶髪の男は笠松と同じぐらいの身長だ。他は男子の平均ちょいか。
それで何故自分は金髪から中坊呼びされたのか甚だ疑問だと笠松は目の前にいる金髪を見下ろした。
その時笠松は気付いていなかったが、寒がりのせいでニット帽にぐるぐるに巻いたマフラーとで顔は少し大きめな薄墨色の瞳しか相手には見えていなかった。また、気を抜いていたせいもあってきょとりとした大きな瞳が殊更相手に幼い印象を与えていた。

偶然にもばちりと目のあった金髪頭が口許に浮かべていた軽薄な笑みを引っ込める。

「てめぇ自分の立場分かってんのか?なに見下ろしてだよ!」

いきなりグッとマフラーごと胸ぐらを掴まれ、乱暴に下へと引っ張られる。
そもそも見下ろすも何も、お前の背がただ低いだけだろ。そんなん言ったら俺は毎回、小堀や森山、早川に見下ろされてるわ。
僅かに眉をひそめただけで、口を開くこともなく涼しい顔をしている笠松に金髪頭は馬鹿にされたと思ったのか、胸ぐらを掴む手とは逆の手を握り締めて振りかぶった。

「ったく、面倒癖ぇな」

思わずぼやいた声にピロリンと間の抜けた機械音が重なる。その音に一瞬金髪頭の気が反れて、笠松はその隙を好機とみて胸ぐらを掴んでいた金髪頭の手を逆に掴み返すと、素早く持ち上げた右膝を金髪頭の腹部に叩き込んだ。

「ぅぐっ…!?」

膝が上手くみぞおちに決まったところで掴んでいた手を離し、痛みに崩れ落ちる金髪頭の顎を軽く靴の先で蹴り上げる。
呻き声を上げながら地面に倒れ込んだ金髪頭の上をひょぃと乗り越え、一連の行動についてこれなかった残りの男達を無表情で振り返る。そして男達の後方に新しく増えた黒髪の男に気付き、笠松は表情を険しくした。
黒髪の男の右手にはスマホが握られており、ピロリンと間の抜けたシャッター音が再び裏道に響いた。

吹っ掛けられたとはいえ喧嘩をしたことが学校にバレたらまずい。

この場をどう切り抜けるかと頭をフル回転させ始め、だが次に黒髪の男が口にした言葉でその必要はなさそうだと笠松はマフラーの下で小さく安堵の息を吐いた。

「鮮やかな手並みだな。助けは必要なかったか」

スマホを弄りながら黒髪の男は真っ直ぐに笠松を見てにやりと笑った。それに笠松はコクリと頷き返し、我に返った男達が仲間の敵討ちだとばかりに殴りかかって くる。
自分に向けられた拳をいなしつつ、隙だらけな男達の腹部に膝蹴り、上段回し蹴り、肩パンと好き勝手に応戦しながら笠松はとばっちりで巻き込まれた黒髪の男の姿を視界の端で探した。

危険を承知で自ら首を突っ込んできたぐらいだ、闘えなくても逃げるぐらいは出来るだろうと…黒髪の男を見つけた先で目を見開く。
黒髪の男は灰色の髪をした不良の頭をグワシッと片手で掴み上げると、不敵に笑って何事かを呟き、握った拳を不良の腹部にドスリと捩じ込んでいた。

「グァ…ッ…!!」

「お前の髪色めちゃくちゃ生意気な後輩に似てて無性にボコりたくなんだわ。悪いな」

ドサリと最後の一人が地面に崩れ落ち、その場に立っているのは笠松と黒髪の男だけになる。
裏道にいた他の連中は喧嘩が始まって早々裏道から姿を消していた。

「ったく、カツアゲする元気があんならバイトでもしてろよな」

新年早々、心底面倒臭いと溜め息を吐いて、笠松は地面とお友達になっている面々に向けて言い放つ。

「良いこと言うな、少年」

黒髪の男はそう言いながら笠松の隣に歩み寄り、再び取り出したスマホで死屍累々になっている不良達を画面に納めてシャッターを切っていく。隣に立たれて 分かったが黒髪の男と笠松の身長はそう変わらなかった。目を合わせるのに無理の無い目線を横に流して笠松はグッと眉間に皺を寄せた。

「おい、お前」

「ん?あぁ…自己紹介がまだだったな。俺は虹村しゅ…」

「そうじゃねぇ。俺はもう少年なんて呼ばれる年じゃねぇぞ。俺は今年で高三だ」

「えっ!?うそっ!俺より年上!?」

そうは見えねぇとまじまじと見てくる虹村と名乗った黒髪の男に元から長くない笠松の気が切れる。ぎゅっと握った拳が言葉より先に飛び出す。

「シバくぞてめぇ!」

「いっ〜…、っ口より先に手が出てんじゃないっすか!」

ばしんっと肩口に受けた鋭い拳に虹村が批難の声を上げるも笠松はそれを鼻であしらう。

「ふん…、自業自得だろ。んで、その写真どうするつもりだ?」

「ったくもう、これっすか?これは万が一の時の保険で、正当防衛の証拠にとっとくんです」

「じゃぁボコった後の写真は何に使う気だ?」

「それはまぁー今後の為に色々と…、牽制とか…?」

目を反らし気味に答えた虹村をうろんな眼差しで眺めながらも、初めから咎めるつもりも無かった笠松は肩を竦めるだけに留め、それ以上の追求はしなかった。
ただ単に面倒臭くなったとい うのが大半だが。

