02


次の瞬間、狼雅が手に持っていた着替えがバサバサと廊下に落ちる。
両手を壁に押さえ付けられ、至近距離で光明と視線が絡む。

「――っ」

昼間に向けられた強く真っ直ぐな清廉な眼差しとは違う…どろりと内側から零れ落ちる暗く翳った甘く熱い眼差し。

「お前は誰のモノだ?」

「………」

「勝手な真似をするな」

無遠慮に注がれる甘美な眼差しにゾクゾクと狼雅は背筋を震わせる。
瞳の奥に渦巻く嫉妬と執着心をない交ぜにしたほの暗い熱が狼雅には心地好い。

「ふっ…編入生に嫉妬したか?」

うっとりと狼雅は目元を赤く色付かせ甘く表情を崩す。

「それがお前の狙いか」

「あぁ、だってなぁ。ふ、くっ…くく…」

噛み殺しきれなかった笑いが狼雅の口端から零れる。

「お前は毎度そんなに俺を怒らせて愉しいか?」

「愉しい?違うな。嬉しいんだ。お前がくれるものなら俺はどんな感情だって欲しいさ。それが綺麗でも汚くても、お前のものなら大歓げ…ッ」

言い切る前に、腕を押さえつけられたまま狼雅は噛み付くように光明に唇を唇で塞がれた。

「ン…っ!ん…んぅ…」

下唇を強く噛まれ、ペロリと舐められる。薄く開いた口の中に光明の舌が滑り込み、上顎を擽られ、歯茎をなぞられる。

「…ン…ふ…ッ…ん」

腕を掴む手に力が込められ、狼雅は眉をしかめる。だが構うことなく光明は口付けを深め、狼雅の舌を絡めとると舌を擦り合わせて唾液を送り込んだ。

「ッ…ん…ふ…ぅ…」

角度を変え、離れない唇に狼雅の鼻から甘い抜けるような声が漏れる。
くちゅりと水音を立てて唾液が交ざりあい、飲み込みきれなかった唾液が狼雅の口端から零れて顎を伝い落ちる。

「はっ…ぁ…ふっ…」

がくがくと足が震えて、腕を掴まれたまま壁に寄り掛かり崩れそうになった狼雅は酸素の足りなくなった頭でぼんやりと光明の唇が離れていくのを眺める。頭上から落ちる人工の光が二人の間を繋ぐ銀糸をきらりと反射させ、光明の赤い舌が銀糸を拭うようにベロリと唇の上で翻った。

「はっ…は…っ…ン…」

その仕草にゾワリと背筋を震わせ、息を整えながら狼雅は熱っぽい眼差しで光明を真っ直ぐに見つめ返す。
すると光明はゆるりと一度意識的に瞬きをし、壁に押さえつけていた狼雅の腕を引き寄せると胸の中に抱き締め、閉じ込めた。

その時しゃらりと聞こえた金属の擦れる音に、光明は音の出所である狼雅の首元へ目線を落とす。そこには光明が用意しておいたお洒落な鎖が狼雅のチョーカーから垂れ下がっていた。

光明の視線の先に気付いた狼雅は熱に濡れた唇でニヤリと笑う。

「似合う…だろ?」

狼雅は片腕を光明の背中に回し、もう片方の手でチョーカーに付けた鎖を首元まで掬い上げる。
それを追うようにして狼雅の背中に回っていた片手が解かれ、狼雅の手によって掬い上げられた鎖に光明の指先が伸びる。

ヒヤリと指先に伝わる冷たい金属の感触に、鋭さを帯びた光明の双眸がどろりとした絡み付くような甘さを滲ませる。細かな鎖の目を愛しげに指先で辿り、繋がれた黒のチョーカーへと指先を滑らせ、光明は狼雅の首元へとその指を絡ませた。

「あぁ…良く似合ってる。このまま飼うか」

ゆるゆるとチョーカーが付けられた首筋をなぞられ、どろりと甘く吐き出される言葉に狼雅は心を震わせる。

「何処にも行けなくして。誰の目にも触れないようにして。…俺だけしか見れないように…して」

首筋から離れた指が狼雅の頬に触れ、そぅっと壊れ物を扱うように狼雅の目元を優しくなぞった。

けれども光明はそのすぐ後、何を馬鹿なことを…と頭を振って呟き、狼雅から手を離す。
離れていった手を、狼雅は逆に掴み直して甘えるように光明の肩口に頭を擦り寄せた。

「ん、…三食昼寝付きでたっぷり可愛がってくれんなら飼われてやってもいいぜ」

お前にならと、狼雅はうっそり熱に浮かされたような声音で囁く。

「っなに馬鹿なことを言ってるんだお前は!」

「馬鹿なのはお前だろ?こんなせっかくのチャンスに何躊躇ってんだ。俺が良いって言ってんだから、鎖で繋ぐなり、部屋に閉じ込めるなり好きにしろよ。ただし、俺の要求も忘れるな」

