04
委員長へと向けられた殺意。
振り上げられた拳。
放たれた言葉。
きつく背中に回された腕に、零れた涙。
俺が思うよりも深い傷を負っていた響が悲しく、酷く愛しい。
全身全霊で想いを示し、伝えてくる響を抱き締め、向けた眼差しを和らげて同じ言葉を繰り返した。
「待たなくていい」
「っ…れは、どういう…?」
不安気に揺れる響の目元に口付けを落とし、額にも触れる。
「そのままだ。もう待つ必要はない。待たせる気もない」
口を閉ざし見上げてくる響の唇にも口付けを降らせて囁く。
「言ったろう、俺は欲張りなんだ。お前と巡り会えた今を俺は絶対に手放したりしねぇ」
「ジン…」
再び開こうとした響の口を塞ぐ。
「俺を信じろ」
過去に囚われている意識を現実へと誘う。
抱き締めた腕を緩めて響の体を抱き上げた。
「っ、ジン…?」
生徒会室の更に奥、仮眠室へと続く扉をくぐり部屋を占領するように中央に置かれたベッドに響を下ろす。
仮眠室の扉の鍵を掛け、戸惑うにように見上げてきた響の体を優しくシーツへと沈めた。
「大事なのは今お前が側にいることだ。他は関係ない」
響の頬に右手を添え、口付ける。
その心を占める不安と揺り起こされた恐怖を取り除くように、優しく口付けを降らせた。
「………ジン」
やがて小さくだが響の口許に笑みが戻ってくる。
「そ…だな」
頬に添えた手に響の手が重なり静かに瞼が閉ざされた。そして、僅かに空いた間の後ゆっくりと瞼が押し上げられ、現れた鮮やかな蒼い双眸が真っ直ぐに前を見据えた。
「…信じる、お前を」
至近距離で絡み合った眼差しが強い光を放つ。
その光に惹かれるようにひたひたと熱い想いが胸を満たし、溢れ出す。
「それでいい。…愛してる響」
「ん、俺も…」
シーツの波に沈み、お互い抱き締め合って幾ばくか振りに取り戻した愛しき人の熱を感じ合った。
ぽぅと灯る淡い光。ぬるく吹いた風がその淡い光を今にも消さんと儚く揺らす。
星も月も無い、暗い夜の中で彼の人は口端を吊り上げ笑う。
いつも見る悲しい夢。
けれど今日はいつもとはどこか違う笑み。
“…ジン?”
“もう泣いてねぇな”
違う台詞、違う行動。
伸ばされた右手にすぅっと目元をなぞられ、ジンの姿が揺らぐ。
“何だよ、これ…。ジン?”
“これで漸く安心して眠れる”
“なに、別れの言葉みたいなこと言ってるんだ。ジン!ずっと側に居てくれるって今…!”
俺から手を伸ばしてもその手は虚しく空を切るだけ。
“恐れるな響”
“嫌だ、ジン!何でだ、行かないでくれ!”
“囚われるな、前を見ろ。俺<迅>はお前のすぐ側にいる”
揺らいだ空気にジンの身体が溶けて消え、ふっと恐ろしいほど胸に広がった喪失感に俺は膝から崩れ落ちる。
“前?何のこと…”
その耳に自分の声が木霊した。
“ジンと巡り合わせてくれてありがとう響<俺>。俺達の分も幸せに…”
“お前は…俺?”
