誰を敵に回したか(笠黄)


「今時ストリートファイトなんて流行らないっスよ」

言いながら一歩後ろに下がれば約10cm下にある頭が後頭部にぶつかる。

「はっ…ンなことアイツらに言ってやれよ」

二人は自然と背中合わせになり、それぞれ前方の敵を鋭く睨み据える。

「おい、分かってんな?エースが暴力沙汰で停学とか笑えねぇからな」

「そっちこそ、キャプテンが喧嘩で部活動停止なんて洒落にならないっスからね」

「生意気。けど、怪我だけはすんじゃねぇぞ」

「そう言うセンパイもね」

どうしてこうなったのか余計なことは一旦横に置いて、背中合わせの二人は強く地面を蹴った。





1.
キセキの世代、黄瀬 涼太。
キセキの中じゃ一番下っぱだなんだと言い続けて、なついた相手にはとことんなつきまくり、邪険にされてもまず本気で怒ったりはしない。
モデルとしてもちょっと小生意気な感じで、それでも許される甘さを併せ持っていた。

そんな黄瀬をバスケットボール選手としてスカウトし、獲得したのが神奈川にある私立海常高校だった。
そして海常高校の男子バスケットボール部主将を務める三年 笠松 幸男は新入生に自己紹介をさせていた折り、左耳にピアス、髪色は黄色とチャラチャラと軟 派そうな笑顔で聞いてもいないことをべらべらと喋り始めた新入生…黄瀬 涼太へと教育的指導という名を被せて思い切り蹴りを繰り出した。

「チャラい!」

「っわぁ…!」

次の瞬間、黄瀬は盛大に体育館の床の上へと転がる。しかしその些細な流れの中で笠松は誰にも気付かれぬほど密かに眉をしかめた。
傍目から見て笠松が不意打ちで繰り出した蹴りは綺麗に黄瀬に決まった…ように見える。が、蹴り付けた笠松は自分の蹴りの威力が上手いこと黄瀬に受け流されたことに一瞬で気付いた。

痛いっスと、バスケは俺の方が上手い、年上がどれだけ偉いのかなど不平不満を垂れる黄瀬を笠松はジッと見つめ返し、鋭く薄墨色の双眸を細めた。

…こいつ、出来る。

笠松が抱いた黄瀬の印象が、チャラいと生意気から得体の知れぬ者と新たに付け加えられた瞬間でもあった。
その日より笠松は黄瀬に教育的指導が必要になった時は遠慮なく黄瀬をシバくことに決めた。

こんなことでへこたれるタマじゃねぇだろ。それだったらまだ可愛いげがある。



2.
同時に黄瀬も笠松に興味を持ち始めていた。
何たって自分はスカウトされて海常のバスケ部に入ったのだ。
それなのにそのバスケ部の主将がいきなり蹴りを繰り出してくるなんて、誰がそんな歓迎の仕方すると思うだろうか。絶対誰も思わない。あの場にいた面々は、監督も含めて皆一様にぎょっとした顔でこちらを見ていた。

風を切って繰り出された蹴りは鋭く威力もあり、当たったら普通に、というより、めちゃくちゃ痛そうなの。
不意をとられたからといって普段なら避けられるのに、あの一撃は避けることが出来なかった。あの場で黄瀬が出来たのは何とか力を受け流すことぐらいだった。

…あのセンパイ、多分喧嘩とか強いっスね。

久々にヒヤリとさせられた。
それからも部活中に悪ふざけをしたり、仕事以外でサボったりすると、センパイからシバかれるようになった。
だけどまだセンパイは底を見せてはくれない。

俺ほどじゃないけどバスケも上手くて、喧嘩も強そうなセンパイ。
上部に騙されずに俺自身を真っ直ぐに射抜いてくる薄墨色の瞳。退屈かと思われた高校生活を一瞬で吹っ飛ばしてくれた。
気になって仕方がなく、最近ではよく笠松の姿を目で追っていた。



