01
それまでざわざわと騒がしかった空気が一瞬にしてピンッと張り詰めた。
そして、学内でも有名な二人が顔を合わせる。
「チッ、嫌な顔見ちまったぜ」
「それはこっちの台詞だ」
何が原因だが誰も知らないが、我が校の風紀委員長と生徒会長は顔を合わせるとその度舌戦を繰り広げる。犬猿の仲だと有名だった。
「貴様はまた風紀のくせに率先して風紀を乱したそうだな。そろそろ風紀を辞めたらどうだ、清々する」
黒目黒髪に、細めの眼鏡を掛けた生徒会長。貫薙 瑠威(かんなぎ るい)
「はっ、正しくねぇな。ありゃ助けてやった生徒が勝手に乗って来たんだ。ヤっちゃいねぇよ。そんなに俺のことが気になるのか、生徒会長様よ」
染めた金髪に黒い瞳。耳にはピアスと、だらしなく着崩された制服。風紀委員長、雷堂 暁夜(らいどう あきや)
「馬鹿が、安い挑発だな。そんなことよりいち生徒が貴様の魔の手に落ちなくて何よりだ」
「言ってくれんじゃねぇの」
ピリピリと高まっていく緊張に、それまで無視されていた風紀の副と生徒会の副が慌てて止めに入った。
これもまたパターン化しており、二人は互いに顔を反らす。
大勢の生徒が集まる食堂は静かに音を取り戻した。
生徒会室に戻った瑠威は会長席に腰を下ろし、息を吐く。
「ったく、何だってアイツは俺に突っ掛かって来るんだ」
無駄に疲れたと眼鏡を外して机の上に置き、書類整理で疲れの溜まった眉間を押さえた。
そこに副会長が気を利かせて、紅茶を持ってきたのだが。
「あっ…!?」
稀に大きなドジを副会長は踏む。
手から滑り落ちたカップは宙を舞い、液体を飛ばしながら机の上に置かれた眼鏡を直撃する。
「――っ」
これが犬猿の仲と言われた二人の関係を大きく変えることになるとは誰も知らなかった。
男子ばかりいる学園とは違い、そこかしこに女の姿がある…らしい。
翌日は運良く休日だったので、瑠威は壊れた眼鏡を直しに学園から一番近くにある街へと来ていた。
一番近くとはいえ、電車で乗り換えしながらだが。
「ここは何処だ」
そして、らしいというのは瑠威にはぼんやりとしか見えていないからだった。原因は言わずもがな壊れた眼鏡のせいだった。
実をいうと瑠威は私生活はずぼらだ。眼鏡が壊れたならスペアの眼鏡を出せば良い。しかし、壊れた眼鏡がスペアだったのだ。
元の眼鏡は随分前に自分の不注意で壊してしまっていた。
故に仕方なく瑠威は街まで出て来たのだ。
眼鏡が無いとガクンと下がる視力に、自然と周囲へ向ける眼光は鋭くなる。
「…とりあえず歩くか」
人や物にぶつからぬように注意して歩きながら瑠威は眼鏡屋を探し始めた。
それから程無くして、辺りを見回していた瑠威は何を勘違いしたのか妙に派手な髪色をした輩に捕まった。
「おいおい、何ガン飛ばしてんだテメェ」
「今俺達の方見てただろぉが、ぁあ?」
目の前に立ちはだかられて、それが自分に向けられた言葉だと気付いて溜め息が零れる。
「馬鹿が…」
思わず口から零れた言葉に目の前の男達はそれぞれ反応を見せた。
いきなり瑠威は胸ぐらを掴まれ、近くなった距離でようやく相手の姿を視認する。
「なめてんのかテメェ!」
その間にも振り上げられた拳が瑠威目掛けて振り下ろされる。
気配を感じて瑠威が避ける前にその拳は誰かの手によって止められた。
「何してんだてめぇ」
ぎちっと腕を力任せに握られた男は痛みを訴え、瑠威の胸ぐらから手を離す。それから直ぐに絡んできた男達はその場から去って行った。
