04
じわじわと立浪から与えられた熱は本人が気付かぬままにゆっくりと神楽の中に浸透していた。
授業が終わり、人の出入りも多い昼休み。神楽は購買の袋を片手に提げ、屋上に向かって廊下を歩いていた。
その途中で珍しく立浪の姿を見つける。自分とは正反対で、背も低く可愛らしい小柄な生徒達に囲まれていた。
「立浪先生〜、お昼一緒にどうですかぁ?」
「あぁ?食うなら勝手に食堂にでも行け。俺は今忙しい」
生徒達に囲まれた立浪は不機嫌そうに生徒達を散らしている。それでも諦め悪く立浪を誘う生徒と、相手をする立浪の姿に神楽は何だか胸が苦しくなるのを感じた。
いつの間にか止まっていた足をのろのろと動かせば、不意に立浪の目がこちらを向いてばちりと視線が絡む。けれども神楽は顔を背けて、立浪の側を無言で通り過ぎた。
「…堂島」
「ん?あぁ神楽か」
急いで階段を昇り、屋上へと繋がる扉を押し開けば、そこには仲間の一人、堂島がいた。
「虎野達は?」
「アイツ等なら購買行った」
「…そう」
給水塔の壁に背を預け、片膝を立てて座る堂島から少し離れた場所に神楽は座る。
がさがさと袋の中から紙パックを取り出してストローを刺す。
「神楽、お前大丈夫か?」
「何が?」
不意に投げられた言葉に神楽は堂島に目を向ける。
「何かあっただろ。痛そうな顔してるぞ」
真剣な眼差しを向けてくる堂島は仲間内でも一番落ち着きがあり、信頼を寄せられている。その気質のせいか、神楽は迷いながらも堂島にぽつりと溢す。
「アイツが…俺以外の奴を構ってた。何かムカつく」
「あ?」
一瞬驚いた表情を浮かべたものの神楽の唐突な言葉にも堂島は落ち着きを取り戻して静かに返す。
「深くは訊かねぇけど。いつの間にかお前にもそんな相手が出来てたのか」
「そんな相手…?」
「自分以外の人間を構ってたら俺だってそう思うぜ。自分以外を見て欲しくねぇって思う時もある。けど、だからって何をしても良いわけじゃねぇ。それも分かるから見てるだけのこっちは堪らなくなる」
実感の籠った堂島の言葉に神楽は自分が感じた気持ちは普通のものなんだと相槌を打つ。
「ん…でも、アイツ、俺以外の人ともキスとかしてんのかな」
「は…?」
「アイツ、俺と会うたびキスしてくるんだ。だから他にもしてたら嫌だなって…」
「お前ら何やってんだ」
今度こそ驚いた表情を浮かべたままに堂島は神楽の顔を見る。
「やってるのは俺じゃなくて向こう…」
と、言い掛けた言葉に扉の開く音が被さってきた。
購買に行った虎野達かと振り向き、神楽は大きく目を見開く。
「何で…」
「――来い、神楽」
低い声で呼ばれて、神楽は条件反射のようにふらりと立ち上がった。
同じ様に驚く堂島に、立浪は一瞥をくれただけで歩み寄って来た神楽の腕を掴むと屋上を出て行く。
「…社会科の立浪?まさか神楽の相手って」
堂島の呟きは誰にも聞かれることなく広い空へと吸い込まれた。
腕を掴まれ連れて来られた先は、放課後に訪れたことしかない社会科教諭室。
先に室内に入るように掴まれた腕をやや乱暴に離され、背後で鍵が落とされる。ここに来るまで一度も振り返らなかった背中に、神楽が振り向こうとすればそれより先に振り向いた立浪に扉へと身体を押し付けられた。
「っ…立浪?」
ジッと無言のまま鋭い眼差しで見つめられ、神楽も思わず立浪を見つめ返す。
「何て顔してんだお前は」
「え…?」
「チッ、思わず追い掛けちまったじゃねぇか、この俺が」
「言ってる意味が分からないんだけど…」
「お前は一度自分の面を鏡で見てみろ」
「朝見て来たけど?」
どこまでも惚けたことを言う神楽に立浪は再び苛立ったように舌打ちをした。
そして、何の前触れも無く神楽の唇に噛み付く。
「んっ…!?」
驚いて開いた口の中へ舌を滑り込ませ、立浪は神楽の舌を絡めとった。
「んんっ…ン…」
いつもより性急な立浪の行為に神楽は戸惑いを隠せずに立浪のスーツの裾を掴む。
「ん…ぁ…」
鼻から抜けるような甘い声が零れ、とくりと神楽の鼓動が震える。
それを皮切りにしたように、どくどくと今まで感じたことのない感情が胸の奥から広がり始める。
いきなりふって沸いた熱に神楽は戸惑って立浪の腕を掴んだ。
「ン…待っ…て!」
かぁっと沸騰するように顔に集まる熱に、神楽は立浪を引き離そうと掴んだ腕に力を入れ引き剥がす。
けれども立浪は離れてくれずに口付けを深めながらひっそりと囁いた。
「――今さら逃がさねぇよ、康介」