3.
その言動から相変わらずチャラい印象を与えてくる黄瀬だが、笠松は黄瀬の本質は違うんじゃないかと薄々感じ始めていた。
確かに成りは派手だが、 中身は用心深く慎重だ。
頭の回転も本人が言うほど悪くはなく。むしろ良すぎるぐらいなんじゃないかと笠松は疑っていた。
特に黄瀬の突出した模倣という能力は、相手の動きをこと細かく観察して、分析したのち、如何に自分の身体を使って再現するかだ。脳みそをフル回転させて、一ミリのズレも無く完璧に。微細に渡って気を配らなければ呆気なくそれは失敗に終わるだろう。

また、模倣を得意とするならば人間観察もお手の物だろう。その上、モデルとして大人社会に出ている黄瀬が自分を取り巻くぎこちない人間関係に気付いていないはずがない。
黄瀬はそれを改善する気がないのか、はたまた面倒臭いのか、こちらを嘗めているのか、一向に海常バスケ部に馴染もうとはせず部員達との間に横たわった溝は埋まりそうにない。レギュラー陣を除いた部員達からも、今のところ黄瀬に歩み寄ろうとする気配はない。

「この調子じゃ来週の練習試合…もしかしたら負けるかもな」

机に頬杖を付き、先程から視界の端でちらちらとうっとうしいぐらい眩しい黄色い頭を窓ガラス越しに見下ろす。
黄瀬のクラスは今の時間体育かと、グラウンドを走る黄色い頭を何とはなしに眺め呟いた。



4.
海常高校バ スケ部が東京の新設校、誠凛高校バスケ部を招いて来週の土曜日に調整試合という名の練習試合をすると放課後の部活動中にセンパイから聞かされた。

セイリン高校、何処かで聞いた覚えがあるなと首を傾げていたら、いつの間にか話し半分になっていたらしくセンパイから容赦無く拳が飛んできた。

「聞いてんのかてめぇ!」

「聞いてなかったっス」

正直に答えたら、肩に一発拳を食らった。
何て理不尽。

「お前が人の話を聞いてねぇからだろうが。自分の事を棚に上げて何が理不尽だ」

「あれ?声に出てたっスか?」

「バッチリな」

それでお前は来週の誠凛高校との練習試合には出さない方針だと、監督の意向をセンパイから教えられた。でも。

「何でそれを俺に言うんスか?」

そんなもの試合の当日に言えばいいことだ。センパイが今、わざわざ俺に伝えることでもない。
訝し気にセンパイを見つめ返せば、センパイはあっさりと口を割った。

「生意気な態度は別として、お前がバスケ選手として凄いのは知ってる。でも、身内同士の紅白戦と対外試合じゃ違う」

対外試合でのお前を見ておきたいと、センパイは何処か企むような顔をした。

「まぁ、お前は試合には出してもらえねぇがな」

ふっと口端を吊り上げ言うだけ言って、センパイは背中を向けて休憩の終わりを告げた。
それってつまり練習試合に出たければ自力で何とかして出ろということか。
分かりにくい挑発に、やってやろうじゃねぇかと意気込んだ瞬間に、記憶の彼方に埋もれていたセイリン高校という引っ掛かっていた名前を思い出した。

「たしか、あそこには…」

中学時代、同じバスケ部に所属していた同級生がいた気がする。影が薄いという特性を活かした、パス回しのスペシャリスト。幻の六人目。黒子 テツヤ。

「…よし、決めた!黒子っち下さいって言って、挑発して来よ」

それで黒子を貰えれば一石二鳥。貰えなければ、貰えないで構わない。
相手の高校が黄瀬の挑発に乗って黄瀬を試合に引き摺り出してくれさえすればいいのだ。

センパイが自ら俺を見たいと言ったのだから。
勝手に人の視線を奪って夢中にさせておきながらセンパイだけが目移りしてんのはフェアじゃないっしょ。
その目に俺のこと焼き付けてやるっスよ。他に目を奪われてる暇がないくらいに。

センパイの背中を見つめ、琥珀色の双眸を鋭く細めた。
翌日の放課後、黄瀬は仕事と嘘を吐いて東京にある誠凛高校に突撃をかました。



5.
クロコッチというのが人間だと、黄瀬の目線の先にいた水色の頭を見て初めて理解した。
後にそれが黄瀬の付けた愛称だと知って、自分がセンパイで良かったと密かに安堵した。