「どうでもいいが、やりすぎるなよ」

「それはこれまでの経験で心得てるっす」

「あっそ。んじゃ、後は任せてもいいな?」

面倒臭い事の上に更にまた面倒臭い事を今は背負い込みたくないと笠松は虹村に丸投げする気満々で、形ばかりの言葉を虹村に投げた。

「別に良いっすよ。面倒事は慣れてますんで」

「そうか。なら、後は任せる。また会う機会があればその時にこの礼はする」

じゃぁな虹村と、その場で別れて以降、笠松は虹村が地面に転がっていた不良達をどう処理したのか詳しくは知らなかったし、その日以降虹村に会うことも無かった。と、……話がそこで終われば良かった、のだが。

時間軸を現在に戻し、不良集団に囲まれた笠松は一般の人達に迷惑がかからぬよう裏道に場所を移し、盛大に舌打ちを漏らした。

「何でまた俺が…」

この街に来る度に笠松は本来なら自分とは全く関わり合いのない不良共に捕まり、その度に一度きりしか会ったことのない虹村の顔を脳裏に思い浮かべる様になっていた。何故なら……

「いい加減、口を割ったらどうだ?虹村は何処にいる?」

「てめぇが虹村の仲間だってことは当に分かってんだよ。おら、さっさと吐け!」

「ぽっと出の奴にいつまでもでかい顔されてちゃ、こっちの面子が立たねぇんだよ!」

そう、この不良共が探しているのは虹村であり、虹村はこの街の不良共の間で一番の勢力を誇る不良チームのボス的存在だったのだ。その虹村が正月の一件以降雲隠れしてしまい、どうにもならずに、最後に接触したと思われる仲間…笠松から虹村の居場所を聞き出そうと不良共は躍起になっていた。

「何回も言ってるが、そもそも俺は虹村の仲間じゃねぇ」

「誰が今さらそんな嘘を信じるか!」

「お前らこそ何処でそんな間違った情報拾ってくるんだ」

「そうやって毎回誤魔化せると思うな!」

毎回拗れて終わる問答は、今日も変わらず拗れに拗れて、最後は強行手段に変わっていく。

「口を割りたくないなら、割りたくなるようにすればいいだけだ!」

「あぁ。コイツを人質にとって虹村の野郎を引きずり出してやるっ!」

「面倒くせぇな。知らねぇって言ってんだろ!虹村の居場所なら俺が知りたいわ!ボケ!」

虹村の奴を見つけたら笠松だってお礼参りをしたい。もちろん拳と蹴りでボッコボコに。
善良な一般市民がかけられた迷惑料分、それぐらいは当然許される権利だろう?



14.
本屋から飛び出して、裏道で見つけた時には既に空気は一触即発の状態で。
黄瀬は片手に提げていた買い物袋を道路の脇に避けて置くと笠松と不良達の間に突撃していった。

「ちょっとアンタら、何してんスか!」

「きっ―、っ…お前こそ、こんな所で何やってんだ!」

ひらりと笠松を庇うように唐突に現れた広い背中に笠松は危うく黄瀬と呼びそうになって寸でで言葉を飲み込み、そっくりそのまま言葉を返してやる。
変装用か、黄瀬は特徴的な髪色と涼やかな眼差しを帽子と眼鏡の下に隠していた。

いきなり割って入った黄瀬に不良の一人が、「お前も仲間か!」と叫ぶ。

「はぁ?仲間?何のっスか…?」

話の見えない黄瀬はちらりと笠松を振り返り、説明が欲しいと眼差しで訴える。
不良の口振りからただ笠松が場当たり的に絡まれたのではないと黄瀬は何と無く察知した。

「クソッ、てめぇもしらばっくれるつもりか!」

「はぁ?しらばっくれるも何も何言ってんのか意味不明なんスけど」

「馬鹿!お前は黙ってろ!余計ややこしくなんだろがっ」

笠松から話を聞く前に何だが不良達の怒りが黄瀬の発言により振り切れそうになっているし、黄瀬は何故か笠松から軽く背中をどつかれた。

「いたっ、何すんスかセンパイ!せっかく助けに…」

「火に油を注ぎに来たの間違いだろうが。ったくてめぇは…自分の身は自分でどうにかしろよ」

くっと前を見ろと顎をしゃくられ、前へと視線を戻した黄瀬は怒りのメーターを振り切った不良達と対面した。

「どこまでも虚仮にしやがって!虹村の前にまずてめぇら二人ボコボコにしてやるっ!」

「えっ…、にじむら?」

その台詞を合図に黄瀬と笠松に不良達が襲いかかってくる。
にじむら、虹村とどこかで聞いた覚えのある名前に黄瀬は首を傾げながら、殴りかかってきた不良の足を払った。バランスを崩した不良の顔面へと追撃するように肘打ちを打ち込み、流れるように次の敵へと長い足を一閃させる。
分けも分からぬまま喧嘩に参戦した黄瀬は呟くように吐き捨てた。

