B「命令」だと言ったら?
side 呉羽
修吾に腕を掴まれ、東陽に会うなと言われた。
俺は始めから東陽と会うつもりは欠片もなかった。
あれはその場限りの社交辞令。修吾と東陽財閥の関係にひびが入らないよう、円滑に事を運ぶための。
だから俺は修吾の言葉にすんなり頷き返そうとした。
しかし、その前に一つ気になる事が。
「それは私への命令ですか?」
じっ、と修吾を見つめて返事を待つ。
修吾の瞳が一瞬揺らぎ、迷いを振り切るように瞼が瞑られ、開かれる。
その下から意志の強い、瞳が表れ真っ直ぐに俺を見つめてきた。
そして、迷いをなくした修吾が口を開く。
「命令、だと言ったら?」
「分かりました。従います」
俺も修吾を真っ直ぐ見つめて応えた。
修吾はほんの少し安堵したように頬を緩め、俺の腕を放した。
正直、今まで修吾から強くこうしろ、とかはっきり命令されたことは何一つなかった。
大抵は頼み事として言われるか、俺に逃げ道を、断れる隙を用意しておいてくれる。
数年一緒にいてそれだけが少し心配だった。
修吾は会社の部下や秘書である俺をただの駒とは思っていない。それは修吾の良い所でもあるが、その反面悪い所でもある。
会社を運営していく上で、時に非情な選択を下さねばならない時がやってくる。
その時、相手の事を思って命令を下せないようでは困るのだ。
修吾は今、俺にしたように命令を下せばいい。
そうやって、羽崎財閥総帥として、成長していく修吾を見ているのは嬉しかった。
しかし、それとは別に悲しく思う自分もいる。
こんな俺は、矛盾しているのかもしれない。
俺はたまにそれが、総帥としての成長が、羽崎 修吾という一人の少年を潰してしまわないか不安を覚えることがある。
俺が18の時、両親はすでにいなかったが普通に高校へ通わせてもらっていた。
友達もいて、仲の良い仲間もいて、休みの日や学校帰りは皆で遊び、共に怒ったり泣いたり笑ったりしていた。
それにくらべ修吾は最年少といわれる歳に総帥の座に付くことになってしまった。
修吾本人がそのことをどう受け止めているのか知らないが、俺はせめて俺の前では子供らしくいてくれればいいと思う。
「本日の業務は先程の面会で終わりです」
俺は懐から手帳を取り出し、紅茶に口を付けている修吾にそう言う。
「そうか。じゃぁ、一息ついたら帰るか」
「はい」
使い終わったカップとポットを片付け、戸締まりをし、電気を消して執務室に鍵をかける。
それから二人で地下駐車場に向かい、運転手付きの車に乗り羽崎本邸ではなく、別邸へ車を出してもらった。
別邸は人の出入りがまったくなく、静かで良いという理由から修吾の今現在の自宅となっていた。
車は別邸の入り口に着くと、俺と修吾を降ろし去っていく。
「なぁ、呉羽。荷物置いたら俺の部屋に来てくれないか?」
「分かりまし…」
「呉羽」
「ぁ、うん。…分かった」
別邸に帰って来た時、俺は羽崎財閥総帥じゃなくただの修吾だからな、と言われ、俺も別邸に帰って来た時は秘書じゃなくてただの呉羽だからな、と念を押され敬語は使わないようにと約束させられたのだ。
その上、
「修吾」
名前で呼んでくれと言われた。
「ん?」
「今日の夕飯何が食べたい?ついでだからシェフに頼んどくけど…」
別邸には修吾が気に入った料理人を二名、本邸から連れて来ているのだ。
どちらも気さくで楽しい人だ。
修吾は、あ〜、としばらく考えてからニヤリと笑って言った。
「呉羽の手料理が食いたい」
「…それはまた今度な」
一流シェフの料理より俺の手料理が食いたいって言ってくれるのは嬉しいけど、折角ついてきてくれたシェフに悪いだろ。
「じゃ、いつも通り適当でいいや」
「分かった」
俺は途中で修吾と別れ、厨房に寄ってから自室に向かった。
荷物、といっても大した物もなく、机の引き出しに今日使用した書類をしまい、まだ整理していない書類を机の上に置く。
スーツからラフな服装に着替え、伸びをして凝った肩を回した。
「ふぅ、今日も疲れたな」
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