03
シンと静まり返った食堂内に光明のリコール宣言が染み渡る。
誰もが言葉を無くし動かない中、リコールを突き付けられた狼雅の唇がゆっくりと言葉を紡いだ。
「確か…連盟からのリコールに拒否権はなかったな」
「あぁ」
「…仕方ねぇ。第21代竜西生徒会は本日を持って解散とする」
椅子から立ち上がり、階下にいる役員達を見下ろしながら狼雅は未練も無くきっぱりと言い放った。
その声に生徒達が騒ぎ出す。
「会長!何をいきなり!僕達は認めませんよ!」
「そ、そうだよ!それにいきなりリコールとか言われてもワケわかんないし!」
当然、副会長達は反発の声を上げた。
ざわざわと騒ぐ生徒達の様子は困惑が大多数、肯定が多数。
「リコールって何で?」
「あれだろ、会長以外が仕事してないから。会長以外の役員達は毎日アイツにべったりじゃん」
「でもそしたら会長はとばっちりじゃね?」
「納得ー。最近生徒会役員がらみで制裁多いよなー。編入生が来てから」
「あぁアレ。編入生より自分の方がって。親衛隊って抜け駆け禁止で、それ破ったら制裁って悪循環だよな」
一層煩くなった階下に、自分達に否はないと自分達の都合で喚く役員達。
スゥッと細められた光明の眼光が絶対零度の冷たさを醸し出す。
狼雅はその様子に笑みが零れそうになるのを堪えながら成り行きを見守ることにした。
「…クズ共が」
ポツリと囁くように零された悪態は狼雅の耳にだけ届き、光明は階下の騒ぎを一刀両断する。
「リコール原因は副会長以下の職務怠慢、親衛隊の監督不行き届きだ。そして、それらをどうにも出来ずに学内の風紀を乱した責任はトップである海藤生徒会長にもある」
「な…っ、それは…」
「言い訳は必要ない。新しい生徒会役員に付いては風紀と委員会連盟で話し合った後、正式に通達させてもらう。役員達は明日までに寮部屋を移動しておけ。…風紀からは以上だ」
階下から目を離した光明は副委員長へ指示を出す。
「階下にいる元役員達に新しい部屋番号とカードキーを渡してこい。引っ越しが終わり次第、役員専用のカードキーは回収して風紀室に保管しておけ」
分かりました、と冷めやらぬざわめきの中副委員長は足早に階段を降りていった。
二人きりになり、狼雅は光明へ目を向けると唇を歪めた。
「随分早いな、委員会連盟とか。まだ七日だぜ」
編入生が編入して来て。
風紀が乱れ始めて。
生徒会の職務が滞り始めて。
まだ七日だ。
そう口にした狼雅に光明は認識を改めるよう返した。
「もう七日だ」
編入生が編入して来て。
風紀が乱れ始めて。
生徒会の職務が滞り始めて。
もう七日だ。
「七日もあれば綻びが出始める。生徒会は特に、この広大な学校を動かす主軸の一つだ」
「ふぅん、…通達は何時出した?」
「三日目だ。五日目に委員会連盟は開かれた」
「その時点でリコールは可決されてたわけか。残り二日は何の為?」
「猶予だ。もっともその必要は無かったようだが」
淡々と会話を交わした光明は狼雅を真っ直ぐ見つめ返すと変わらぬ態度で続きの言葉を口にした。
「お前も時間が惜しいだろ。さっさとあの部屋から出て部屋を移れ」
新しく用意したカードキーを光明は狼雅に向かって投げ渡す。
「…部屋番は?」
「キーに書いてある」
投げ渡された新しい部屋の鍵に目を落とし、狼雅はクッと喉を震わせた。
「これはまた…」
「分かってるとは思うがお前にはもう拒否権なんてものは存在しない。この意味、分かるな…元生徒会長」
わざとらしく元、と力を込めて呼ばれた役職名に狼雅はうっそりと心の中で笑う。
リコールされた今、俺はただの生徒だ。ただの、海藤 狼雅という一人の男だ。付け加えるなら目の前の男に心底惚れてる恋する男だ。
ありとあらゆる責任から解放された狼雅は今まさに、自由の身となったのだった。
…光明の許す自由の中で。
後日…、