「――っふざけるな。俺はそんな真似…」

凝った瞳が清廉な眼差しに戻り、自身の内側から膨れ上がる何かに抗うかのようにジリジリと漆黒の双眸を苛烈に燃え上がらせる。
眉をしかめた光明に狼雅は自分で首に付けた鎖に触れて、光明の感情を揺さぶった。

「それでいいのか?本当に?」

「……っ」

「俺が他の誰かのモノになっても?お前以外の奴を見つめて、笑って、触れても…お前はそれを許せるのか?」

うっすらと唇に弧を描いて、狼雅は光明の首に腕を絡ませる。正常な理性と異常な本能の間で揺れる瞳に唇を近付け、狼雅は光明を自分の身の内へと引き摺り落とす。

「俺が、お前さえ居れば他は要らねぇ…って言っても?」

「ろう…が」

瞼に寄せた唇でこめかみを掠め、ぐらぐらと揺れる心の隙間にするりと注ぎ込むように狼雅はとびきり甘い吐息を吐き出した。

「愛してるんだ…光明」

「――っ」

「お前になら何されたって構わねぇ」

その証とでもいうように、もう随分前に光明から贈られた黒のチョーカーを狼雅は毎日首に付けている。それを目にする度に光明が微かに口端を緩めていることを狼雅は知っていた。

そして、付き合い出してから互いの恋愛観が常識から少し外れた所にあることも、互いの愛が一般的に見て重いと言われるものだということも、二人は客観的にみて知っていた。

果たして、先に常識を彼方へと追いやったのは狼雅だったのか光明だったのか。

今度は狼雅から光明へと口付ける。

「ン…ん…っ…」

光明の首に絡ませた腕で光明を引き寄せ、口付けを深くする。瞼を持ち上げたまま狼雅は熱い眼差しでジッと光明を見つめた。

「…ふっ…ン…ぅ…」

やがて狼雅に応えるように舌を絡めとられ、狼雅の腰に光明の手が回る。
もう片方の手で後頭部を押さえられ、吐息すら奪うように変わった口付けに、光明の片足が狼雅の足の間に割って入る。

「ッン…んん…ン…」

ぞくぞくと背筋から這い上ってくる快楽に狼雅がうっとりと気持ち良さげに瞳を細めれば、どろりと甘く濁った双眸が狼雅の全てを絡みとるようにじっと至近距離から見つめていた。

くたりと力の入らなくなった下半身を光明に預ければ、それを待ち構えていたかのように足の間を割った光明の膝が熱を宿し始めた狼雅の中心をぐっと擦るように刺激する。

「んぁ…っ…」

その拍子に唇が離れ、狼雅の口から甘い声が上がる。
後頭部を掴んでいた手を滑らせ、光明は唾液で濡れた狼雅の唇を親指の腹でソッと拭うと、理性を削ぎ落とした雄の顔で艶やかに笑った。

「そこまで言うなら壊してやる。俺だけを見て、俺だけを感じる身体にして、俺なしじゃ生きられないようにして…」

いいだろう、狼雅?と、ねっとりと甘く熱い眼差しが至近距離から注がれ、腰に添えられていた手がシャツの中へと潜り込む。するりと素肌を撫でられる感触にぴくりと狼雅の身体が震える。

「ン…いいぜ。俺はそんなに柔じゃねぇけど、壊れても責任持って愛せよ」

「あぁ、壊れても死ぬまでたっぷり愛してやる」

「いいな、それ」

どろりと紡がれる、毒々しい甘さを孕んだ熱に狼雅は嬉しげに双眸を細める。かぶりと耳を甘噛みされ、熱い吐息とは真逆のゾッと凍えるような冷たく低い声が狼雅の耳の奥へうっそりと流し込まれる。

「それでもし、裏切ったら…俺は、お前を、殺す」

「っ…あぁ…」

ビクリと腕の中で震え、次にゆるゆると嬉しそうな吐息を溢した狼雅を光明は愛しげに抱き締め、自ら危険地帯に飛び込んできた可愛い狼雅に光明は最上の愛の告白を返した。

「殺した後も愛してやる」






しゃらりと首元のチョーカーから胸元へ垂れた鎖が音を立てる。
左手に持ったペンをくるりと回し、右手で鎖を弄って狼雅は口端を緩めた。
そして、自分以外誰もいない生徒会室内を見渡し、更に笑みを深めた。