残されたのは瑠威と、間に入って助けてくれた見ず知らずの男だけだった。
「とりあえず助かった。礼を言う」
「ぁあ?なにボケたこと言ってんだ。お前が礼とか…」
しかし、どうやらそれは瑠威の勘違いだったらしい。相手は瑠威の事を知っているような口振りだった。
「お前…誰だ?」
顔を良く見ようと瞳を細め、相手へと近付く。だが相手は瑠威が近付いた分だけ後ろへと下がった。
「誰ってお前…眼鏡はどうした?」
「壊れたからこうして直す為に街に出て来たんだ。それより何故逃げる。俺のことを知っていると言うことはお前学園の人間だろう?」
瑠威の推察を相手は綺麗に無視し、逆に自分の訊きたいことを訊いてくる。
「眼鏡ねぇとそんなに視力悪ぃのか」
「だから、名乗れ」
「そうだなぁ…、暁夜。暁夜だ」
「あきや?そんな名字の人間いたか…?記憶にないが」
「はっ、そりゃお粗末な記憶力だな」
「何だと?」
はいはいと話をぶったぎられ、瑠威はいきなり暁夜に腕を掴まれた。
「何をする。離せ」
「どうせその目付きの悪さで喧嘩吹っ掛けられたんだろ。生徒会ちょ…貫薙、仕方ねぇから俺が連れてってやる。感謝しろ」
「感謝は自然とするものであって強制されてするものじゃない」
「そうかよ。行くぞ」
ぐいぐいと腕を引っ張られ、無理矢理歩かされる。
「おい、この手を離せ」
「離したら余計あぶねぇだろうが。そもそもそんなんで良く一人で学園から出て来れたな。馬鹿じゃねぇのお前」
「数分前に会ったばかりの貴様から、馬鹿呼ばわりされる覚えはない」
フンと鼻で笑われた気がして、ぼんやりと視界に映る金髪っぽい髪色に瑠威は何となく天敵を思い出した。
しかし、奴が自分に対してこんな親切をするはずがないとこれまでの付き合いで瑠威は決めつけていた。
腕を引かれるがままに歩いていた瑠威は、それが気に入らなくて暁夜の隣へと並ぶ。
それにより周囲でざわめきが起こったが瑠威は気付かない。ただ、暁夜はその姿ににやにやと愉しげな笑みを浮かべた。
学園から街に遊びに出て来ていた生徒は並んで歩く二人の姿に驚愕で目を見開き、通り過ぎる女性は二人の姿にうっとりと赤く頬を染めた。
会話という会話も無く歩いていれば、いきなり暁夜が足を止める。
「っと、ここだ」
「着いたのか?」
「あぁ」
ようやく腕を離され、瑠威はほっと息を吐く。
「じゃぁな、俺はここまでだ」
そう言って瑠威に背を向けた暁夜を瑠威は真っ直ぐな言葉で引き留めた。
「待て。強制されるのは好きじゃないが、感謝はしている。礼をしたいからここで待ってろ」
「へぇ…いいのか?そんなこと言って」
「何がだ。俺も礼ぐらいはする」
「いや、眼鏡が直ったら…」
俺が誰かもわかっちまうんだぜ、と暁夜は言いかけて途中で止めた。
変わりにニヤリと笑って、鋭い双眸を見つめ返す。
「何でもねぇ。お前がそこまで言うなら待っててやる」
「引っ掛かる物言いだな。まぁいい。大人しく待っていろ」
くるりと背を向け瑠威は眼鏡屋へと入って行った。
その背中を見送り、暁夜はクツクツと笑う。
「引き留めたこと後悔するぜ、貫薙」
見つけた時は驚いて無視しようかと思ったが、無抵抗の相手をいたぶる行為は流石に見過ごせず、止めに入ってしまった。
だが、休日にまで顔を合わせることになって、いつもの調子で口を開こうとすれば、意外なことに礼を言われて思わず訝しんだ。
その答えはすぐに眼鏡がないせいで、見えてないんだと解ったが。