風紀と委員会連盟の指名により第22代新生徒会が発足した。
そして、何故か新たに生徒会長として指名されたのが平野(ひらの)という平凡な容姿をした一年生だった。
黒目黒髪に男子高校生としては平均的な身長に体重。そこそこの成績を残していた平野は自分が生徒会長に指名された瞬間、そして今耳にした台詞に、平野は二度目の驚きに思考を停止させていた。
「えっ……?」
確かに自分は強制的に生徒会長に指名されたが、仕事をきちんとこなし、寮へと帰ってきた。
生徒会役員と風紀委員のみが入れるフロア。
エレベータから降りた平野は、最初、このフロアにはいないはずの人の後ろ姿を見つけた。
「あ…会ちょ…じゃなかった」
今の会長は自分だ。
その後ろ姿に声をかけようとして平野は一旦言葉を飲み込み、言い直して声をかけた。
「海藤先輩!」
「あ…?」
気だるげに振り返った狼雅の動きに合わせて、しゃらっと胸元で鎖が音を立てる。
平野は自室となった生徒会長のプレートが填められた扉に近付くと首を傾げながら再び口を開いた。
「もしかして会長室に何か忘れ物ですか?」
リコールされた狼雅は当然元副会長達と同じように役員部屋から一般生徒の使う部屋へと移っている。その人がこのフロアに用といえば忘れ物だろうと平野は単純にそう思い…、元会長が移った一般部屋は元会長の人気を知るが故に平野は大変だろうと他人事のように思った。
「…あれ?」
思って、違和感に襲われた。
海藤先輩の部屋って何処だ?
学年は違うが元会長が一般部屋に移れば騒ぎになるのは必須。もはや確定事項だ。
しかし、考えてみてもそんな騒ぎは起きていない。
まさか自分だけが知らない?…そんなバカな。
声をかけておきながらどこかへ意識をとばした様子の平野に狼雅はきょろりと周囲を見回す。
するとちょうどエレベータが動き出した所だった。
ゆるりと狼雅の口端が吊り上がる。
会長室の前で考え込む平野に自ら近付き、狼雅は平野の肩を扉に押し付けた。
「おい」
「――はっ!?」
「声かけときながら無視か?」
「あっ、すみません」
考え事から浮上した平野は咄嗟に謝ったが、次に何故自分は狼雅に扉に押さえつけられているのかと、きょとんとした顔を晒す。
「えっと…これは…」
「ジッとしてろ」
ヒョイといきなり顎を掴まれ近付けられた端整な顔に、平野はどきどきするよりももはや展開についていけずに固まった。
「……お前はまた何をしている、海藤」
そこへ、いつ到着したのかエレベータから降りた人物が堅い声音を発した。
その声に狼雅は平野から手を離す。
「何もしてねぇよ」
「帰ったならさっさと部屋に入れ」
肩を竦めて笑った狼雅と厳しい眼差しをした光明との間にある温度差に、知らず平野は身体を震わせた。
そして今の会話から知らなくてもいいことに気付いてしまった。
海藤先輩の部屋が何処か。
「なんだ、今度こそって思ったんだけどな。お前って何したら嫉妬に狂うんだ?」
狼雅は光明を真っ直ぐに見つめ、今夜の夕飯は何だ?というのと同じ調子で聞いた。
「えっ……?」
しかしそれにぎょっとしたのは平野だけだった。
「馬鹿だな狼雅」
聞かれた張本人は狼雅に歩みよりながら厳しかった眼差しを和らげ、口許には笑みを浮かべる。
狼雅の正面で足を止めた光明は狼雅の胸元で揺れる鎖に指先を絡めると、ぐずぐずに甘く溶かしたような声音をひっそりと狼雅の耳元に落とした。
「そんなに自由を奪われたいのか」
鎖に絡めた指先で狼雅のチョーカーをなぞり、光明はうっすらと微笑む。
その笑みに狼雅は背筋を震わせ、熱っぽい眼差しで答える。
「俺の要求を聞いてくれんならな」
三食昼寝付きで、たっぷり可愛がれ。
「…それもまだ諦めてなかったのか。…可愛い奴め」
とろりと光明の唇からから溢れ出した甘さに、狼雅は双眸を細め自ら光明の首に腕を回して抱き着いた。
