仰せのままに


とある一室。重厚な机を間に挟み、二人の少年が視線を交わす。一人は椅子に腰かけたまま、姿勢良く背筋を伸ばして立つ目の前の少年に向けて口を開く。

「それが巡って俺の助けになる」

「はぁ…、ーー分かりました。主の仰せのままに」

行儀作法のお手本の様に、机を間に挟んで立っていた少年が片手を胸に添え、腰を折って頭を下げた。

それから六年…。




バタバタと騒がしい足音がする。
生徒会室内にいた役員達はまたかと眉をしかめて、この後開かれるだろう扉を見た。

「っ、会長!助けて下さい!またっ…」

生徒会室の扉を開けて飛び込んできたのは生徒会副会長である。数ヶ月前の彼はこの様に乱暴に扉を開けて入ってくる事などなかった。彼は茶道の家元の跡継ぎらしく、品良く静かに扉をノックしてから入室してきていた。

その様子を生徒会長席に座って見ていた会長は、そろそろ限界かと腰を上げる。

「風紀委員はどうした?」

「それが、今日は何処にも見当たらなくて」

生徒会室に逃げ込んで来たのだと、会長の質問に副会長は疲れたように答えた。

「そうか…。少し出てくる。分かってるとは思うが鍵はかけておけよ」





昼休みが終わり、午後の授業が始まって程なくした頃。
バァンと音がしそうなほど、苛立った様子で一つの重厚な扉を男が開け放った。部屋の中で会議をしていた者達の視線が一斉に、何事かとその扉を開いた男へと向けられる。

「おい、何なんだ。あの歩く公害は。職務怠慢じゃないのか、委員長様よ」

視線を集めた男、本学園の生徒会長 源 義春(みなもと よしはる)は自分へと集まる視線を気にする事無く、舌打ちせんばかりの鋭い双眸を部屋の一番奥にある椅子に座る男へと投げた。真っ向からその鋭い眼差しを受け止めた、この部屋の主でもある男、風紀委員長 柏木 椎名(かしわぎ しいな)は口元を歪めると義春へと視線を返す。

「生徒会長といえど、勝手に風紀室に入って来るな。表に出ていた会議中の文字が読めねぇのか?」

「そんなもの見れば分かる」

ぴりぴりと空気が張り詰めていく。この学園に在籍するものなら誰もが知っている。生徒会長と風紀委員長の仲は最悪だ。また噂だが、この二人は中学時代に殴り合いの喧嘩までしたことがあるのだとか。学園内ではそう囁かれていた。

しかし、そんな顔も合わせたくないだろう相手、加えてその相手の本拠地に足を運んだのはどういう事だろうかと風紀委員達は己の長である風紀委員長と生徒会長のやりとりを緊張した面持ちで見守った。

「俺だって好きでこんな所に来たわけじゃない」

そう吐き捨てるように言い切った義春は椎名から視線を外さぬまま告げる。

「さっさとあの公害をなんとかしろ。うちの連中は野蛮なお前等の所と違って繊細なんだ。その内生徒会の業務に支障をきたす」

「それはお前の鍛え方が悪いんじゃねぇのか?そんなことまでこっちのせいにするな」

今はまだ軽微な被害で済んでいるが。ある日突然編入して来た一年は生徒会役員や風紀委員といった特権階級の人間に付き纏ったり、授業妨害は当たり前。学園の備品を壊すわ、親衛隊とも衝突を繰り返している。いくら外見が天使の様に可愛らしくとも、中身が伴っていなければその魅力も半減どころか、厄介なものでしかない。

