03


どうしてとか、なんでとか疑問に思うことは沢山あった。けれど、そんな当たり前の言葉さえ何一つ出て来なかった。

ただ、抱き締めて現実にジンの体温を感じる。とくとくと脈打つ鼓動に耳を押し付け生きている証を感じる。背に回された力強い腕に涙だけが零れた。

「…ヒビキ」

目元に寄せられた唇に涙を掬われ、優しく髪をすかれる。
触れてくる何もかもが心震わせ、俺から言葉を奪った。

「泣くな、ヒビキ」

「っ…て…」

ぼろぼろと止めどなく零れる涙がジンの制服に染み込んでいく。
会えなくて、辛くて、苦しくて、恋しかった分だけ言葉の代わりに涙が流れる。

「もう二度とお前を置いていったりしない」

「…っふ…ぅ…ジン…」

「だからもう泣くな。俺はお前の泣き顔より笑った顔の方が好きだ。…忘れたか?」

顎をとられ上向かされたままふるふると頭を横に振る。その拍子に目尻から零れた涙を吸いとられ至近距離で視線が絡んだ。

紅い、独特の光彩を放つ瞳。
夢でも現実でも俺が求めてやまなかった愛しき人。
ふっと細められた眼差しに、離れていく唇が紡ぐ。

「今も変わらずお前だけを愛してる」

「――っ」

「何度生まれ変わろうとこの想いだけは変わらなかった」

「ジン…」

俺と同じ想いをジンも抱いてくれていたのか。
真っ直ぐ見つめてくる紅い瞳に自然と口は動いていた。

「俺も…ずっとジンだけを想ってた」

「ヒビキ」

ぎゅっとジンの背に回した腕に力をいれて、この想いが全部ジンに届けばいいと思う。全部、全部…

「――ジンしか愛せない。ジンの居ない世界じゃ生きられない。ジンが居れば他には何もいらない…っ。だからもう…」

言葉が途切れる。
唇を塞がれ、痛いぐらい強く抱き締め返された。

「愛してるヒビキ」

「ジ、ン…っ…ん…」

後頭部に差し込まれた右手に、触れるだけだった優しい口付けが深まる。
全てを奪うかのような激しい口付けに、舌が痺れ、脳髄が麻痺する。
心地好い感覚に身を委ねながら、ジンが全て奪ってくれるというなら俺は何もかもを差し出しても良いと思った。

ジンの背に回していた手はいつしかすがるようにジンの制服を掴むだけになっていて。腰に回された手に俺は支えられていた。







学校内にあるにしては豪華な装飾に、執務机のある部屋。
どこか遠くで午後の始業の鐘が鳴るのを聞きながらソファに身を沈める。

隣に座ったジンに手を引かれ、長い口付けのあと俺はこの部屋へと連れて来られた。

場所などジンさえ居れば俺はどこでも良かった。そこが夢や幻ではないのなら。

「今の俺はお前より二つ年上で、名前は風間 迅。これでも生徒会長だ」

「生徒…会長?」

そして、これまで会いたくて会えなかった理由を知る。学年が、年齢が違うせいだった。
昔は同い年だった筈が今は二つも離れてしまっていた。

「ヒビキ、お前の今の名は?」

「菅谷…響。今年入学したばかりだけど、あんまり授業には出てない」

「どうしてだ?」

「朝起きてもジンは居なくて、悲しくて泣いてて…目を冷やさないと部屋からは出られないし、それに学校なんて面白くない」

何処へ行ってもジンはいない。残酷な現実が心を突き刺す。そんな苦しいだけの世界に興味は無い、面白いものなど何一つない。

感情の失せた顔で言った俺にジンは応接室のソファをキシリと鳴らし、俺の頬に手を伸ばし触れてくる。
するりと優しく輪郭をなぞるように触れてくる指先が気持ち良くて瞳を細める。その様子を見てジンの口許が緩んだ。