「ふっ…くくっ…」

自然と込み上げる笑いに狼雅は肩を震わせる。

あの日、中峰 忠が編入してきてから今日でちょうど七日目。一週間が経った。

その間に狼雅を取り巻く環境に変化が起きていた。
一重に編入生がモテたのが原因だろう。

編入初日に生徒会役員、その他人気者を虜にした魔性。生徒会長である狼雅が公然の場で編入生を口説いた。一回限りだが。
しかし、それが周囲へ思わぬ影響を与えた。

「くっ…はは、バカらしい」

それが今、生徒会室に狼雅しかいない理由だった。

一週間分の仕事が積まれた各役員の机を眺めて狼雅は自分の分だけ仕事をしながら…時を待つ。
編入生に惚れた各役員は編入生を誰にもとられまいと今日もべったり編入生に張り付いているのだろう。生徒会役員としての仕事を放棄して。

編入生を一度口説いた狼雅は役員達に勝手にライバル視され、足留めのつもりか仕事を押し付けられた。だが、はなから狼雅はそんな些末事気にも留めていなかった。
逆に狼雅は自分の仕事以外が滞ることを心中でにやにやしながら平然とした眼差しで眺めていた。

くるくると指の上で回していたペンを紙の上に転がし、狼雅はちらりと生徒会室の扉へ視線を流す。

「早く迎えに来いよ光明」

生徒会役員と人気者達が編入生にべったりで、荒れ始めた親衛隊達が起こしている事件の対処にかかりっきりであろう風紀委員長の姿を脳裏に思い浮かべて狼雅はチョーカーに指先を滑らせた。

そうして、狼雅が待ちに待っていたものはその日の夜、狼雅が久し振りに顔を出した食堂にやってきた。
編入生を囲み、一般席で騒ぐ役員達に冷ややかな目を向け、一人優雅に生徒会専用席で夕飯を食べていた狼雅が一番最初にその姿に気付いた。

カップに付けた唇が緩む。

「やっと来たな…」

食堂に足を踏み入れた風紀委員長は、編入生のいるテーブルにちらりと目を向けたものの、そちらには向かわず真っ直ぐに狼雅のいる生徒会専用席に向かった。

相変わらずきゃぁきゃぁと騒がしい生徒達に眉を寄せ、狼雅は傾けていたカップをソーサーの上に戻す。
視界の端では編入生達も騒がしくなったことに気付いたのか、こちらに目を向けていた。

生徒会専用席は一般生徒達が押し掛けて混乱しないように、階段を付けて一段高い場所に設けられている。
光明は風紀副委員長を連れて階段を上がると、椅子に座った狼雅から一歩分距離を開けて足を止めた。

「そんな怖い顔してどうした橋田?」

狼雅は下から鋭い眼光を見上げる。

「どうした?それをお前が言うのか海藤」

低く堅い声音。
光明の背後にいた副委員長はピリッと走った一触即発な空気に顔色を悪くした。
その間も二人の会話は続く。

「最初に忠告したはずだ。自分達が周囲へ与える影響を考えろと」

この一週間で学内の風紀はめちゃくちゃだ。

「それは…知らなかったな」

「他にも生徒会は満足に仕事もこなせていない。他の委員会からこの一週間で苦情が何件か風紀に寄せられている」

「その件については一つ訂正させてもらうぜ。俺は自分の分については職務放棄した覚えはねぇぜ」

風紀にだって会長印付きの手書きの書類は回っているだろ。

「お前個人のことは認めている。だが、生徒会長としては無能だったな」

感情の隠らない冷徹な眼差し。光明は背後を振り返ると副委員長から一枚の紙を受け取った。
A4サイズのその紙を狼雅の眼前に突き付けながら、光明はいつの間にか静まり返っていた食堂の中できっぱりと宣言した。

「海藤生徒会長以下生徒会役員を竜西委員会連盟、賛成多数の権限に寄って本日付けでリコールさせてもらう」

「へぇ…」

竜西委員会連盟。
竜西高校に各種存在する委員会が名を連ねる一つの組織だ。生徒会と風紀の力が対等であるように、生徒会、風紀双方が暴走した時に唯一対抗できる組織として委員会連盟というものが設置されている。

風紀単独で生徒会をリコールすることも可能だが、風紀単独の場合はリコールするに足りる証拠の提出が必須である。
それに対して委員会連盟であれば証拠の提出は必要ない。何故なら各種委員会のトップが集って会議を開き、リコールの有無を判じてから提出されるからである。各委員会のトップの間で話し合われた以上、それ以上の証拠は不必要であった。





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