「だったら、さっさととっ捕まえて反省房にでも放り込んでおけ」

「それはもう試した」

「なら何で今も野放しなんだ?野に放つなら、躾ぐらいちゃんとしておけ」

風紀室の中に入った義春は会議中の机の上にダンッと音を立てて両手を付くと、椎名に向かって身を乗り出し、皮肉気に口端を吊り上げる。

「それともなにか…?アレがお前の好みか?だから、手を抜いたのか?」

じっと視線を絡めた先で、間髪入れず椎名の口が動く。

「そんなわけねぇだろ。身に染みて一番分かってるお前がそれを言うか」

するりと義春の全身を舐める様に滑った視線が、僅かな熱を垣間見せる。義春はその眼差しに対抗するかのように、語気を強めて言い返した。

「それなら、さっさとアレをどうにかしろ。口を開けばろくなことを言わない。きゃんきゃん吠えて不愉快だ」

退けと言って、風紀委員の一人から席を奪うと義春はその椅子にどっかりと腰を下ろして、真正面に座る椎名を睨み据える。
その際、椎名の隣に座っていた副委員長がさりげなく椅子から立ち上がり、義春に席を奪われた委員に新しく椅子を用意してやっていた。椎名も義春もそのことには触れず、差し向かいで話を続ける。

「その点は俺も同意見だ。奴の口からお前の名前を聞くだけで不愉快だ」

「それは俺の台詞だ」

じっと視線を絡めて二人はしばし睨み合う。
先に視線を外したのは椎名の方で、苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せると吐き捨てる様に言った。

「こっちも好きで反省房から解き放ったわけじゃねぇ」

ちっと珍しく舌打ちまでして告げられた言葉に義春の視線が険しさを増す。

「どういうことだ?」

椎名へと問いかける表情も真剣なものへと変わっていた。
ぴりぴりとしていた空気がピンと張り詰めたものへと変わり、その場に同席していた委員達は更に口を挟む事すらできなくなり、ただ椎名と義春の会話を緊張した様子で注視するしかない。

「アレが理事長の甥だという情報はお前の所にも回っているだろう?」

椎名はまず事実確認を行い、義春が頷いたのを見てからその理由を口にした。なぜ、数日もせずにアレを風紀室の反省房から出したのか。

「上から圧力をかけられた。風紀委員会全体に」

学園の運営を担うのが生徒会。そして、そんな生徒会を含め、学園の監督・秩序を担うのが風紀委員会だ。理事長は更にその上、生徒達が運営する組織の最終的な責任者でもある。

「つまり…」

アレをどこの家の者だと思っているんだと。ゆくゆくは理事長の後を継ぐ、名家の大事な跡取りだぞと。それを何の瑕疵も無く、反省房に閉じ込めるなど。理事長の力を持ってすれば、たかが風紀委員会の人間なぞ学園から放り出すことも簡単に出来る。と、脅すような内容が書かれた書面を椎名は教師から直接手渡され、風紀委員会としては仕方なくアレを反省房から出したのだ。

「なるほどな」

教師の中に理事長と繋がっている内通者がいるのか。ならば、こちらが何をしても学園内の情報は筒抜けといっても間違いはないだろう。

しかし、理事長も考えたものだ。
学園の運営全般を担う生徒会は伝統的に、その役職につく人間は世間的にも社会的にも名門や名家の出の人間が多い。それに対して、学園の秩序を守る風紀委員会は委員長と副委員長を除いては一般生徒で構成されている。それは門戸の狭い生徒会とはバランスをとる為に風紀委員会が一般生徒達向けに開かれている為だ。風紀委員会は家の家格に関係なく、誰でも、それこそ腕っぷしの強さ一つで入ることが出来る。今回はその点を逆に弱みとして突かれた形だ。

「それで?こんな真っ昼間から会議なんか開いて、一時的にでもこいつ等の役職を解くつもりか?」

風紀委員長である椎名と副委員長の二人で理事長に挑むつもりか?二人の家の家格はこの場に居る平の委員達よりも上ではあるが、それでも理事長の家とは同程度だ。

「学園の風紀を正し、秩序を守らせるのが俺達の役目だ。お前にとやかく言われる筋合いはない」

室内にいる委員達の顔を眺めれば、どいつもこいつも椎名の決定に従うつもりか、強い意志を秘めた眼差しがそこにはあった。

一時的とはいえ、役職を解かれる。例えそこに、本人に何ら瑕疵がなくとも、その任を解かれるという事はその名を傷つけるのと同じ行為だ。何も知らない周囲からは遠巻きに、面白おかしく見られるかもしれない。