端からみれば甘い恋人同士のやりとり。けれども平野はその光景を目にしてゾッと背筋を震わせた。
「――っ」
元会長と風紀委員長が恋人同士だったというのは驚きだ。だが、平野が感じとったのはそこじゃない。その甘さの中にどろりと絡み付くような産毛が逆立つような恐怖を感じて肌を粟立たせた。
「――平野」
「ひっ、は、はい!」
狼雅を抱き締め返した光明が動けずにいる平野へ視線を投げる。
どろりとした甘さは綺麗に消え失せ、常と変わらない強く清廉な眼差しが平野を射抜く。
一瞬息を詰めて返事を返した平野に光明は目の端だけで笑った。
「お前なら言わずとも分かるな」
「は…はいっ。俺はここで、誰にも会いませんでした!」
反射のように言葉を紡ぎ、平野は息を飲む。
それに光明は満足したように頷くと器用に片手で自室の鍵を外し、狼雅を片手で抱いたまま扉の向こう側へ姿を消した。
「……は。っ、心臓に悪いよ」
一人廊下に残された平野は、緊張が解けたように生徒会長室の扉に凭れかかり、息を吐く。
どくどくと騒ぐ心臓を宥め、瞼を閉じる。
「……でも、これで分かった。お隣さんは触らぬ神になんとやらだな」
ポツリと溢した呟きはシンと静まり返った廊下に溶けて消えた。
一方、光明にくっついたまま部屋へと入った狼雅は遠ざかる扉を眺めて口を開く。
「あいつ、ほっといて平気なのか?」
「平野は言い触らすような人間じゃない」
「へぇ…良く分かってんだな」
「誤解するな。平野本人は隠しているようだが奴は頭が切れる。編入生の元同室者でありながら制裁などの被害を一切受けていない、平凡な容姿に騙されがちだが特殊な人間だ」
鞄をリビングのソファに投げ捨て、光明の足は真っ直ぐ寝室に向かう。
狼雅は話を聞きながら光明の耳に息を吹き掛ける。
「ふっ…そりゃ相当頭が切れんな。だから会長に指名したのか」
どさりとベッドに仰向けに転がされた狼雅はクツクツと愉し気に笑った。
ネクタイを緩め、ブレザーとシャツの前を寛げた光明が狼雅に覆い被さる。
「それなら、わざわざ副会長に不良の頭を付けた思惑は…?」
「あの平野に惚れ込んでる。平野って餌を与えておけば不良共は抑えておける。当分の間、風紀は安泰だ」
弧を描いた唇が狼雅の顔に降り注ぐ。
「ん…でも…編入生達は?」
「そっちは何もしなくても勝手に自滅するだろう」
生徒会役員という肩書きが守っていた身も、一般生徒と成り下がった今、自分で守らなければならない。今まで役員だからと手が出せずにいた連中から、悪循環を続ける親衛隊達から。
「もういいな。話は終わりだ。…俺を見ろ」
「ンっ…んん…」
優しく落とされていた唇が狼雅の口を塞ぎ、性急に舌が滑り込んできた。
ジッと熱い眼差しに見つめられたまま口付けが深められ、次第に狼雅の息が上がっていく。
頬を赤く染め、鼻から抜けるような甘い吐息を溢しながら狼雅は光明の首に腕を絡めた。
「…ん、…こーめい…」
「ろうが」
角度を変え、キスの合間にとろりと耳の奥に染み込むように甘く互いの名前を呼び合う。
「ふっ…ん…ぁ…」
唇が離れても透明な糸が二人を繋ぎ、光明の指先が狼雅のシャツにかけられる。始めから寛げられていた首回り、ブレザーとシャツのボタンを外せば数日前に付けた赤い華が極め細やかな肌の上に点々と咲いている。
「可愛い狼雅…あいしてる」
狼雅の胸元からしゃらりと鎖を掬い上げ、光明はひやりと冷たい金属に唇を寄せると頬を紅潮させうっとりと見上げてくる狼雅を見下ろし甘く笑み崩れた。
「お前は俺の物だ。誰にも渡しはしない」
どろどろとした熱を孕んだ目が肌の上を滑り、狼雅はゾクゾクと背筋を震わせる。鼻から甘い抜けるような息を漏らし、狼雅は濡れた唇で弧を描く。
「…嫉妬、してんじゃねぇか」
クッと口端を歪めた狼雅に手にした鎖を軽く引っぱり、光明はほの暗い眼差しで狼雅にとっては甘い毒を吐いた。