「今時ストリートファイトなんて流行らないっスよ」

言いながら一歩後ろに下がれば約10cm下にある頭が後頭部にぶつかる。

「はっ…ンなことアイツらに言ってやれよ」

二人は自然と背中合わせになり、それぞれ前方の敵を鋭く睨み据える。

「おい、分かってんな?エースが暴力沙汰で停学とか笑えねぇからな」

「そっちこそ、キャプテンが喧嘩で部活動停止なんて洒落にならないっスからね」

「生意気。けど、怪我だけはすんじゃねぇぞ」

「そう言うセンパイもね」

どうしてこうなったのか余計なことは一旦横に置いて、背中合わせの二人は強く地面を蹴った。



15.
殴りかかってくる不良の拳を受け止め、腕を掴み返すと笠松はするりと懐に潜り込み、一本背負いの要領で軽々と不良を投げ飛ばす。その巻き添えで数人が下敷きになったが知ったこっちゃない。続いて、足元を狙ってきた不良の足をひょいっと身軽に跳んで避けると後ろを見ずにそのまま後方へ上段回し蹴りを放つ。
ぎゃぁっといちいち大袈裟に叫ぶ不良の声に眉をしかめて笠松は視界の端で黄瀬の姿を捉える。

黄瀬は無駄な動きなく、襲いかかってきた不良の拳を受け流すとその腕を背中で捻り上げ、他の不良達に向かって男を突き飛ばす。突き飛ばされ体勢を崩した不良は仲間数人を巻き込んで顔面から地面に突っ込んだ。そして黄瀬は次に殴りかかってきた不良をするりと半身になってかわすと、その膝裏に靴底を叩き込む。

「はっ…やるじゃねぇか」

バスケの時とはまた違う冷々とした琥珀色の双眸に、妙な色気が黄瀬から立ち上る。
黄瀬の心配は一ミリもしていない笠松は、容姿が整っている奴はこんな場面でも絵になるんだなとすっとぼけた感想を抱いた。
笠松の姿にちらりと目線を走らせた黄瀬もまた場違いなことを思っていた。

「武術なら何でもありっスか…」

そんでもって闘ってる笠松センパイも格好良いっスね。これがまた胴着姿とかだったら様になって…凛々しいに違いない。

コイツらは何度同じことを繰り返せば気が済むのか。今回は黄瀬がいるが、笠松と黄瀬に返り討ちにあった不良達が地面の上に転がる。
その場に立っているのが自分と黄瀬だけになったのを確認して笠松はリーダーらしき人物の傍らで片膝を付く。

「虹村の居場所を知りたいのはこっちも同じだ。見つけたら教えてやるから、俺を見つける度に襲撃してくるのはいい加減やめろ」

「っ…お前は…虹村の仲間じゃないのか?」

「違うって何度も言ってんだろ。それと、間違ってもアイツには手ぇ出すなよ」

今日は見逃してやるがと、黄瀬を指してアイツと言った笠松の視線に威圧感が加わる。
瞬間、ピリッと張り詰め重くなった空気に笠松の本気度を感じとったリーダーはヒッと小さく息を呑む。

「返事は?」

「っわ…、わ、かった」

リーダーの返事によしと頷き、立ち上がった笠松の元に荷物を拾いに離れた黄瀬が戻ってくる。それと同時にバタバタと人の駆けてくる足音、警察だと言う声が段々と笠松達のいる路地に近付いてくる。

「行くぞ」

「っス…」

短い言葉と目線だけを交わし、笠松と黄瀬は同じ方向に走り出す。
裏道を抜け、表通りに出て、そのまま人混みに混じる。いくらか離れた場所まできて走るペースを落とし、肩を並べて何事もなかったかのように歩き出す。
楽器店に入った笠松にくっついて黄瀬も店の中に入り、そこでようやく黄瀬が口を開いた。

「で、センパイ。さっきのは何だったんスか?」

誤魔化されないっスよ、と隣から見下ろしてくる黄瀬に笠松は巻き込んだというか、勝手に飛び込んできた…純粋に笠松を守ろうとした黄瀬の思いを汲んで、仕方なくかいつまんで正月の一件を話す。
口を動かしながら笠松はギターの弦を選んでいた。




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