この場にいる委員達は椎名と副委員長を信じて、あえてその泥を被るというのか。
問題が無事片付いた後に風紀委員として復帰させ、その泥をすすぐ。

突き放すような椎名の言動に義春は不快そうに眉をしかめると低い声音で言う。

「ふざけるなよ。お前はそれでいいかもしれないが、そんなことは俺が許さない」

第一、一時とは言え、それでは学園の風紀が疎かになる。なにより…

「完全勝利が約束できないなら、その案は却下だ」

「…いつからお前の許可が必要になったんだ?」

「そんなもの、生まれた時からに決まってるだろう?」

再び睨み合いに突入するかと思われた会話は続いた義春の言葉で断ち切られる。

「奴を相手にするなら俺がカードを切る」

「それこそ却下だ。お前が俺を護ってどうする?本末転倒じゃねぇか」

その意味を正しく理解できた者は、義春を除いて誰もいない。

「安心しろ。これでも自分の足場は自分で固めてきたつもりだ。もうバレても問題はない」

「お前がそこまでする必要はないだろ」

義春を抑えるように椎名が言うも、義春は聞く耳を持たず。

「あるに決まってるだろ。――風紀、ひいては俺のものへの脅迫。奴が外部の力を振りかざすというなら、こちらも遠慮はしない。叩きのめしてやるよ」

椅子に座ったまま義春は足を組む。鋭く有無を言わせぬ眼差しが椎名の反論を封じる。

「これは決定だ。いいな、椎名」

柏木 椎名。風紀委員長の名だ。しかし、義春が椎名の名を気安く呼んだ場面など誰も見たことが無い。むしろ、犬猿の仲だと噂される二人は互いの名前さえ口にしない。そう、初めて見る光景に委員達は名を呼ばれた椎名とその名を呼んだ義春を恐る恐る、怖いものでも見るように息を詰めて見る。

「はぁ…」

視線を集めた椎名は諦めた様に溜め息を吐くと、ゆっくりとした動作で委員長席から立ち上がる。
まさかここで殴り合いの喧嘩かと蒼褪めた委員達を前に、もっと驚くべき光景が繰り広げられた。なんと義春の元まで足を運んだ椎名が、義春の傍らで膝を着いたのだ。そして、義春の足の上で組まれていた右手を取ると、そこに唇を寄せ、右手の甲に唇を落とす。

「我が主の仰せのままに。…三千院 義春」

すっと触れて離れていった唇に義春は満足そうに口端を吊り上げる。

「えぇっ!?」

「三千院って、あの…!」

「え、嘘…。だって、会長は源でしょ…?」

源 義春。それが学園内で知られている生徒会長の名だ。しかし、それが本名でない事を一部の限られた人間だけが知っている。そう、源 義春の側近兼護衛として送り込まれていた風紀委員長 柏木 椎名のように。
驚き、ざわめく委員達をよそに義春はそれが当たり前であるかのように振る舞う。

「祖父に薦められて入った学園だ。潰れてもらっても困る。だから早急に買収に動け」

「同時に理事長の首を飛ばせばいいのか」

「そうだ。三千院家を敵に回したらどうなるのか、その身を持って教えてやれ」

義春は椎名にとられていた右手をするりと椎名の手から取り戻すと、その手でそっと跪く椎名の頬に触れる。

「お前を好きにして良いのは俺だけだ」

「そうだな」

しっかりと返された返事を合図に義春の手が椎名の頬から離れる。
椎名が立ち上がり、急ぎ風紀室を出て行く。その後ろ姿を見送って義春は室内にいる委員達へ目を向けた。

「そういうことだ。お前達は大人しくしていろ」

口答えは許さないと鋭い眼差しに圧をかけられ、委員達は蒼い顔のまま首を縦に振る。

「あぁそれから、俺とアイツのことだが」

「――俺達は何も見てません!聞いてません!」

「だ、誰にも何も言いませんからっ」

三千院家といえば、理事長の家など比べ物にならないぐらいの大家で、名門中の名門だ。長い歴史を持つ由緒ある名家だ。その名を知らぬ者などいない。

義春の言葉を遮って委員達は声を上げる。
彼らは完全に義春にビビっていた。生存本能がこの人には逆らってはいけないと警鐘を鳴らしている。また、腕っぷしの強さで成り上がって来た委員達ほど、その辺の堪はいやに鋭かった。
いちように服従の姿勢を見せる委員達に義春はどこかズレた感想を抱く。