学園外で見る貫薙の新鮮な姿に愉しげに暁夜は口端を吊り上げた。
店の外で暁夜がスマホを弄りながら待っていれば、そうと間を開けずに瑠威が店の中から出てきた。
「お…?あ?お前眼鏡は」
店から出てきた瑠威は店に入る前と変わらず、眼鏡を掛けていない。
「直すの一時間位掛かるそうだ。その間にお前に礼をしてやろうと思ってな」
「へぇ…そりゃ残念」
「何がだ」
「いんやこっちの話。で、礼ってナニしてくれんの?」
愉しげに笑う声に瑠威は首を傾げてとりあえず歩き出す。
「昼飯を奢ってやる」
ついて来いと言わんばかりに背を向けた瑠威の肩を暁夜は咄嗟に掴む。
「おい馬鹿!前を見ろ!」
「は…?」
いきなり肩を掴まれ、制止された瑠威の少し前を自転車が勢い良く通り過ぎて行く。
「お前は…っ勝手に歩き出すんじゃねぇ!俺の寿命が縮むだろ!」
「は?意味が分からん。アキヤと俺の行動に何の関連がある?」
瑠威は気付いていない。
今の自分がどれだけ危ういか。
「何でこの俺が…」
暁夜はチッと舌打ちして、瑠威の腕を掴んだ。
「奢ってくれんなら、店は俺が選ぶ。ついて来い」
ぐいぐいと問答無用で瑠威は再び腕を暁夜に引っ張られて歩く形になる。
それが気に入らずにまた隣に並び、どうも様子のおかしくなった暁夜の横顔を見た。とは、いえ眼鏡がないのでぼやけてるが。
隣に並べは自分と同じか、僅かに暁夜の方が背が高い。耳にピアスでも付けているのかキラリと赤い色が見えた。
「…何だよ。俺に見惚れてんのか?」
「馬鹿か。顔も良く見えんのに誰が見惚れるか」
視線に気付いた暁夜の軽口を瑠威は速攻で一蹴した。
そして暁夜が瑠威を連れて入ったのは、赤い色に黄色のマークが有名などこにでもあるファーストフードチェーン店だった。
昼にするには少し早い時間だったが店内はにわかに混み始めていた。
暁夜はレジに並ぶ前に、入口脇のテーブルに置かれていた紙を一枚取る。
「ほら、何が食いたいか決めろ」
それは店のメニューが載ったチラシで、瑠威は素直に受け取ると瞳を細めて紙に視線を落とした。
その腕を引っ張り暁夜はレジに並ぶ。
「………ありえねぇ」
ふとそんな自分の行動を省みて暁夜は一人、口の中で呟いた。
自分達の番が回ってきて、それぞれセットでメニューを頼む。店内でと言って、もちろん瑠威が暁夜の分も纏めて支払った。
トレイを手に一階に設けられたスペースに向かう。窓側のカウンター席も空いていたが、暁夜はあえてテーブル席を選んだ。
間にテーブルを挟み、向かい合わせに座る。
瑠威は特に気にした様子もなく、律儀にいただきますと言うとポテトを食べ始めた。
「……おい。そもそも何で眼鏡を壊したんだ」
そんな瑠威の姿に自分だけ動揺してアホらしいと、暁夜は気を緩め、ポテトを摘まみながら口を開く。
訊かれた瑠威は一瞬どう答えたものかと考えた。
暁夜が学園の生徒なら、生徒会の威厳を保つべきか。副会長がドジだと知っている人間は少ない。
その沈黙をどうとったのか暁夜が言う。
「言えよ。貴重な休日にここまで付き合ってやったんだ」
「吹聴しないと約束出来るなら」
「はぁ?そんなに重大なことなのか?…まぁいいぜ」
呆れたような声を出す暁夜に瑠威はかいつまんで眼鏡が壊れた経緯を話した。
「ふぅん、あの副会長がそんなドジだったとは…人は見かけによらねぇなぁ」
良いことを聞いたと暁夜は笑う。
「言い触らすなよ」
「分かってる」