それも不意打ちで下の名前で呼ばれ、神楽はどうしようもない気持ちに駆られる。無意識に、立浪を引き剥がそうとしていた手で逆に立浪を引き寄せていた。
「ふ…ッ…ン…」
いつもと違う口付けの感触にちりちりと胸の奥が熱い。
「ン…ぁ…っ立浪…」
意識の外で立浪に身を預け、あぁそうか…と熱くなる心と身体に神楽はようやく自分が抱いていた気持ちに気付く。
毎放課、社会科教諭室に足を運んでいた意味をはっきりと自分で自覚した。
銀糸を引いて唇が離れた瞬間、甘い吐息と一緒にその言葉は神楽の口からするりと零れ落ちた。
「立浪が…好きだ」
だからアンタが他の奴に構ってる姿を見て、もやもやとした気持ちにさせられた。
「俺はアンタが好きなんだ」
熱が滲んだ瞳で神楽は立浪を見つめ返す。
するとその視線の先で立浪はニヤリと口角を吊り上げた。
「当然だろ。俺以外誰を好きになるつもりだ」
清々しいまでに言い切られて神楽は気が抜けたように表情を崩す。
「なんだそれ…」
「事実だろう。もう泣きそうな面すんじゃねぇぞ。それは俺だけに見せろ」
「そんな顔してない」
「してなきゃ俺が捕まえに行くかよ」
再び近付けられた唇に神楽は小さく口許を綻ばせた。
夕陽が西の空を茜色に染める頃。
校舎裏から姿を現した神楽は渡り廊下から校舎の中へと上がり込む。
「……」
静まり返った廊下を歩いていれば向かい側から足音が聞こえてきた。
何だか覚えのある展開に神楽は足を止めてみる。
すると前方から歩いてきた人物は不機嫌そうに神楽の前で足を止めた。
「お前はまた何処で油を売ってんだ」
「…立浪」
近付いてきたのは立浪で、ジロリと見下ろされて頬に触れられる。
「誰が怪我をしていいって言った」
「あ…」
立浪の指先がなぞった頬からぴりりとした痛みが走る。
喧嘩相手の拳が掠めた時にでも出来た傷だろう。
「来い、神楽」
頬に触れていた手が神楽の腕を掴み強引に引っ張って行く。それに逆らう気もなく神楽は立浪の後に着いて行った。
そして、鍵が落とされる。
辿り着いた場所はお馴染みとなった社会科教諭室だった。
「座れ」
有無を言わせぬ眼差しに神楽は定位置と化している椅子に腰を下ろす。
その前に立った立浪は身を屈めると片手で神楽の顎をすくい上げた。
「俺以外に痕なんかつけられてんじゃねぇよ」
そう言って立浪は神楽に顔を寄せてきて、何をするのかと見つめていた神楽の頬をべろりといきなり舐めてきた。
「っ…」
傷口に触れた舌の感触に神楽はびくりと肩を揺らす。
「痕なら俺がつけてやったので十分だろう」
至近距離から瞳を覗き込まれて、立浪の指先が神楽の首筋に下りてくる。
「それともお前はそれだけじゃ足りねぇか」
「…っ、十分足りてる」
首筋に付けられた赤い痕をなぞられ、神楽はゾクリと身体を震わせる。
はっと息を吐いて目元を赤く染めた。
その様子に立浪はそうか?と妖しげに瞳を細めると神楽の目元に口付けた。ちゅっとリップ音を立てて離れていった唇が甘く緩む。
「康介…次からは売られた喧嘩は無視しろ。俺といる時間が減るだろ」
「そんなことしたら俺が嘗められる。それに…あと少しなんだ」
決意を秘めたような強い眼差しが立浪の心を射抜く。
「あと少し、喧嘩を許してくれれば堂島がこの学校にいる不良共の天辺に立てる」
そうしたらもう喧嘩を売られることも減って俺は立浪と好きなだけ一緒にいられる。
何も考えて無いようで、しっかりと考えていた神楽に立浪は虚を突かれた顔になる。
「康介…」
「俺だって立浪と…隆秋と、一緒に居たいと思ってる。…もっと側に居たいって」
神楽は椅子から腰を浮かせ、身を屈めた立浪の背中へ自ら腕を回して抱きついた。
直ぐに立浪に抱き返されて、耳元で甘く囁かれる。
「可愛いことを言うな。もっと言ってみろよ康介」
「っ…」
「今なら何でも聞いてやるぜ」
かじりと耳朶を噛まれて、神楽の肩が跳ねる。
「…このまま暫く抱き締めて、好きって言って欲しい」
「それだけで良いのか?」
「ん、今のところは…」
欲の少ない神楽に、立浪は喉の奥で笑って、要望通り神楽の鼓膜を震わせる。
「俺の康介…愛してるぜ」
「っ…!」
「サービスだ」
そう言って立浪は赤く染まった神楽の耳に口付けた。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
神楽の望んだ暫くは、立浪の基準で離されないままに。神楽は立浪の腕の中で嬉しそうに頬を緩めた。
end.
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