風紀委員はよく躾けられている。

自然と義春の口端に笑みが上る。

「その調子で椎名の役に立て」

「はいっ!」

「もちろんです!」

愉快そうな笑みを零して義春も席を立つ。
風紀室にやって来た時は打って変わって義春はご機嫌な様子で風紀室を後にした。






それから数日…。
一部の生徒を除いて知らぬ間に学園を経営していた法人、理事長の名が変わった。一年に編入してきた天使の様に愛らしい顔をした編入生も知らぬ間に学園から姿を消し、時を同じくして平和を取り戻した学園内では、この二人も平穏を取り戻していた。

「今回の件で俺に借りが出来たんじゃないか?」

「何が目的だ?」

義春と椎名は生徒達が行き交う食堂の入口で睨み合う。
義春は椎名から向けられた真っ直ぐな視線に瞳を細めると、口元に弧を描き、歩みを再開させて椎名と擦れ違う瞬間、その肩を軽く叩いた。

「今夜、俺の部屋に来い」

「それは…」

「命令だ。椎名」

笑う義春に言葉を呑んだ椎名。一見するとやはり仲が良いようには見えない関係だったが…。

「まったく、困った主だ。俺が良いだなんて」

椎名は義春を見下ろして、呆れたような溜め息を吐く。その頬に下から伸びてきた手が触れ、椎名の輪郭をなぞるように滑っていく。

「そういう割にはお前だって乗り気で俺を押し倒してきたじゃないか」

頬を滑った手が、椎名の唇に触れてくる。好き勝手に動くその手を受け入れながら、椎名は反論の言葉を口にした。

「それは語弊があるな。俺の気持ちを知って、さんざん煽ってきたのはお前の方だろう」

本来なら許されることじゃない。
護るべき主を従者が害するなんて。
椎名の葛藤を知ってなお、義春は椎名へとその手を伸ばすことを止めなかった。椎名になら構わないと。許すと、与えられた心に椎名がどれだけ悩んだか。
それで一度、中等部の頃に義春と大きな喧嘩をしたことがある。

椎名はその時に義春が与えてくれた言葉を思い出して、ゆるりと口許を綻ばせる。

「俺はただ…素直にお前の命令を受け取って、お前が望む通りに動いてるだけだ」

「…お前もあぁ言えばこう言うようになったな」

「風紀委員長なんて面倒臭い役柄を押し付けてきたせいだろ。お陰で少し口が悪くなった気がする」

「それはそれで良い。口の悪いお前も新鮮だ」

「俺は良くない。俺はお前の側でお前を護りたかったのに」

「学内の秩序が保たれてた方が俺も自由に動ける。大きな意味で俺を護ってるだろうが。文句言うなら、その口塞ぐぞ」

椎名の唇に触れていた指先が、ぐっと口の中に侵入してくる。舌先に触れた義春の指に、椎名は義春を見下ろす双眸を細めると、口内に差し込まれた指先にちろりと赤い舌を這わせる。義春いわくの新鮮な口調で返した。

「お好きなように。ただし、…手加減はしねぇぞ」

「あぁ、望むところだ」

熱を宿した双眸が絡まる。
椎名は今日も主の望みを叶える為に、義春との間に残っていた距離をゼロにした。

二人は生まれた時から家同士の関係で、幼なじみでありながら主従関係でもあった。それ故か、椎名は決して、義春との仲を恋人同士だとは認めない。ベッドの中で軽口を叩き合う位には親密な仲でありながら。

その最後の線引きが、生徒会長と風紀委員長の仲を冷たいものに見せているのかも知れなかった。


end.



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