04


翌、食堂が一番混む昼の時間帯に俺は約束通り食堂へと足を踏み入れた。
ここに来るのは実に何十日振りか、姿を見せた俺に食堂中の視線が気のせいではなく集まる。

ざわざわと煩わしい雑音と視線を無視し、食堂の奥へと足を進めれば案の定生徒会専用の席に奴等がいた。

「規則も守れないのか」

低く吐き捨てられた台詞をうっかり側で聞いてしまった生徒はサァッと顔色を蒼白にし固まる。
今はもう不愉快でしかない存在から視線を外し、俺は迷うこと無く別の席に足を向けた。

その席もまた生徒会専用席と同じように隔離されており、生徒会席とは反対側に設置されている。そして誰もいないそのテーブルの椅子を引き、足を組んで座った。

「え、何で会長が風紀の席に!?」

「あれって委員長の…」

「嘘でしょ。だって龍ヶ峰様と旗屋様は犬猿の仲だって」

ざわりと耳を突く一際大きくなったざわめきとくだらない噂話は右から左に流す。

椅子に座ると直ぐさま側に寄ってきたウェイターが水を置くが、元から食べに来たわけではない俺は片手を振ってそのウェイターを下がらせた。

その時になって漸く奴等は周囲の空気が変わっていることに気付いたようで、空川がきょろきょろと辺りを見回していた。
その姿すら滑稽に思えて口許に酷薄な笑みが浮かぶ。

やがて奴等は俺に気付き目を見開くと顔色を変えた。…約一名を除き。
それが誰だかは言わずとも分かるだろう。

ガタンと勢いよく椅子を倒して立ち上がった空川は相も変わらず大きな声で俺の名を口にしようとした。

「あっ、ろ…!」

しかし、ガシャァンといきなり食堂の入口付近で発生した破砕音に掻き消される。
何事かと衆目の目を引いた先には学園内に限らず街でも不良達を率いていると噂の悪名高き男、三年飛鷹 誉(ヒダカ ホマレ)が人工の紅い眼光を鋭くさせ食堂内にいる生徒達をねめつけていた。

「どいつだァ、俺の下僕を使いものにならなくした空川って奴ァ」

大声で言ったわけでもない、深みのある声が食堂内に響く。
運悪く目が合ってしまった生徒はその身が放つ威圧感と殺気に喉をひきつらせ椅子から崩れ落ちた。

先程まで騒がしかった場は飛鷹の登場で面白いほどシンと静まり返っている。

「なるほどな」

予想外の大物の登場に俺は喉を震わせた。

「これ以上なく面白い演出だ。…やってくれたな旗屋。飛鷹を動かすとは」

尚も食堂内をねめつけながら足を進める飛鷹に俺は椅子に腰かけたまま静かに声をかける。

「飛鷹」

獲物を狙う鋭い眼差しが俺に向けられる。声をかけられた飛鷹は俺と視線を合わせると鋭かった双眸を僅かに緩めた。

「龍…」

その唇が俺の名を呼ぶのを遮り、目線で告げる。

「お前の捜し者はアレだろう」

ふと飛鷹の視線が俺から外れ、獲物を捉えた目は再びギラリと獰猛な光を宿した。

「あァ…てめぇかァ、空川。うちの下僕に手ぇ出してクズ同然にしたのは」

椅子から立ち上がっていた空川は向けられた熾烈な眼差しに体を震わせ、一歩後ろに下がる。

空気の読めなさはさすがに飛鷹を前にすると発揮出来ないらしい。正しくその身を恐怖で竦ませた空川はやっとの思いで震える口を開く。

「げ、下僕とかクズとかって、友達のことそんな風に言うなんて…最低だ」

顔色を悪くさせながらも自らの正論を持ち出した空川に飛鷹は口端だけで笑った。

「下僕は下僕、クズはクズだ。てめぇの物差しで測られる謂れはねぇ。ンなことより、この落とし前どうつけてくれんだ、あァ?」

投げ付けられた言葉に空川と同席していた役員達が顔色を悪くしながら、無謀にも口を挟む。

「こ、これだから野蛮な人間は。すぐ暴力行為に移ろうとする。そもそも友春がそんなことするわけないじゃないですか。証拠はあるんですか?」

「…そうだよ。春はそんなこと、しない」

空川から役員共に視線を移した飛鷹はその台詞を耳にして愉快そうに唇を歪めた。

「俺達が野蛮ならてめぇらは陰険か。陰でこそこそやってるクズに言われたかねぇぜ」

「何を言ってるのか意味がわかり…」

「それに証拠なァ…。ンなもん腐るほどあるぜぇ。なぁ、旗屋ァ?」

言いながら飛鷹はわざとらしくゆっくり背後を振り返る。
食堂の入口にはいつの間に来たのか口許に弧を描いた旗屋が右手にファイルを携え立っていた。

コツリ…と一歩、旗屋が食堂に足を踏み入れた途端食堂内は静まり返り戦々恐々とした空気が漂い出す。

「証拠は全て風紀で押さえました。後は…」

カツコツと静まり返った食堂の中、足音が俺の居るテーブルに近付いてくる。同時にピリピリと空気は張り詰めていった。
何しろ学園のトップ3と呼ばれる人間が公の場で集まるのは初めてのことだ。
生徒会長の龍ヶ峰、風紀委員長の旗屋、第三勢力の飛鷹。

裏返せば…今この時がどれだけ異常であるかを皆に知らしめていた。

足音は俺の直ぐ側で止まり、周囲にいた生徒達が息を飲む。痛いぐらいの視線を浴びながら旗屋は右手に持っていたファイルをテーブルの上に置き、中から抜いた紙を三枚テーブルの上を滑らせた。