だが、今はそれよりも。
目の前で破壊されたリングに誠凛高校の火神という一年坊主を見やる。
バスケをするのに身長も跳躍力も力も申し分無く、パッとみ黄瀬と同格ぐらいか。そして…

「今年の一年坊主はどこも可愛げがねぇな」

黄瀬を試合に出す為に黄瀬を焚き付けたのは俺だが、試合に出る為に火神達を挑発したのは黄瀬だ。それをリングを壊す形で返されたのならこちらも相応の形で返してやらなきゃ気がすまねぇ。
笠松は黄瀬に目線を送り、リングに向かって顎をしゃくる。

全面コートを使い、再開した試合で黄瀬は笠松の指示通りリングにボールを叩き込んだ。
けれども火神のようにリングを壊すまでには至らず、ムッとして笠松は黄瀬を蹴りつける。

「俺は壊せっつったんだ!」

「えっ、いや、無理っスよ!」

そもそも壊したら誰が弁償するんスか。と、黄瀬にしては現実的なことを言い、笠松は仕方なく押し黙った。
それからは火神と黒子の一年コンビ、誠凛の二年の連携を前に不和を抱いていた海常は二点差を持って敗北を喫した。
そして笠松はいつも通りに、初めて負けを経験してコート内で悔しさに涙を溢す黄瀬をげしりと容赦無く蹴りつける。

「負けたことがねぇって方がおかしいんだ」

びくりと身体を揺らして振り向いた黄瀬を射抜くような眼差しで見上げ、握った拳で黄瀬の胸をどんっと強く叩く。

「そのスッカスカの辞書にリベンジって言葉、入れておけ!」

初めて味わう敗北に、悔しさと怯えにも似た感情を宿す琥珀色の双眸を真っ直ぐに捕らえて見据える。
普段の生意気な態度はどうしたと、目で告げて踵を返す。

お前はこんなとこで、へこたれる奴じゃねぇだろう。
整列を促す声に足を動かせば、背後で微かに吐息を吐き出す音がした。

「…リベンジ、するっスよ」

当然だと言う言葉はあえて口にしなかった。
黄瀬自身の口から次を望む、生意気な声が聞けたことでとりあえずは良しとしておく。
ここは百戦百勝を掲げる帝光じゃねぇんだ。そしてお前ももう帝光の黄瀬じゃない。公式戦は別として、負けが絶対に許されねぇことなんかじゃねぇってことも覚えておけ、バカ。負けたからって怯える必要もねぇし、悔しさは次に勝つ為に 必要な物だ。

「黄瀬」

「…なんスか?」

「顔、不細工になってるぞ。水道で顔洗って来い」

笠松は言いながらパイプ椅子の上に置いてあった黄瀬の真っ白いタオルを投げ渡す。黄瀬は珍しく反論することもなく、そうさせてもらうっスと言葉少なに体育館を出て行った。



6.
薄墨色の真っ直ぐな双眸が瞼を閉じても頭の中から離れない。
その時すでに奪われた視線は返らない予感がしていた。

黄瀬は教室の窓から渡り廊下を見下ろす。屋根に隠れて顔は分からないが、上履きの色から多分三年の男子生徒と男子バスケ部の主将が渡り廊下で立ち話をしていた。教科書を手に持っているあたり、移動教室へ向かう途中なのだろう。

「はぁー…、やっぱセンパイは理不尽っスよ」

溜め息を吐きながら思い起こすのは数日前。
初めて経験した敗北。胸の奥から込み上げてきた悔しさ。勝負に負けたら失う存在意義。
帝光中バスケ部で植え付けられた絶対主義。勝つことが全てであり、負けた者は切り捨てられ、見放される。
そこから派生した微かな怯え。
全てを一瞬であの目は捕らえてきた。黄瀬の中に凝っていた負の感情を、さらりと言葉と拳で浚っていってしまった。叩かれた胸に残されたものは悔しさと次への挑戦権。