クツクツと笑う暁夜は本当に分かっているのか、瑠威は咎めるような眼差しを向けた。
「そう睨むなよ。別に副会長に興味はねぇ」
「なら良いが」
そこで一度会話は途切れ、二人は静かに食事を続けた。
「ごちそうさん」
ゴミをゴミ箱に入れ、トレイを返却場所に返す。
瑠威は暁夜から掛けられた言葉にどう致しましてと返して、二人は店を出た。
すると直ぐに暁夜に腕をとられて瑠威はもう文句を言う気にもなれずに肩を並べて歩き出す。
「大人しいな」
「無駄だと学習したんでな」
「へぇ…普段からそれならちっとは可愛いげがあんのにな」
「何を言っているんだ。男に可愛げなんて必要ない」
バッサリと暁夜の言葉を切り捨て瑠威は言う。
「それにお前は普段の俺を知らないだろう」
いち生徒と生徒会長である瑠威が接触する機会など少ない。そういう意味で言った瑠威に対し、暁夜はどこか皮肉めいた声を出した。
「あぁ…知らねぇな。普段のお前なんざ」
「アキヤ?」
ピタリと暁夜の足が止まる。掴まれていた腕を離され、暁夜は瑠威に背を向けて言った。
「店、着いたぜ。もう壊すんじゃねぇぞ」
「あ、あぁ。ありがとう。だが、アキヤ、お前どう…」
「礼なんか言うんじゃねぇよ。…じゃぁな」
結局それきり暁夜は振り返らずに、その場から去って行ってしまった。
休日が明け、平日の朝。
顔を洗い、眼鏡をかけた瑠威は身支度を調え朝食をとる為に寮の自室を後にした。
全寮制の寮の中には食堂がある。
そこでいつものように朝食を済ませた瑠威は、これまたいつものように食堂の入口で風紀委員長である雷堂 暁夜に遭遇した。
「………」
「………」
そして、食堂内にいた生徒達がその二人の姿に顔色を悪くして、空気がピリピリと張り詰める。
しかし、何故か二人は口を開かず顔を合わせるとすぐに視線を反らした。
ただそのまま擦れ違おうとして、瑠威は周りに聞かれぬように小さな声を出す。
「アキヤはお前だったか雷堂…」
「…だったらなんだ」
「人は見かけによらないとはもっともだな」
「喧嘩売ってんのかてめぇ」
「いや、これでも感謝してるつもりだ。ただ別れ際のお前の態度が気になってな」
こうしてアキヤと名乗った人間を探してしまった。まさかそれが名前だったとは。思い込みはいけないと改めて気付かされた。
「ふん…そうかよ」
「あぁ、だからこれからはお前という人間の中身をしっかり見ようと思う」
背を向け離れて行こうとした暁夜は瑠威の台詞に思わず足を止める。
「俺達は犬猿の仲だと言われているが、俺は別にお前のことは嫌いではないしな」
組織として対立してしまうことは多々あるだろうが。
瑠威の一方的な言葉に暁夜は唇を歪め、背中越しに吐き捨てるように言葉を投げつける。
「んなこと一々言ってくんじゃねぇ。てめぇの好きにすればいいだろ」
暁夜は振り返らず足を動かし始めた。
瑠威も振り返らずにその足で食堂を出て行く。
珍しく言い合いにならなかったことに瑠威はホッとすると同時に、僅かな寂しさも覚えた。
それは暁夜も感じたことで二人は妙な感覚を胸の内に芽吹かせる。
「暁夜…か」
知らずに名前で呼んでいた事実が、故意に名前で呼ばせた事実が、暁夜と瑠威の距離を縮めていく。
犬猿の仲である二人が仲良く肩を並べて、街中を歩いていた姿が噂となって学園中に広がっていったのは、そのすぐ後のことであった。
end.
[ 121 ][*prev] [next#]
[top]