途端、頭の中に広がった前世の記憶に現在と過去が繋がる。
――輪廻が巡ろうとも
強すぎる想いは一つの結晶となり、時を越え現世へと流れた。
“そうだ、俺は…”
ヒビキであって、ヒビキではない。
ジンがジンではなく迅であるように、ヒビキは響だ。
俺達は想いの結晶を大切に胸に抱いて、今世で再び巡り合った。
ジンは風間 迅として。
ヒビキは菅谷 響として。
だから、このまま前世(過去)に引き摺られてはいけない。
俺は現世を生きる者。
そしてまた、俺の愛する人は過去にはいない。
今、隣に感じるこのぬくもりが…迅が…。
俺の愛する人。
すぅすぅと腕の中で寝息を立てる響の寝顔は幼い。起きている時は鋭い蒼の瞳が意思の強さを表しているせいだろう、響を幾分か大人びて見せていた。
加えて、人と関わりたがらない面が響を冷たく見せるのかついた渾名が“氷の貴公子”
額に落ちる天然の銀髪を払い、俺は口許を緩めた。
「どこがだろうな。こんな無防備で可愛い響が氷の貴公子のはずねぇだろ」
愛しい者を見つめる紅い瞳が柔らかな光を帯びる。
響を起こさぬようそっと銀髪に触れて、髪を梳く。
「ようやくこの手に取り戻した」
あの別れの瞬間、ヒビキには生きて欲しいと思った。けれど同時に、その隣に自分はもう居ないと思ったら…俺以外の人間が立つのだと想像したら共に連れて逝きたくもなった。
矛盾した思い。
それでも俺はヒビキを生かす事を選んだ。一重に愛しているから。その命を断つことは出来なかった。代わりに言霊に呪を宿らせてヒビキへと送った。
――輪廻が巡ろうとも
「なのに、追って来ちまってたのかお前は」
怒るべき所だが、何よりその事実が俺は嬉しい。
生きることよりも俺を選んだお前を、今度こそ俺は生涯をかけて愛しぬくと誓う。
「平和な世で巡り会えたのも…運命か」
生き死にを悪戯に操る運命とやらを皮肉げに吐き捨てる。しかしそれも腕の中で健やかな寝息を立てる響の顔を見つめれば不思議な程凪いでいった。
どこか空虚だった心は満たされ、自然と笑みが零れる。
「ヒビキ…響…」
久方振りに訪れた穏やかな時を二人は静かに刻む。
今日はもうこのまま響を自室に連れて帰ろうと決めた時。
深い眠りに落ちていた筈の響がいきなり腕の中から飛び起きた。
「っと、どうした響?嫌な夢でも見たか」
上体を起こした響に合わせゆっくり体を起こし目を合わせれば、気のせいでは無く蒼い瞳に薄く涙の膜が張っていた。
「ん…ジン、…迅」
ぼんやりと浮上した意識で捉えたのは紅い光彩を放つ優しい瞳。
「迅…」
「どうした?」
真っ白なシーツの上で、甘えるように迅に凭れれば包み込むように抱き締められる。
「響?」
そうするのが当たり前のように体に回された腕に、迅の胸元に身を寄せれば胸を襲った喪失感と虚無感は泣きたくなる程の幸福感に変わった。
「迅。俺…今、凄く幸せだ」
とくとくと命を刻む鼓動に耳を傾ける。
胸の内にあったジンへのヒビキの想いの結晶は自然と俺の中へ染み込むように溶けていった。
「こうしてまたジンと…迅と触れ合えて、抱き締められて。辛くて苦しかった時もあるけど…幸せだ」
「響」
「俺の命が巡ったのもきっと迅とこうしてもう一度出会う為だ。俺は迅を愛して…ンッ!」
言葉の途中で噛み付くようにキスをされ唇を塞がれる。
「んっ…迅…?」
「…煽るな。それ以上口にされたら歯止めが利かなくなる」
「そんなもの…」
「お前を大切にしたい。俺達にはその時間があるだろう?」
「…そう、だな」
過去の俺達が伝えたかったこと、伝えきれなかったこと。全部。
俺達が紡いで行くから。
“もうお休み…ヒビキ。ジンと共に…”
誰かを愛するという気持ちに際限はない。
「まず俺の部屋に移動からだ」
「荷物はそんなにないからすぐに済むと思う」
心の奥底から溢れ出るその想いは時として人の予想を越える力を発揮する。
「補佐への手続きは数日かかるかもしれねぇが…」
「大丈夫。迅がいてくれれば」
目を合わせ、ふわりと蕩けるように零された笑みに、紅い瞳も柔らかな光を帯び優しく笑った。
例え輪廻が巡ろうとも…
“俺は永遠にお前だけを愛している”
end.
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