リベンジという言葉はしっかりと黄瀬の中へと刻まれた。こちらを睨むような強い眼差しと共に。

「あんなん卑怯っスよ。俺が目を奪われてどーすんだ」

自分がやりたかったのはその逆だ。センパイの目に俺を焼き付けさせる。俺がやられたことをやりかえしたい。
とにかく今はそれと、無性にバスケがしたかった。

「もう負けるのは嫌っスからね」

窓越しに見えるセンパイの横顔を見下ろし、アンタにももう負けねぇしと一方的に黄瀬は呟いた。
そこに含まれる感情の意味は漠然としたまま、黄瀬は次の授業を受ける為に窓から視線を外した。



7.
誠凛高校との練習試合に負けて以降、どこか気の緩みのあった海常バスケ部の空気は引き締まり、部員達は更に熱を入れて部活に取り組むようになった。その筆頭がチャラチャラしていた新入部員の黄瀬であることに周囲は驚いていたが、笠松は一人 、まぁこんなもんだろうと満足気に頷いていた。

何てことは無い。黄瀬はあれでいて結構な負けず嫌いだ。でなければ笠松の挑発にも乗らなかっただろうし、笠松の無茶とも言えるリングを壊せという指示にも従わなかっただろう。常に涼しげに見えていた生意気な態度の根っこの部分がぽろりと出てきただけだ。

放課後は部活が終われば後は自主練をしたい者だけが体育館に残る。レギュラー陣はもちろん控えの選手も、まだ練習し足りない部員は残って自主練に励む。
大体最後まで体育館に残っているのは笠松と黄瀬だ。

「センパイ、1on1して欲しいっス」

部員があらかた帰り二人きりになると黄瀬は決まって笠松に1on1を申し込んでくるようになった。
初めの内は何か裏があるのかと、申し込んできた割りには挑発的過ぎる眼差しに笠松は訝しんでいたが、一回、二回と相手をしていく内に自分もその眼差しに感化されてニヤリと笑って黄瀬との1on1を受けて立つようになっていた。

キセキの世代だと騒がれるだけの実力もあって黄瀬はバスケ選手として笠松も素直に凄いと思う。勝敗は今のところ悔しいが黄瀬に傾いている。だが試合での経験値が低い分、笠松も負けっぱなしではない。

今日も今日とて挑むような眼差しに笠松は口角を吊り上げて応える。

「…いいぜ」

元より笠松は自分より強い相手は嫌いじゃない。共に切磋琢磨出来る相手がいてこそ成長出来るのだ。更にそこに少しだけ欲を足すならば、自分より強い相手を倒すのも好きだったりする。
中々に好戦的で笠松も根っからの負けず嫌いだ。

「ボール、どっちからにする?」

「センパイからで良いっスよ」

黄瀬と向かい合えば、かち合った琥珀色の双眸がすぅっと静かに研ぎ澄まされていく。試合中に見せる真剣な表情にゾクリと背筋が震える。
高揚する気持ちを抑え、冷静になれと笠松は気を引き締めた。
掌から落としたボールをその場でゆっくり三度ほど弾ませ、きゅっと小さくバッシュを鳴らし、無意識に弧を描いた唇を舐めた。

「はっ…、いくぞ」

腰を落とした黄瀬に、笠松は鋭くドリブルで切り込む。その動きに合わせて黄瀬も小さくバッシュを鳴らした。



8.
気付けば黄瀬は笠松と一緒にいることが増えていた。それ故なのか、キャプテンとエースだからか武内から直々にインターハイ予選の敵情視察をして来いと二人して送り出された。

「こういうのって普通マネージャーとかがするんじゃないんスか?」

休日にも関わらず海常高校指定の制服に身を包み、神奈川のインターハイ予選をしている会場へと向かう。
やる気もなく隣をだらだらと歩く黄瀬を笠松は軽く足で蹴り付けながら、面倒臭そうに答えた。

「うちにマネージャーなんていねぇよ。お前、入部してから今まで見たことあんのか?」

「……あれ?そーいえば、ないっスね」

でも何で?と小突くぐらいで力の無い蹴りをあえて受け止めて、疑問符を頭に付け笠松を見れば、笠松は前を向いたまま素っ気なく理由を教えてくれる。

「もう何年も前の話だ。当時バスケ部でレギュラーを張ってた男子部員と女子マネージャーが付き合ってたんだと。んで、大事な大会目前にして二人は派手な大喧嘩かまして、その影響か大会で男子部員はミスしまくり。メンタルやられて使い物にならねぇときた」