「…龍ヶ峰、貴方のサインだけです」

目の前に滑り込んだ紙に視線を落とせば生徒会を除く各役員のトップと副の署名、捺印がそこにはズラリと並んでいる。
そして表題には生徒会長を除く生徒会役員のリコール申請及処罰についての詳細。二枚目には空川理事長の不正及び不信任案提出の旨。三枚目には空川 友春が学園において起こした事件とその経緯、編入経緯を調べた身辺調査書。

「全てを洗い出すのに少し時間がかかってしまいました。…後はどうぞ、貴方のお心のままに」

紙面に目を通し終えたタイミングで恭しく万年筆が差し出される。俺はその万年筆を迷うことなく手に取った。

「何を…」

そのやり取りに、意味が分からないまでも危機感を覚えた役員達が狼狽えた様に呟く。そもそもの原因である空川は初めて肌で感じた異常に、じりじりと襲いくる恐怖と焦燥に居ても立ってもいられず動いた。

「な、なぁ、狼!何だよこれ!俺達は何も…っわぁ!?」

抗議の為か俺の元へ駆け寄ろうとした空川はすぐ側に居た飛鷹に寄って床へと押さえつけられる。

「なぁに、あの人の名をテメェなんかが軽々しく口にしてんだよォ」

足を引っ掛け、前のめりに倒れ込んだ空川の背を飛鷹は持ち上げた右足で踏みつけた。

「うぐ…っ…、何…するんだよ!」

「あァ?何って躾だろォ」

「ひ、飛鷹!春から…離れなさい!そんなことして許されると思ってるんですか!?」

目の前で振るわれた暴力に青ざめた役員の中で唯一、副会長だけが果敢に飛鷹に食って掛かる。

空川へと向けられていた鋭い眼差しが副会長へと向けられ、唇が弧を描く。

「テメェが他の奴等にしてきたことを、自分等がやられた時だけ批難すンのか?ハッ、そりゃぁ都合良すぎなんじゃねぇのか。なァ?」

グッと言葉に詰まった副会長は顔を歪めると飛鷹から旗屋へ視線を動かし、睨み付けた。

「風紀は一体何をしてるんですか!こんな、野蛮な人間を野放しにして!春よりコイツを処分すべきでしょう!」

投げられた言葉に旗屋はゆるやかに、静かに冷笑を浮かべる。

「えぇ、それは貴方がたの処分が終わってからします」

「なっ…にを、処分すべきはそこの野蛮な不良だけだろう!」

思い通りにいかなくなって副会長は怒りにぶるぶると体を震わせると、怯みながらも飛鷹を指差し叫ぶ。
その時点で既に空川は飛鷹の纏う荒々しい空気に怯え、飛鷹に押さえつけられたまま身体を震わせる。書記や会計、空川の取り巻き達も皆異様な雰囲気にビクビクと恐れをなしていた。

騒ぐ副会長とは対照的に旗屋はどこまでも冷ややかな眼差しで飛鷹へ視線を流す。

「――飛鷹」

旗屋に名を呼ばれた飛鷹は鋭く瞳を細めると何か合図するように片手を上げた。すると、一般生徒達の座るテーブルの中から一人の小柄な生徒が立ち上がる。
それを皮切りにしたように数人の生徒が椅子から次々に立ち上がった。

「あそこにいる生徒達の面ァよく見ろ。テメェらも見覚えあンだろォ?なァ?」

目で飛鷹に促されて、ビクビクと空川の取り巻き達は立ち上がった生徒達の顔を見る。その顔を空川も何とか首を巡らせて見て、パッと表情を明るくさせた。逆に他の面々は顔色を悪くする。

「あっ、渉(わたる)!」

真っ先に空川に名前を呼ばれた小柄な生徒の表情は心無しか強張っている。

「忘れたとは言わせねぇ。奴等はテメェらが…」

「被害者か」

風紀から回された書類と立ち上がった生徒達の顔を眺めてすぐにピンときた。
呟くように口を挟んだ俺に飛鷹と旗屋の視線が集まる。

右手に握っていた万年筆を胸ポケットに挿し、殊更ゆっくり俺は椅子から立ち上がった。
一人ではなく、複数の被害者が出てきてしまっては副会長共も黙るしかないのか口をつぐむ。
もはや視界に入れる気すら起きないそれらには目を向けず、俺は真っ先に立ち上がった生徒、野々宮 渉へ目を向けた。

「野々宮、お前は確か空川と同室だったな」

「はっ、はい」

自分の名前を知られていたことに驚いたのか野々宮は言葉を詰まらせ、顔を赤くする。それに構わず俺は言葉を投げた。

「何か言いたいことはあるか?」

ジッと野々宮の目を捉えて問えば、野々宮は小さく息を飲み俺の目を見返して頷く。

「僕は…そこにいる副会長達や彼らの親衛隊に謂われなき暴力を受けました。同室の空川くんは僕が嫌がっても無理矢理腕を掴んで僕を色んな所へ強引に引きずり回し、そのせいで僕は授業に出れない日もありました」

「くだらない嫉妬に駆られた底辺の人間がやりそうな制裁です。…龍ヶ峰、報告に上がったのは彼だけではありません」

一旦言葉を切ると旗屋は食堂内を見渡す。そして、

「俺達はこの事実を持って証拠とし、貴方に提出します」

旗屋の報告を最後に食堂内はシンと静まり返った。



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