03
好きだと気付いて、けれど与えられる優しさが一時的なものだと知って、俺は自分で持ちかけた偽りの浅はかさに今、首を絞められていた。
携帯をポケットにしまい、俯いた俺に玲士さんが少し困ったような声を出す。
「もしかして嫌だった?」
「いえ…大丈夫です」
嫌じゃないから、嬉しいと思ってしまったからこそ躊躇いが生まれる。
「そう?じゃぁ少し早いけど帰ろうか。ここからだと時間もかかるし、夕飯の材料も買って行きたいから」
「はい」
玲士さんがもっと優しくない人だったら。
持ちかけた俺の話を一笑してくれるような人だったら、…良かったのに。
右手をとられ、車を停めた駐車場まで歩く。
まるでエスコートするように助手席のドアを開けられ、手にしていた荷物はするりと浚われ後部座席に置かれる。
間を置かず運転席に乗り込んだ玲士さんはキーを差し込みながら話しかけてきた。
「夕飯は何にしようか?晴海君、好き嫌いは?」
「特に無いです」
「そう。…それと敬語。また戻ってる」
「あ、ごめんなさ…」
謝ろうとすればシートベルトを止めようとしていた手が横から伸びてくる。頬に触れたその手にびっくりして俺は思わず後ずさった。
「なっ―!ちょっ、玲士さん?」
「何かお昼を食べてる時から様子がおかしいなとは思ってたけど、どうした?」
「どうって、別に何もないです!」
頬に触れられただけで何でこんなにどきどきしてるんだよ、俺。
さっきまで普通に手、繋いでたじゃんか。
「本当に?」
そっと頬を撫でるように動いた指先に肩が震える。じわりと赤みを帯び始めた顔を縦に振り、俺は顔が赤くなるのを懸命に堪えた。
「本当に」
だから早くこの手を離して欲しい。
俺の願いが届いたのか玲士さんの手は直ぐに離れていく。
「今はあまり深く追求しないけど、何か言いたいことがあったら言うんだよ。いいね」
「…うん」
前に向き直り、シートベルトをしてエンジンをかけ始めた玲士さんにホッと息を吐く。
そして、安堵の息を吐くにはまだ早かったと知るのは後になってからだった。
ショッピングモールを後にし、途中で寄ったスーパーで夕飯の材料を買う。
好き嫌いはないといった晴海に、今夜の夕飯は手軽に鍋にすることに決めた。
どうにも朝からぎこちない雰囲気の晴海に気付いてはいたが、スーパーで買い物を終え、車を出して暫くしてから聞こえてきた寝息に玲士はちらりと助手席に視線を投げた。
「この前のキスが効いてたか」
あからさまではなかったが、今朝迎えに行った時、晴海が何を気にしていたのかは薄々気がついていた。
「可愛いやつ」
赤信号で止まり、ハンドルから離した左手ですやすやと無防備に寝息を立てる晴海の頬に触れる。
先程は思いきり退かれたが、晴海に嫌がってる様子はなかった。
「それに…意外と待たなくて済みそうだな」
クツリと喉が鳴る。
薄く開いた柔らかな唇に指先で触れて、手を離す。
青に変わった信号に視線を前に戻してアクセルを踏んだ。
流れる景色に瞳を細め、上々だったデートの中身を思い返す。
そして晴海が執拗に気にしていた恋人の存在に口許を緩めた。
「この調子だとまだ分かってねぇな」
俺が見合いを受けた意味。
お前が持ちかけた偽りに手を貸してやった意味。
そして…、男が服をプレゼントするその意味。
車は寄り道をすることなく玲士の自宅へと向かう。
玲士の自宅はマンションでは無く、高級住宅街の一画に立つ庭付き一戸建てでガレージも備えていた。
見えてきた自宅の外観にふっと口端を吊り上げる。
「ここまで来たらもう引き返せねぇぞ、晴海」
一番危険な男と一緒にいることに気付かず、晴海はただすやすやと無防備に助手席で寝息を立てていた。
END.
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