ここまで聞けば大体分かるだろと、肩を竦めた笠松にその映像を想像した黄瀬はうわぁ…と悲惨そうな声を出した。

「ま、そんなことが無くても今年は絶対マネージャーはとらなかっただろうけどな。特にお前をとるって決めた時点で」

「へ…?俺っスか?」

「なに間抜けな顔してんだ、一応モデルだろ。んな奴が入って来てまともなマネージャーがとれるわけねぇだろ。…お前目当ての女はお断りだ」

ちらりと睨むように見てきた笠松は本当に嫌そうに眉間に皺を寄せている。睨むように投げられた強い眼差しにどきりと心臓が跳ねる。

「そっ…れは俺のせいじゃ――」

「ただでさえ今も女子のギャラリーが煩くってしかたねぇのに。お前、あんま俺に近付くなよ」

その言葉を体現するように笠松は黄瀬から視線を反らし、心持ち黄瀬から離れていく。
笠松の言い分も分かるが自分の側を離れようとするその行動が気に入らなくて黄瀬はむっとして逆に笠松との距離を詰めた。

「それこそ不可抗力っスよ!俺のせいじゃないっス!」

「騒ぐな馬鹿!余計目立つだろ!」

バシッといつもの調子で肩を叩かれて黄瀬はホッと小さく安堵する。
痛いっスと叩かれた肩を左手で押さえ、黄瀬はあれ?と違和感を覚えた。

ホッとしたって、何だ?
叩かれて安心するっておかしいだろ、俺。そんな妙な性癖持ってないし。
はて?と首を傾げた黄瀬に鋭い声が飛ぶ。

「ボケッとしてんなら置いてくぞ」

いつの間にか足を止めていたらしい。何だかんだ言いながら五歩分先に立ち、待ってくれている笠松にへらりと黄瀬は表情を崩して、置いて行 ったら泣くっスからねと言い返し、さっさと五歩分の距離をゼロに戻した。



9.
神奈川でインターハイ予選が始まったということは、同時に他県でも予選が始まったということだ。ただ、海常高校が加盟している神奈川のバスケットボール協会と違い、東京都のインターハイ予選は加盟する学校数も多いことから四ブロックに分けられたトーナメント戦から始まる。そのトーナメント戦を勝ち抜き優勝した四校がリーグ戦へと駒を進め激突する。

神奈川の代表枠は二校だが、東京の枠は三校。
リーグ戦にて上位三位に入った三チームが夏のインターハイへの出場権を手にすることが出来るというわけだ。

「お前がちんたら飲み物なんか買ってるから始まっちまってんじゃねぇか!」

「いてっ…蹴らないで下さいよ」

インターハイ都予選Aブロック準決勝。
何故かまた黄瀬と共に神奈川から、今度は東京都のインハイ予選を観戦しに来た笠松は観客席に入るなり、始まっていた試合に眉を寄せてスコアボードを見た。

表示された数字は0対12という一方的な試合展開だった。

「え?…何してんスか誠凛は」

眼下で繰り広げられている試合を見下ろした黄瀬も眉を寄せて、悪態を吐く。
笠松は空いて いた観客席に腰を下ろすと誠凛の対戦相手を見やった。

「なるほど。正邦高校か…」

隣に座って呟きを拾った黄瀬は笠松へと視線を流す。

「センパイ、相手校、知ってるんスか?」

「知ってるも何も正邦は東京都の三大王者の一角だ」

正邦は秀徳高校と並んで北の王者と呼ばれる強豪校だ。
昨年まではその三大王者と呼ばれる秀徳、正邦、泉真館が毎年この大会を沸かせていた。

笠松の視線の先では、火神が思うようにプレイ出来ずにディフェンスに苦しめられている。
また伊月がシュートをしようとすると簡単に相手にカットされてしまっていた。

「この前やって思ったが誠凛は基本スロースターターっぽいな。けどそこで、その口火を切る役目の火神が封じられてるからこその展開だな」

「って、あーっ!何やってんスか火神っち!」

しかも悪いことに、抑え込まれている火神がチャージングを取られ、これでファウル2つ目か。ファウルは5回とられたら退場だぞ。その上、正邦のディフェンスは全員マンツーマンで、常に勝負所みたいに超密着でプレッシャーをかけている。

