02


午前の授業が終了し、室内はざわざわと騒がしくなる。その音が耳障りで俺は椅子から立ち上がり、向けられている視線も無視して教室から出た。

誰も彼も俺を遠巻きに見るばかりで話しかけてくる奴はいない。

「菅谷。お前も今から飯か?だったら一緒に行こうぜ」

ただ一人を除いて。

「………」

「今日は何食べようかなぁ。午後からは体育あるし、いっぱい食っとかねぇとな」

横で一人延々と話続けるこの男、里見 佑樹(サトミ ユウキ)を除いては。

「あっ、何処行くんだよ菅谷。食堂はそっちじゃないぞ」

他クラスの癖に入学当初からやたら俺に話しかけてくる奇妙な男。そして、それを許している自分が一番分からなかった。

今も肩を掴まれ、食堂への道へ戻らされる。

「俺に構うな」

触れていた手を叩き落とそうとは思っても、何故だか嫌悪感は沸かない。

「そういうなって」

叩き落とされた手をひらひらと振ってにへらと笑う里見はいつもより何処か嬉しげで。俺は顔をしかめた。

「何だ?」

「いや、今日はどうしても食堂に行って欲しくてさ」

ほら、早くと急かされる。
里見の上機嫌と食堂には何か関係があるのか、俺は蒼の瞳をすがめた。

「そう睨むなって。お前にとって悪いことじゃねぇから」

そう言って里見が食堂に足を踏み入れる。途端、耳を塞ぎたくなる様な歓声。不協和音。
回れ右をしたくなる衝動に駆られ、俺が視線を右に振った…その先に、

「――っ」

俺は息を呑んだ。

その顔…あれは忘れもしない、憎き敵の顔。
ジンの服を深紅に染めた敵が目の前にいた。

そう視認した瞬間、ふつりと俺の中で何かが切れた。
夢と現が混ざり合い、頭が混乱したまま、強い感情に突き動かされるまま俺は一歩足を踏み込む。

「ばっ…、ヒビキ!今のそいつに罪はねぇ!」

拳を振り上げた時、背後で里見が何かを言っていたが俺の耳には届かなかった。

突然降りかかった暴力に相手が目を見開くのが見える。だが、手加減をしてやるほど生易しい精神は持ち合わせていない。
むしろ本気の殺意さえ込めて俺は拳を振り下ろしていた。

「―っ、いきなり何するんだ君は」

しかし、俺の拳は奴の顔面を捉える寸前でかわされた。

「なに、だと?ふざけるなよ。お前がジンを―!!」

「ストーップ!ヒビキ、じゃなくて、菅谷!待て!こいつは風紀委員長だよ!」

激昂する俺と奴の間にするりと里見が割って入ってくる。尚も拳を解かない俺に再度里見が鋭い声で俺の名を呼んだ。

「菅谷っ!」

それにはっと意識が引き戻される。

「さと…み?俺、は今…」

「落ち着け菅谷。風紀委員長もすみませんね。委員長があまりにもコイツの天敵とそっくりだったから…」

里見が取り成すように風紀委員長に謝罪すれば、委員長は一瞬驚いた顔をして次に苦笑を浮かべた。

「あ、いや。大丈夫だ」

「本当にすみません。コイツ、外部から入学して来たから委員長のこととかまだ何も知らなくて」

「そうか。外部入学生か。それは大変だな。何か困ったことがあったら風紀を頼ると良い」

ふと和らいだ空気と眼差しが自分に向けられる。
その生温さに気持ち悪くなってくる。

俺は握り締めた手を胸元にあて、踵を返す。逃げるように食堂から飛び出した。

「あっ、おい!菅谷!」

「きみ!」

里見と委員長が止める間もなくその背中は視界から消える。

「なに今の!」

「氷の貴公子様が…」

さざ波の様にざわざわとざわめきが食堂内に広がる。食堂中の視線は氷の貴公子と風紀委員長が接触した時から二人に集中していた。

直後、ダンッと響いた大きな音が食堂の空気を震わせた。







食堂を飛び出した俺はあてもなくただひたすら廊下を走る。
入学して間もない校舎の中などほとんど知らない場所ばかりだ。
それでも、風紀委員長と名乗ったアイツから離れたかった。

俺からジンを奪ったくせに、…何であんなにも穏やかな目で俺を見る?

「気持ち悪い…っ」

ぐるぐると胸の中で渦巻く感情に頭が追い付かない。
カッとなって振り上げた拳は俺のものなのに実感がない。

ジンを想うこの心は誰のものだ。俺じゃない、ヒビキのものか?

「っ、違う、違う…。“俺が会いたいんだ”、俺が…」

現世の意識と前世の記憶が混ざり合う。
ぽたりと瞳から涙が零れ落ち、いつしか俺の足は見知らぬ部屋の前で止まっていた。

「ふっ…くっ…ぅ…」

泣きたくないのに、次々と溢れ出す涙が視界を遮る。
胸が痛くて、苦しくて、恋しくて…俺はいつまで待てばいい?
いつになったらジンに会える?
一段と強くなった胸を焦がす衝動に息が詰まる。

それともこれはあの時、生きることを放棄してジンの後を追った俺に対する罰なのか。

「ジンっ―…っ会いたい、会いたいよ…」

苦しくて…辛い。
きつく胸元を掴み立ち尽くすその後方で、その背を追って来た足が止まった。乱れた呼吸を整え、愛しげに瞳が細められる。

お互い、姿形は変わっても変わらない色を持ち。変わらない想いを胸に抱いて。

シン…と静まり返った廊下にコツリと足音が響く。

「っ、誰だ!」

肩を震わせ勢い良く背後を振り返った俺はいきなり腕を掴まれ、強い力で体を後方へと引かれた。
有無を言わさず広い胸の中に抱き締められ、目元に寄せられた見ず知らずの唇に抵抗しようとして…

「まだ泣いてるのか」

「――っ」

くしゃりと顔を歪めた。

「ヒビキ…」

声質は違うのに、その声の柔らかさが。寄せられた唇の温度が、頬に触れてくる指先が…ジンと、同じ。

見開いた瞳から涙が溢れて止まない。

「一人にして悪かった」

ぼろぼろと零れる涙は寄せられた唇に拭われる。
滲んだ視界の先で、紅い独特の光彩を放つ瞳と視線が絡んだ。

「―っ…ジ、ン?」

声が、空気が震える。

「あぁ…」

「…ほん、もの?夢じゃ…」

「夢なんかじゃねぇ」

恋しいと泣く心が、愛しいと求める心が、ジンの熱に触れて堰を切ったように溢れだす。
目の前の存在を確かめるように恐る恐る手を伸ばした。

「ジン…、ジンっ!」

「…ヒビキ」

触れられた確かな感触に、自らジンの背に腕を回して抱き着く。もう二度と離れないように、形振り構わず俺はジンに抱き着いた。



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