「付け上がるなよ狼雅。お前が触れて良いのは俺だけだ」
「……っふ」
「それともこのまま殺されたいか?」
鎖を引っ張った手が狼雅の首に絡み付く。
「俺はそれでも一向に構わないんだ。…お前が手元に残るのなら」
翳りを帯びた瞳の中にぎらりと鈍い光がちらつく。
「…それも、良いかもしんねぇ、けど」
僅かに力の込められた指先に狼雅はふるりと身体を震わせ、首にかけられた光明の手に触れると、艶やかに笑って言葉を続けた。
「俺はまだお前を感じていたい」
さらさらと頭を撫でられる感触に微睡んでいた意識が浮上してくる。
「ん…」
もぞもぞと枕から頭を動かし、頭を撫でていた手の持ち主をうっすらと開いた目で狼雅は見上げた。
「…こー…めい?」
狼雅の眠っていたベッドの端に腰掛け、光明は狼雅の赤に近い頭を優しく撫でていた。
「起きたか」
「……ど…した」
「水飲め。声酷いぞ」
「飲ませて…くれねぇの?」
掠れた声で催促すれば光明は仕方無いという顔をして水を口に含み、狼雅へと覆い被さった。
こくり、こくりと狼雅の喉が上下する。
「…っ…ふ、も…いい」
光明が離れていくのを追うように狼雅はベッドの上で上体を起こした。
半分に減ったミネラルウォーターをナイトテーブルの上に置き、光明はベッドから立ち上がる。
「悪いが俺は先に登校する」
「…おぅ。もうそんな時間か」
「お前はゆっくり来い。朝ご飯はリビングに用意しておいた」
「別に朝飯ぐらい抜いてもどうってこと…」
「食べろ。三食昼寝付きが希望なんだろ」
きっちりと制服を着込んだ光明は至極真面目な顔でそう言い放ち、狼雅と視線を合わせる。
「…そう、だった」
それに狼雅はふっと笑みを浮かべ、嬉しそうに双眸を細めた。
「分かったら食べてから登校しろ」
「遅刻は確実だけどな」
「その方が余計な人間の目に晒されなくていい」
行ってくる、と光明は最後に狼雅の頭をくしゃりと撫でて寝室から出て行く。そこにはいつも通りの清廉な風紀委員長の姿があった。
「………」
ズボンは履いているものの上半身は何も身に着けておらず、狼雅は気だるく感じる身体をのろのろと動かしてベッドから足を絨毯の上に下ろす。
光明がそうしていたようにベッドの端に座った狼雅は胸元にひやりと感じる、チョーカーから垂れ下がった鎖を手に取り、口許に運んだ。
「…可愛いのはお前だろ光明」
鎖に口付けながら狼雅は口許で笑う。
「何だかんだ言いながら俺の好きにさせてるし。甘いな光明」
開けっ放しにされた寝室の扉へ目を向け、狼雅は呟く。
「三食昼寝付き、たっぷり可愛がっても扉を開けたまんまじゃ逃げちまうぜ」
鎖の先も途切れたまま狼雅の胸元で揺れている。
「ま…逃げる気はねぇけど」
長時間酷使して鈍く痛む腰に手を添えながら狼雅はベッドの端から立ち上がった。
一歩、歩く度に胸元でしゃらりと鎖が存在を主張するように音を奏でる。
新しく用意されていたシャツに袖を通し狼雅はリビングに足を向ける。
自分はどれだけ寝転けていたのかテーブルの上にはカリカリのベーコンにスクランブルエッグ、後はよそうだけのご飯に味噌汁。お茶はお湯を入れればいいだけの状態でセットされていた。
「これは俺の目論見の方が甘かったのか」
鎖を付けられなくても、閉じ込められなくとも、既に口にした通り狼雅から逃げ出す気は失せていた。
「でもまぁ…」
椅子を引いて腰を下ろしながら狼雅は向かい側の席を見つめて語りかけるように呟いた。
「二人だけの世界も魅力的なんだよな」
狼雅は光明が用意した服に身を包み、光明が作った朝御飯をほんの少しもの足りなさそうに空席を眺めながら、幸せそうに咀嚼していた。
(なぁ光明、愛してるぜ)
(あぁ本当、狼雅は殺したいぐらい可愛いな)
end.
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