「なら俺とずっと一緒にいるか?」

「居たい、けど…」

世の中そんな戯れ言が通るほど甘くはない。
しかしそれでもジンは力強く言い放った。

「お前の居場所は俺が作ってやる」

「ジン…」

「言ったろう?未来永劫、お前は俺のモノだと。今さら離れられると思うな」

抱き寄せられるままに身を預け、言い切ったジンの紅い瞳を見つめる。

「そうだな。まず会長権限でお前を生徒会に入れる。そうすれば授業は免除だ。テストだけ受けていれば良い」

「……ジン」

「生徒会に入って、俺の補佐に付けばずっと俺の隣にいられる。部屋も、俺の部屋に移動して来い」

頬を滑り下りたジンの指先が唇に触れる。

「嫌か、響?」

そっと唇をなぞられ、優しく落とされた唇に瞼を下ろして…ようやく、俺は心からの笑みを浮かべることが出来た。

「嫌じゃない。…嬉しい。それでずっとジンの側にいられるなら」

「決まりだ」

触れて離れていく唇を離したくなくてジンの頭を抱く。すると、ふっと優しく弧を描いた唇が唇に重ねられた。

啄むように何度も重なる唇が心地良くてもっとしていたくなる。
しかし、心地良い空間はコンコンと扉を叩く無機質な音に破られた。

そんな無粋な真似をし、扉を押し開け入室してきたのは一人。
食堂で再会した忘れ得ぬ敵の顔。風紀委員長と呼ばれる男と何故か里見の姿が扉の外にあった。

「あちゃ〜。だからやめた方が良いって言ったのに…。俺、外で待ってますからね」

「何故だ?風間にも一応報告する義務はあるだろう?」

扉が閉まり、俺はジンの腕の中から抜け出すと再び目の前に現れた風紀委員長を警戒し、ジンを庇うように二人の間に立つ。
ピリピリと張り詰めた空気に、冴えざえと凍った蒼の瞳が鋭く前方を睨み付けた。

「ジンに何の用だ」

低く唸るように発された声音に、敵意を向けられた委員長は向けられた感情の意味が解らず困惑した表情を浮かべる。

「いや、風間には先程食堂で起きた騒ぎの一件を報告に来たんだが…君はいったい…」

「答える義務は無い」

委員長の困惑を冷淡に切って捨て、続ける。

「そんなことよりジンに近付くな」

「いきなりそう言われても困るんだが…風間?」

気安く、俺の後ろのソファに座るジンに投げられた言葉と視線に何でお前なんかが…と夢の中で繰り返された悪夢にぎりっと拳を握り締める。

「…お前はまた俺からジンを奪うのか」

「奪う?一体何の事だ?」

「お前が忘れても俺は覚えてる。…俺は、絶対にお前を許さない」

凍えた蒼の瞳が一瞬で沸騰する。一息で間にあった距離を縮め、胸ぐらを掴み、怒りで震えた拳を振り上げれば後ろから鋭い制止の声が掛かった。

「よせ、響」

堅く握り締めた拳に右手が重なり包まれる。殺気立った背中にぬくもりを感じ、背後から伸ばされた左手に視界を塞がれた。

「っ何でだよ!ジンっ!コイツがお前を…!コイツがいるとまたジンがっ」

「次なんかねぇ」

背中越しに伝わる体温に、目元を覆った指先。
俺の視界を塞いだジンは俺には決して見せない苛烈な色を宿した赤い双眸を委員長に向けた。

「用件は分かった。殴られたくなければ今すぐ出て行け」

そして、二度と響の前に姿を見せるな。

「あ、あぁ…。何だか良く分からないが気分を損ねたのならすまなかった」

常識的に見れば委員長は何も悪くない。悪くはないが謝罪までしたその性格。前世とはまるきり正反対な殊勝な態度にジンは舌打ちを漏らした。

「邪魔をしたな」

正直今世の委員長に対してジンは恨みを抱いてはいなかった。ただ、頭では別人だと理解しているが心が納得していないという複雑に絡んだ思いがあった。

「ジン…っ!何でアイツを庇ったりするんだ!今見逃せばまた…」

あの恐ろしく空虚で、いつ会えるとも知れぬ相手を、焦がれ、ひたすら待ち続ける日々に後戻りすることになってしまう。
そんなことになったらもう、この心は耐えられない。

「俺はもうお前を待てない…!」

会いたくない相手との二度の接触に精神は磨り減り、感情が上手く抑えきれない。
掴まれたままだった手を引かれ、体を反転させられる。
絡んだ突き刺すような視線に俺は息を呑んだ。

「待たなくていい」

「え…」

そして紡がれた言葉に目を見開いた。



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