「正邦のディフェンスはちょっとやそっとのカットじゃ振り切れねぇ。いくら黒子のパスが凄くても、フリーがほとんどできないんじゃ威力半減だな」

「だからって、初っぱなからマンツーマンディフェンスなんてして最後まで体力持たないんじゃないんスか?」

「まぁ、そうだな。並みの選手ならな」

何か含むような言い回しに黄瀬が口を挟む前に、笠松は眼下へ目を向けたまま続けて言った。

「それが正邦はもつんだよ」

「どーいうことっスか?」

首を傾げた黄瀬にタイムアウトをとった誠凛から目線を上げて笠松は黄瀬に解説してやる。

「正邦は古武術を使うんだ」

バスケに古武術の動きを取り入れてる全国でも珍しい学校だ。その古武術が不屈の精神を育てるだけじゃなく無尽蔵なスタミナと堅固なマンツーマンディフェンスを可能にしている。

「その技術の一つに“ナンバ走り”ってものがある」

普通は手足を交互に振って走るが、ナンバ走りは同じ側の手足を振って走る。

「“ねじらない”ことで体の負担が減って、エネルギーロスを減らせるらしい。他にもふんばらずに力を出したり、タメを作らずに早く動いたり。基本動作に古武術を応用してんだ」

古武術云々と笠松から説明を聞き、黄瀬はへぇと感嘆した様な声を出した。

「よく知ってるんスね、センパイ」

「ま ぁな」

試合へと意識を戻した笠松の隣で黄瀬が呟くように小さく言葉を溢した。

「タメを作らず…か。それって予備動作なしで動けるってことっスよね」

センパイ、と話しかけられて笠松は何だとちらりと黄瀬に視線を戻す。

「俺、自慢じゃないっスけどこんな容姿だしモデルもしてるしで、今まで喧嘩とか色々絡まれたこともあるんスけど、それでも後れをとったことなんて一度もなかったんスよね」

いきなり何の話だと笠松は訝しげに眉を寄せ、黙って黄瀬の言葉が続くのを待つ。
今の状況と全く関係の無い話だったら即シバくと笠松は心の中で決める。

「だから入部初日にセンパイにシバかれた時、すっげぇビックリしたっス」

「あぁ…」

でも、笠松の蹴りの威力は黄瀬本人によって受け流された。
当時を思い起こして苦い顔をした笠松に黄瀬はきらりと双眸を光らせて、笠松の反応を窺うようにそっと唇を開く。

「センパイ、何か武道とか身につけてるっスよね?」

「…そういうお前こそ、ビックリしたって言うわりに俺の蹴り受け流したよな」

「そりゃそうっスよ!めちゃくちゃ痛そうだったじゃないっスか!」

「まぁアレでお前の指導方針決まったんだけどな」

「ちょっ、それって…!」

「お前がバカな真似したら遠慮なくシバく」

「やっぱり!俺ばっかりシバかれてるのは気のせいじゃないんスね」

不平等だと騒ぎ出した黄瀬はまたしても笠松に遠慮なくシバかれた。

「いっ、〜っ…」

でもそれって最初から俺だけが特別ってことっスよね?

「余計なこと考えてねぇで、試合観戦に集中しろ」

「はぁい」

笠松から視線を外し黄瀬は渋々と大人しく試合観戦に戻る。



午後からの試合を二試合観戦した後では流石に外はもう真っ暗で、小腹も空いてきた。黄瀬は帰り道に見つけたお好み焼き屋に笠松を誘って、二人仲良く入店してお好み焼きを焼く。

「センパイ、俺のとそれ半分こしましょ」

「あ?しょうがねぇな」

「とか言ってセンパイ、頼む時にこれとそれ迷ってたじゃないっスか」

「うるせー…いちいち見てんな」

むっとした表情を浮かべながらも半分ずつお好み焼きを交換し、笠松はお好み焼きを乗せたコテを口に運ぶ。
にこにこと笑って黄瀬はその様子を眺め、いつになくのほほんとした穏やかな空気が二人の間を流れた。
誠凛バスケ部の賑やかな集団が来店するまではその空気が破られることはなかった。



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